作品タイトル不明
12.
「ま……、待って、姉様。私は、その……別に」
突然告げられた『両親からの解放』という言葉は、ペネロピ様には理解しがたいものだったのでしょう。
オロオロと瞳を揺らし、口ごもりながらも、否定しようと口を開かれました。
「ああ。ごめんなさいね、ペネロピ。あなたの考えを聞きもせずに話を進めては、子爵と変わらなくなってしまうわね」
お嬢様はふわりとペネロピ様の髪を撫で、謝罪の言葉を伝えられました。
「でもね? もう、あまり時間はないの」
「……え、……どうして……」
ペネロピ様は助けを求めるように旦那様へと視線を向けられます。しかし、先ほどの言葉が堪えたのか、旦那様はペネロピ様の縋るような視線から逃げるように、顔を背けてしまわれました。
「この子爵家は泥舟なの。お母様がそのように作り上げ、すでに大海へと押し出してしまった。だから、いずれは脆く崩れ、沈んでいくことでしょう」
お嬢様のお話に耳を傾けながらも、その貴族的な言い回しに理解が及ばないのでしょう。ペネロピ様はゆるく髪を揺らしながら首を振り、
「……姉様、わかんない」
悲しそうに、そう呟かれたのです。
「私は十分丁寧に説明しておりますわ。それでもあなたが理解できないのは、貴族として生きていくための知識が、決定的に足りていないということなのです」
「……さっき言ってた、『ぎゃくたい』って、なに? ……私が、馬鹿ってこと?」
「いいえ。あなたが生きていく上で必要な教育を与えなかった、子爵たちの罪の名です」
「……つみ……」
「はい。食事を与えなければ飢えます。衣服を与えなければ寒さを凌げないでしょう。では、知識を与えなければどうなるかしら?」
「……人と、話すことが、できない?」
「そうですわね。少なくとも、貴族とはお話ができないと思って間違いありませんわ」
それは悲しくも、動かしがたい現実です。
貴族という生き物は、時に言葉の裏に本心を隠すもの。ほんの少しの本音を比喩や綺麗事に混ぜ合わせ、その隠された些細な本質に気づかない者は、陰で 嘲笑(わら) いものになる──そんな恐ろしい世界なのです。
「……でも、じゃあ、どうしたらいいの? 私には、お父様とお母様しかいないわ。……私一人でなんて、何を……どうしたらいいのかわからない……っ!」
なんとか平静を保って話そうとされていたペネロピ様ですが、とうとう我慢しきれなくなったのでしょう。
両手で耳を塞ぎ、その場に泣き伏してしまわれました。
「……待ちなさい、シャーロット。その娘をどうするつもりだ? まさか、クリスティアナを苦しめ続けた女の娘に、温情をかけるつもりなのか」
伯爵様は青ざめたお顔を隠そうともなさらず、お嬢様を問い詰められます。
「……お母様を傷つけたのは、子爵とラモーナ様。そして、いつまでも期待し続けた、ご自身の恋心でしょう?」
「……なんだと?」
「そもそも半端なのです。本当に子爵とラモーナ様を引き離したかったのなら、経済的に締め上げればよかったのですわ。子爵の自由にできる資金をなくせば、お二人の仲などとうに破綻していたはず」
……確かに、そのお言葉は正しいのでしょう。
旦那様お一人で財を成すほどの才があるはずもなく、だからといって、愛だけで生きていけるほど甘い世界など、あるはずがありません。
「でも、お母様はそうはなさらなかった。なぜなら、そんなことをしたら、二度と愛されることはないと分かっていたから。……そこまで分かっていながら、それでも断ち切れない感情とは──本当に呪いのようね」
「シャーロット! 母の想いを呪いだなんて! 言っていいことと悪いことがあるでしょう⁉」
「……お母様は、私に自由を望んでくださいました。それなのに私は、まだ母の気持ちを 慮(おもんぱか) り、その抱える愛を第一に考えて生きていかねばならぬのですか?」
それは、お嬢様がずっとそのお心に仕舞い続けられた、お母様の愛に対する本音だったのでしょう。
「なぜもっと早くに断ち切らないのか」「なぜ私までを巻き込んだまま、それを良しとしていらっしゃるのか」と──。
……ずっと、ずっと思い悩んでいらっしゃったであろう、悲しい事実でございました。
「……シャーロット。お前は、クリスティアナを憎んでいるのか? 母を……愛してはいなかったのか」
伯爵様が、絞り出すような静けさで問いかけられました。
「愛しておりますわ。私にとっては、たった一人だけの家族ですもの」
お嬢様は亡き奥様が眠る寝台の方へと、懐かしむように愛おしげな視線を向けながら、母への愛を言葉にされました。
「……ただ、お母様にとっての私は、父を繋ぎ止めるために必要な『もの』に過ぎなかったのではないかと……。そう考えてしまうことが、悲しくて……堪りませんでした」
「そんなはずないだろうっ⁉」
「そうですわね。でもきっと、私は一番ではなかったのだと──今でも思っております」
そう言い切ったお嬢様の表情には、もう悲しみの色はございません。そこには、ただ諦観したかのような、十五歳の少女が見せるにはあまりにも静かな笑みが浮かんでおりました。
そんなお嬢様のお隣にはランディ様がそっと寄り添い、そのお心を支えるかのように、しっかりと手が握られています。
そのお姿を拝見して──もう、巣立ちの時が来たのだと寂しさを感じながらも、こうして共に生きたいと思えるお方と出会えた僥倖に、心からの祝福を贈りたくなりました。
「……姉様、……私も? 私も、そうなのかな? ……ただ、お父様たち二人が仲良しだって分かるために必要な──そんな『もの』だったの?」
「違う! そんなはずないじゃないか! だって、私達はずっと幸せで、仲の良い家族だったじゃないか!」
旦那様が必死に言い募るお姿はどこか滑稽で、ペネロピ様は一度だけそちらへ視線を向けるも、何も答えることはありません。
ただ、お嬢様のお言葉だけを待っていらっしゃるようでした。
「子爵たちがどんなつもりだったのかは私には分かりませんわ。でも、大切なのは、あなた自身がどう感じたのか、なのではありませんか?」