作品タイトル不明
11.
「……ペネロピを? そ、れは、もちろん、この家の娘として──」
旦那様は呆然としながらも、か細い声でそうお答えになりました。
しかし、その言葉をお聞きになったお嬢様は、そっと頬に手を当てて小首を傾げられます。
「あら。本当に子爵令嬢として、この家に招くおつもりでしたの? それは驚きました」
そう言って、旦那様の発言を、くすりと、お笑いになったのです。
「……何がおかしいのだ。……これからはラモーナが子爵夫人、その娘が子爵家の娘になるのは当然のことだろう⁉」
頭に血が上ったのか、伯爵夫妻が目を光らせていることも忘れ、旦那様が声を荒らげました。
案の定、伯爵夫妻は不快そうに眉根を寄せ、忌々しそうに旦那様を睨み付けていらっしゃいます。
「……本当にそうお思いなのですか」
旦那様のお言葉に、心底呆れ果てたと言わんばかりの表情で、お嬢様はふう、と溜息を漏らされました。
「エイベル子爵。あなたはペネロピを長きに渡り虐待していた自覚がないのですね」
「……は? 虐待だと⁉ そんなことをするはずがないだろう!」
「では、どうしてペネロピはここまで無知なのです?」
お嬢様のそのお言葉を耳にされ、ペネロピ様の頬へ、羞恥のせいかさっと朱が走りました。
それでも、昨夜のように騒ぎ立てることはありません。
ペネロピ様はドレスの裾をぎゅっと握りしめ、じっとお嬢様の言葉の続きを待っていらっしゃるようでした。
「お前はっ……! 自分が多少賢いからといって、妹を馬鹿にするなど!」
「……ああ。エイベル子爵も、勉学に励むことが不得手でいらっしゃったのかしら?」
それはあまりにも真実を突いた、耳に痛いお言葉でございました。
まだ幼かった頃の旦那様は、じっと机に向かうことを嫌い、授業が理解できないと言っては癇癪を起こして泣き叫ぶようなお方でした。
成長するにつれて多少の忍耐力は付いたものの、だからといって、突然頭の覚えが良くなるわけでもございません。
そんな旦那様の──そして、子爵家の未来を不安に思われた大旦那様は、資産家で優秀と謳われていた亡き奥様との縁談を進められたのです。
「そんな『泣き虫バニー』の逃げ場が、ご同類のラモーナ様でしたのね」
亡き奥様がお遺しになったお言葉を揶揄しながら、お嬢様はクスッとお笑いになりました。
そのお姿からは、本当にもう旦那様のことを父親としては見ていらっしゃらないのだと、その冷えきった御心が透けて見えるようでございました。
旦那様ははくはくと口をわななかせ、反論の一つもできません。とうとう悔しさからか目元に涙を溢れさせながらも、お嬢様から目を逸らすことすらできず、ただ見つめ続けていらっしゃいました。
「『自由になりなさい』……お母様が遺してくださったこの言葉を、私は先程まで子爵を追い詰めるための材料の一つだと思っていましたけれど……ランのおかげで、本当に私のことを思って言ってくださったのだと思い直すことができました」
ちらりとランディ様へとお顔を向けられ、嬉しそうに微笑むお姿は、先ほどまで旦那様を追い詰めていた方とはまるで別人のようでございます。
「では、私の望む自由とは何かしらと考えて──母の思いに囚われることなく、心の赴くままに考え、行動することなのかしらと、そう思ったの」
そこで言葉を区切ったお嬢様は、ゆっくりとペネロピ様の前へと歩み寄られました。そして、まだ涙の残るその頬をハンカチでそっと拭われたのです。
「私がずっとずっと傷ついてきたこと。それは、子爵が別の家庭を持っていたことではありません。そして、私以外にも子どもがいたことでもありませんわ」
呆然と見上げるペネロピ様に優しく微笑みかけると、その少し小さな手を引き、そっと立ち上がらせました。
「エイベル子爵。あなたのおままごとに、私達子どもを無理やり参加させないでくださいな。まったくもって迷惑極まりないわ」
「……お前は、ままごとだ雛遊びだと……、どこまで私を馬鹿にするんだ!」
ご自分の十五年以上もの年月を、ただの幼子の遊びに例えられたことが我慢ならなかったのでしょう。旦那様は、激しい怒りを露わに叫ばれました。
「あら。まさか、今までの行いのすべてが本気でしたの?」
お嬢様はそんな旦那様の怒りを真正面から受け止めながらも、ただ優雅に微笑むばかりです。
「では、子爵はいままで何を成してきたのですか。家のことはお母様に任せきりにして、ラモーナ様とお二人で現実から逃避した生活を続け、ペネロピには、お二人が苦手であった勉学を与えず、ろくに躾けることもせず、ただ犬猫のように可愛がるだけの生活を送らせていた──違いますか?」
『犬猫』──そのあまりの言い方に、ペネロピ様は羞恥と憤りに顔を赤らめ、震えていらっしゃいました。それでも、それを否定する言葉をお持ちでなかったのか、やがて俯いてしまわれたのです。
「お前は……、多少勉強ができるのがそんなにも偉いのか⁉ 自分の妹を貶し、貶めるその心根のほうが裁かれるべきだろうっ‼」
とうとう旦那様が立ち上がり、お嬢様に掴みかかろうとした瞬間、その腕はランディ様によって容赦なく捕らえられました。
「駄目ですよ、子爵。貴族同士なのですから、暴力ではなく、言葉で解決しなくては。そうでしょう?」
怒りに震える旦那様とは対照的に、ランディ様はどこまでも朗らかな態度をお崩しになりません。
「仕方がありませんわ。だって、『できない』の一言で今まで逃げてこられたのですもの。そのくせ一人前に女性二人を弄んでこられたのですから、頭が下がりますわね?」
亡き奥様の献身に甘えながら、同時にラモーナ様をも囲っていた、その不実極まる生き様。お嬢様は、旦那様へ容赦なく言葉の刃を突きつけられました。
「でも、お母様もラモーナ様もご自分で選んだ人生。私がとやかく言う問題ではございません。ですが、私とペネロピは問答無用で巻き込まれただけ。──そろそろ、私たちを解放していただけませんか?」