作品タイトル不明
10.
「……なぜだ?」
お嬢様とランディ様が心を通わせる姿を食い入るように見つめていた旦那様が、とうとう耐えきれなくなったかのように、 怨嗟(えんさ) に満ちた言葉を吐き出されました。
「何がです? ――子爵」
しかし、お嬢様が怯むことはありませんでした。
旦那様を真っ直ぐに見据え、静かに疑問を呈されたお姿は、これまでのようなどこか亡き奥様の影を追う真似事ではなく、ご自身の足でしっかりと地を踏みしめた、お嬢様の本心からの言葉。……そう確信できるほどに、あまりにも冷静な問いかけでございました。
「……その男だって、愛などという不確かなものでお前を求めているじゃないか……っ! 私と何が違う⁉ 私とあいつは、同類だろう‼」
それはまるで、血を吐くような旦那様の叫びでございました。
しかし、静まり返った部屋の中で、その見苦しく足掻く姿に同情を寄せる者など、ただの一人も存在いたしません。
──お嬢様がさらに言葉を重ねようと、唇を開かれたその時。 とさりと、戸口で不審な物音が響いたのです。
「……誰です? ──ドアを開けて」
お嬢様のご指示を受け、私は静かにドアノブへと手を掛けました。
ゆっくりと扉を開くと、そこには床へ震えながら座り込む、ペネロピ様の姿がございました。
「……あ……わたし、は」
ガクガクと小さく肩を震わせながら、彼女の視線は父である旦那様を捉えました。
しかし、その血走った 眼(まなこ) にさらなる恐怖を覚えたのでしょう。ペネロピ様はバッと顔を背けると、その場に頭を抱えてうずくまってしまわれたのです。
「どうしたの? ペネロピ」
お嬢様が優しく問いかけられると、ペネロピ様は恐る恐るという 体(てい) でお顔を上げられました。
お嬢様を見上げる大きな瞳から、みるみるうちに大粒の涙が溢れ出してゆきます。
「……わ、たしは、……ただ、お母様と、仲直りしてほしくて……っ! でも……お姉様、ごめんなさい! わたし、何もわかってなくて……」
小さくしゃくり上げながら訴えた言葉は、まるで 幼(いとけな) い少女のように拙く、あまりにも無垢なものでした。
その言葉には打算など一つも感じられず、本当にただそれだけを願っているのだと、……出会い頭にお嬢様に対して悪態をついていた姿が、実はただの虚勢であったのではないかと感じられるほどに、幼い彼女の心根が透けて見えてしまったのです。
「……その娘は、誰だ」
地を這うような伯爵の低い声が室内に響き渡り、ペネロピ様はびくりと大きくお体を跳ね上げられました。今まで甘やかされて育ってきたであろう少女は、初めて直面する大人からの叱責に言葉を失ったのか、小さな唇をはくはくとわななかせながら震え上がってしまわれました。
「──私の異母妹ですわ」
お嬢様の言葉を聞き、伯爵が旦那様を睨みつけ咆哮を上げたのです。
「貴様っ! クリスティアナが息を引き取ったばかりだというのに、すでにその愛人どもをここに招き入れたというのかっ‼」
「ひっ!」
雷鳴のごとき怒号に、ペネロピ様は小さな身をこれ以上ないほど縮こまらせ、悲鳴を漏らされました。
涙を流しながら、気配すら消そうと息を殺すそのお姿は、あまりに哀れに映ったのでしょう。
その痛々しさを見かねた伯爵夫人が、そっと夫の袖を引き、宥めるように声を掛けられました。
「あなた。――子に、親は選べませんわ」
それは、……お嬢様にも向けられたのであろうお言葉でした。
「では、許せと言うのか⁉ クリスティアナも! シャーロットにも! ……十年以上もの間、二人を苦しめ続けた存在を……っ、私に許せと、お前はそう言うのか……っ!」
夫人は、その血を吐くような問いに言葉で応えることはなさらず、ただ、怒りに激しく震える夫の体をそっと抱きしめられました。──そして。
「……そうね。けれどあなた、それは……私たちが背負うべき罪でもありますわよね?」
そうして夫人は、気丈に言葉を紡がれた口元を震わせながら、くしゃりと顔を歪められたのです。
「……違うの、……ねえ、どうして? お父様……どうしてこの人たちが悪くなっちゃうの? ……だって、悪いのは……人のものを盗っちゃった、私とお母様なんだよね? 私……お姉様の、あのブローチまで盗っちゃった……っ! だって……私だけのお父様だったはずなのに、奪われちゃうみたいで悔しくて……!」
嗚咽に混じって告げられた、悲痛な告白。
亡き奥様の遺品でもあるブローチを、これみよがしにねだった一件が、まさかこのような幼い嫉妬と寂しさから引き起こされたものであったとは。
どうやら本当にペネロピ様はご存じなかったのでしょう。旦那様には本当のご家庭があり、……ご自分達こそが、偽りの家族であったという事実を。
「まあ。ペネロピは思っていたよりも可愛らしい妹でしたのね?」
……──はい?
まだ幼さの残る少女の切なる慟哭に、とうとう私の涙腺が決壊するかと思ったその瞬間、お嬢様からあまりにも場の温度とはかけ離れた言葉がこぼれ落ちたのです。
皆が唖然としてお嬢様を見つめる中、ランディ様だけが、ふっと悪戯っぽく、唇を綻ばせました。
その視線はどこまでも優しく見守るように、お嬢様へと注がれ、その眼差しにお嬢様も気づかれたのでしょう。かすかに目元を緩め、小さく頷いてから旦那様へと向き直られ、
「もしや、私も考えを改めなくてはならないのかしら。――ねえ、子爵。あなたはペネロピの処遇を、一体どうするべきだとお考えです?」
そう、問いただしたのです。
その凛としたお姿は、旦那様が戻られてすぐ、ラモーナ様から言質を取ってやり込めていらっしゃったときと似ていて。
──しかし、そのお顔に浮かぶ柔らかな笑みと、あのときよりもしっかりと光を宿した瑠璃の瞳は、とても美しく輝いていました。