作品タイトル不明
何も分かっていない
会場に入ってから、しばらくの時間が過ぎていた。
祝賀の音楽は続いているが、広間の空気は落ち着きを帯びている。
最初の挨拶回りが一巡し、各国の使節たちは、
次に話す相手を選び始めていた。
エルフリーデとルーカスも、
いくつかの国の代表と形式的な会話を終えたところだった。
その時だった。
「……エルフリーデ」
名を呼ばれ、足を止める。
声の調子で、すぐに分かった。
この場に相応しくない、焦りの混じった呼び方。
振り返ると、そこにいたのは二人。
第一王子レオナルト・アルディア。
そして、その婚約者、ミレーネ。
二人の装いは整っている。
だが、細部が噛み合っていない。
礼装は上質だが、着こなしているとは言い難い。
姿勢は正そうとしているが、どこか落ち着きがない。
――場に立つ覚悟が、抜け落ちている。
「久しぶりだな」
レオナルトが、作ったような笑みを浮かべる。
王子としての威圧はない。
代わりにあるのは、状況に追い詰められた人間の焦りだった。
エルフリーデは、淡々と一礼する。
「ご無沙汰しております、殿下」
それ以上の感情は、乗せない。
レオナルトは、一瞬だけ言葉に詰まる。
その反応に、エルフリーデは確信する。
――この人は、今も何も分かっていない。
「……少し、話せないか」
周囲を気にしながら、声を落とす。
「今なら、人も少ない」
エルフリーデは、視線を逸らさない。
「ここで結構です」
その即答に、レオナルトの表情が歪む。
「……仮にも、身内だろう」
冗談めかした口調。
だが、内心の苛立ちは隠せていない。
「まあいい」
息を整えるように言葉を続ける。
「正直に言う。今、アルディアは厳しい」
制裁。
孤立。
信用の失墜。
どれも、自分たちが招いた結果だ。
「だから――」
一瞬、言葉を探す。
「お前に、手を貸してほしい」
その言い方に、エルフリーデの中で何かが冷えた。
「具体的には?」
静かに問い返す。
レオナルトは、少し安堵したように話し始める。
「連合との仲介だ。お前は今、連合側の人間だろう」
当然のように言う。
「それに……」
視線を向ける。
「……前も、似たような調整をやっていただろう」
その一言で、全てが露わになった。
――労働力として見ていた。
――保護対象でも、被害者でもない。
エルフリーデは、表情を変えない。
「“戻ってきたあと”とは、どの時点を指しますか」
レオナルトが、怪訝そうに眉を寄せる。
「追放が解かれた後だ。王宮に戻っただろう」
まるで、恩赦を与えたかのような言い方だった。
「……誘拐については?」
エルフリーデが、静かに尋ねる。
レオナルトは、わずかに肩をすくめる。
「父上の判断だ」
即答だった。
「詳しいことは知らない。だが、結果的に戻ってきたんだから問題ないだろう」
ミレーネが、何も言わずに視線を伏せる。
否定しない。
止めもしない。
それが、彼女の立場だった。
エルフリーデは、一度だけ目を伏せた。
そして、顔を上げる。
「殿下」
声は低く、静かだ。
「私は、誘拐された被害者です」
事実を述べる。
「その後、事情も説明されないまま、王宮で業務に従事させられました」
「させられた?」
レオナルトが、不満そうに言う。
「王宮としては、適材適所だと思っただけだ」
その瞬間、空気が完全に冷えた。
エルフリーデは、はっきりと言う。
「それが、あなた方の認識なのですね」
責める調子ではない。
確認だった。
「助けを求める前に」
言葉を続ける。
「ご自身が、何をしたか、
何をしなかったかを、整理された方がよろしいかと」
レオナルトの顔色が変わる。
「……今は、そんな話をしている場合じゃない」
苛立ちが滲む。
「国が潰れかけているんだ」
「その原因は?」
エルフリーデは、即座に返す。
沈黙。
答えは分かっている。
「私は」
エルフリーデは、静かに結論を告げる。
「便利な時だけ使われ、
不都合な時には切り捨てられる立場に戻るつもりはありません」
「あなた方の“助け”は」
一瞬も間を置かず。
「私の選択肢にはありません」
レオナルトは、言葉を失う。
怒りも、反論も出てこない。
自分が何を失ったのか、ようやく理解し始めた顔だった。
ルーカスが、半歩前に出る。
「殿下」
声は穏やかだが、距離は明確だ。
「これ以上の接触は、互いの立場を悪くするだけです」
レオナルトは、唇を噛む。
「……分かった」
力なく言い、背を向ける。
ミレーネは、最後まで何も言わなかった。
ただ、その横顔には、諦めきった静けさがあった。
二人は、人混みに消えていく。
縋る相手を間違えた者の背中だった。
エルフリーデは、小さく息を吐く。
「……終わりましたね」
ルーカスが頷く。
「完全に」
それだけだった。
アルディアは、
自分たちが何をしたかを理解しないまま、助けだけを求めた。
だから、救われなかった。
それは制裁ではない。
当然の帰結だった。