作品タイトル不明
貴方をエスコートさせてくれませんか
カトリーヌ夫人の邸宅は、午後の光の中で白く輝いていた。
整えられた庭、磨かれた窓、玄関の石段に落ちる木漏れ日。招かれた夫人たちが居間に集まり、テーブルの上に並んだ商品を囲んで、花が咲いたような声を上げている。
「こんなに持って来てもらって悪いわね」
カトリーヌ夫人が振り返る。背後では、夫人たちが目を輝かせながら箱を覗き込んでいた。
「いつもお世話になっていますから」
私は帽子を両手に持ち、夫人の前へ差し出した。
「丹精込めてお作り致しましたわ」
「みなさん、商品は二つまでよ」
夫人が振り返り、明るい声を張った。
「好きなものを選んでくださって」
どっと人が動いた。笑い声と、布の擦れる音と、「これはどう?」「こちらの方が」という声が重なり合う。私はその様子を眺めながら、静かに息を吐いた。
「余った商品は全て、私が買い上げますから、安心して」
夫人がそっと言った。
「そんな、奥様──」
「いいのよ」
微笑んだまま動じない夫人に、私は言葉を失った。焦りと感謝が同時にこみ上げて、どちらを先に口にすればいいかわからなくなる。
「……ありがとうございます」
やっと、それだけ出た。
「私に出来るのはこれぐらいだから」
夫人は帽子を物色する人たちへ視線を流し、それからまた私を見た。
「でも、驚いたわ。まさかバルサン男爵と離縁しただなんて」
「い、色々ありまして」
「で、これからどうするの?」
「王都に行こうと思います。店舗はジャックに取られてしまいますから」
「それは残念ねえ」
「あっ、でも奥様の元にはこうやって通わせていただけると嬉しいです」
「もちろん、歓迎するわ」
夫人の笑みに、迷いがない。私はその笑い方が好きだった。惜しみなく、ただ温かい。
「あっ、そうだ」
夫人がふと顔を上げた。
「あなたも私の夜会に参加しない?」
「え?……いや、私は……」
「あら、いいじゃない?」
夫人が指を一本立て、いたずらっぽく傾けた。
「貴方は独身なのよ? 新しい出会いがあるかもしれないじゃない」
私は言葉に詰まった。
◇ ◇ ◇
「夜会?」
パージが眉を上げた。
「そーなのよ。断れなくて」
化粧台の鏡に向かいながら、私は答えた。口紅の端を整えていると、背後からナタリーが近づいてきた。
「オーナー、私がお着替えを手伝います!」
「え、ちょっと──」
「ガブリエル商店の宣伝塔になって来てください」
試着室の中へ、ほとんど押し込まれる形になった。
しばらくして、私は出てきた。
パージとミシェルが、無言で私を見た。
「とても素敵ですわ!」
ミシェルが先に言った。
「あ、ありがとう」
鏡の中に、見慣れない自分がいた。髪を上げると、首筋が随分すっきりして見える。ドレスの色は濃い緑で、ナタリーが選んだ。私が選んだら、もっと地味なものになっていたと思う。
馬車が店の前に止まる音がした。
見送りの声が、背後で重なった。
「いってらっしゃーい」
馬車が動き出す。石畳の振動が座面から伝わり、窓の外で街の景色がゆっくり流れ始める。
──夜会なんて何年ぶりかしら。
結婚してからは、ジャックと揃って出ることもなかった。その前は父の領地で忙しくしていた。夜会の記憶は、もっとずっと昔のことのように思える。
迎賓館の前で馬車が止まった。
扉が開く。段差を降りようとして、裾が引っかかった。
「きゃっ」
重心が崩れる。
誰かの手が、私の腕を支えた。
「大丈夫ですか?」
顔を上げると、見知った顔があった。
「ガブリエルさん?」
「……ニッキーさん」
◇ ◇ ◇
迎賓館の中は、光と話し声で満ちていた。シャンデリアが天井に揺れ、ドレスの裾が床を滑る。あちこちに笑い声が散って、グラスが触れ合う音が混ざった。
「奇遇ですね。私も先日カトリーヌ夫人と知り合って、夜会に紹介されたんですよ」
二人で並んで歩きながら、ニッキーが言う。
「そ、そうだったんですね」
「しかし」
彼が私の方を向いた。
「正装した貴方も、素敵ですね」
「え?」
私は思わず笑った。おほほ、という声が自分の口から出て、少し恥ずかしくなった。
「そ、そんな、私なんか褒めたって何も出ませんよ」
「本当のことを言っているのです」
「……」
「王都だって、貴方のように洗練された女性はいない」
頬に熱が上がった。ちょうどその時、聞き慣れた声が前から飛んできた。
「あら、ガブリエル、ニッキー!」
カトリーヌ夫人が、グラスを持ちながら近づいてくる。
「来てくれたのね」
「は、はい」
「お招きありがとうございます」
「貴方たち、もう知り合いだったの?」
「ええ、共にビジネスをすることになりました」
「はい。ニッキーさんのお店に、継続的に商品を卸すことになったんです」
夫人の顔が、ぱっと明るくなった。
「あら、良かったじゃない! 良かったわぁ」
「ガブリエルさんの商品を私に教えてくれたのは、カトリーヌ夫人なんですよ」
「え!? そうだったんですね」
「ええ。商談でお会いした時に、夫人が被っていらした帽子があまりに美しくて」
「いやねえ」夫人が笑い飛ばした。「私じゃなくて帽子がいいのよって、紹介したの」
「ありがとうございます」
二人の話し声が重なり、笑いが混ざり合う。私はその様子を見ながら、グラスを持ちかえた。
──彼は商人。誰とでも調子を合わせて話せるのだわ。本気にしちゃいけない。
「飲み物をとってこよう……」
その場を離れようとした瞬間、背後から声がかかった。
「今晩は私に、貴方をエスコートさせてくれませんか」
足が、止まった。
振り返ると、ニッキーがまっすぐ私を見ていた。
「あなたと、たっぷり話したい」
シャンデリアの光が、彼の目の奥で静かに揺れていた。