作品タイトル不明
取引成立
「ば、バカな! 盗むつもりか!?」
ジャックの声が、居間に張り付いた。
「は? 違うでしょ」
ロザリーは眉一つ動かさない。
「あの建物はあなたのものよ? そこにあるものも、あなたの物でしょ」
「だ、だが一ヶ月後まで、あの建物を貸し出す約束をしてる」
「賃貸契約書を交わしたわけじゃないでしょ」
ジャックの口が、開いたまま止まった。
「ただの口約束じゃない」
「……」
「離縁したなら、あの女は赤の他人よ。むしろ、あなたは不法占拠されている被害者じゃない」
ジャックは黙った。沈黙は煮えきらない色をしていた。
「……どうしてそんなに煮えきらないの!?」
ロザリーの声が跳ね上がった。目に涙の膜が張る。
「本当は私より、あの女が好きなんじゃないの!?」
「ちが──」
「酷い! 酷すぎるわ!」
両手で顔を覆い、ロザリーは肩を震わせた。ジャックが狼狽えながら一歩踏み出す。
そのとき、男の手がジャックの肩に置かれた。
「ちょっといいですか、旦那様」
振り返ると、男が一人立っていた。無表情で、声だけが妙に穏やかだ。
「な、なんだお前は……」
「トーマスと申します」
もう一人が、後ろに控えている。二人とも、どこかに刃物を忍ばせているような気配がある。
「あっしらに依頼しちまった以上、やらないとかないんですよ」
「……」
「それとも旦那様が、キャンセル料を払ってくれるんですかい?」
「な、なぜそうなる!? そんなものビタ一文払わんぞ!」
「だったら」
トーマスの目が、ゆっくり細くなった。
「ここは黙って頷いてください。なあに、悪いようにはしませんから」
ジャックの背筋が、静かに伸びた。伸びるというより、固まった、という方が正確だった。
時間が経った。
ロザリーはすっかり落ち着いた顔で、椅子に座っていた。
「最近のあの女は、使用人のミシェルの家で寝泊まりしてるんですわ」
トーマスが言う。
「ってことは、店は夜に誰もいなくなるってこと?」
「はい。ただ最近は深夜まで作業していることが多く、帰りは遅いですね」
「お、おい」
ジャックが口を挟む。
「何? あなた、まだ文句があるわけ?」
「か、仮に今回、出荷できたとして、その後どうするんだ?」
「そちらも大丈夫ですよ」
トーマスがさらりと答えた。
「今、腕の良い職人を探させています。サンプルがあれば再現可能ですよ」
隣でヴィンセントが無言のまま立っている。それだけで、空気に重さが増す。ジャックは何も言えなかった。
「ロ、ロザリー」
絞り出すように声が出る。
「友達と言っていたが、こいつらは何者なんだ。信用できるのか?」
「信用できるわよ」
ロザリーは微笑んだ。
「私たちは、子供の頃からの古い古い関係なの」
ジャックは黙った。それ以上、何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、今日は解散」
夜の通りに、私の声が溶ける。
「十分、在庫も作れたし、明日から売って売って売りまくるわよ」
「はい!」
返事が揃う。みんなの顔に、疲れと満足が同じ分量で乗っている。私はそれが好きだった。
ナタリーと並んで歩き出す。街灯が石畳に丸い光を落とし、足音が二つ重なる。
店の影が、私たちの背後で長く伸びる。
その暗がりに、二つの人影が溶け込んでいた。
トーマスが合鍵を取り出した。
「合鍵もあるんじゃ、取ってくれと言っているようなものだ。楽な仕事さ」
鍵穴に差し込み、回す。錠が外れる音は、ひどく小さかった。
倉庫の中は静かだった。棚に沿って箱が並んでいる。トーマスが蓋を開けた。
「ご丁寧に、在庫が三百個まとめてあるじゃねえか」
「店にあるのはそれだけみたいだ」
ヴィクターが周囲を確かめ、頷く。
「まあいい、帰るぞ」
「おう」
二人は箱を抱え、夜の中へ消えた。
◇ ◇ ◇
汽車が、駅に滑り込んだ。
線路の外で、ロザリーが手を上げた。
「いらっしゃったわ!」
扉が開き、ニッキーとマルコスが降り立つ。
「こんにちは、バルサン男爵、それと──」
「ロ……ガブリエルですわ」
ロザリーが一歩前に出た。目が、ニッキーの顔の上で柔らかく光る。
「やあ、ガブリエル」
ジャックが横から声を滑り込ませた。
「や、約束通り在庫は用意した。検品してくれ」
マルコスが箱を確かめ、顔を上げる。
「商品は問題ないようです」
「あなたのことを思って、一生懸命用意したのでしてよ」
ロザリーが微笑む。
「と、ところで支払いの方だが。初回取引は現金で……」
「ああ、その件ですが──」
「遅れて申し訳ございませーん!」
声が、駅のホームに弾んだ。
全員が振り返った。
息を弾ませながら、私は走っていた。スカートの裾を持ち上げ、鞄を肩に引っかけ、ホームの石畳を踏む。
「な、なんでお前がここに!」
ジャックの顔が、一度白くなった。ロザリーの目が、細く鋭くなる。
「約束通り、素晴らしい出来です」
ニッキーが私に手を差し出した。私はその手を、しっかりと握った。
「ぜひ、今後も取引させてください」
「ありがとうございます」
「??????」
ジャックが口を開けたまま、私たちの握手を見ている。
私はジャックに向き直り、微笑んだ。
「今回はどうもありがとう、バルサン男爵」
一拍、置く。
「我々の在庫を、わざわざ運んでくれたんですよね」
ロザリーとジャックの顔が、同時に固まった。