作品タイトル不明
出会い
「ええ、あなたがガブリエル商店のオーナーなんですか?」
ニッキーの目が、私の顔の上で止まった。
「え、ええ。そうですけど」
「若、どういうことですか」
隣の男──部下らしい──が眉を寄せる。
「さっきバルサン男爵と契約したとおっしゃっていましたよね?」
「ああ、バルサン邸で。そこに男爵と、店主のガブリエル夫人がいたんだ」
私の胸の中で、何かが冷たく落ちた。
「私が、ガブリエルです」
声は静かに出た。自分でも驚くくらい、落ち着いていた。
「先月、バルサン男爵と離縁しました」
二人が黙った。汽車の車輪が線路の継ぎ目を踏む音だけが、規則正しく続く。
「し、失礼ですが──それを証明できますか?」
「わかりました」
鞄の留め金を外し、書類入れを取り出す。不動産を当たるつもりで、今夜は証明書類を一式持ってきていた。我ながら用意がいい。
「こちらが私の身分証明証と、ガブリエル商店の営業許可証です」
二枚の紙を並べて差し出す。二人の視線が、同時に書類へ落ちた。
しばらく、沈黙が続いた。
「……本物だ」
部下の男が、低く言った。ニッキーも同じ顔をしていた。
時間が、少しだけ経った。
「失礼しました」
ニッキーが顔を上げた。声に、きちんとした重みがある。
「まさか別人と契約してしまうとは……」
「若、店舗にも行かずに契約するからそうなるのです」
「時間がなかったんだ。仕方ないだろ」
二人のやりとりを聞きながら、私は窓の外を見た。夜の景色が流れていく。街の灯が点在し、やがて暗い野原に変わる。
──危なかった。ジャックの嫌がらせで、とんでもないことになるところだった。だけど……。
「でも」
ニッキーの声が、私の思考を引き戻した。
「これは運命ですね」
「……え?」
「偽物と契約した日の晩に、本物とこうして同じ汽車に乗れた」
彼は少し身を乗り出した。目が、真剣なのか笑っているのか、判断がつかない。
「私たちの出会いに、意味があると思いませんか? ガブリエルさん」
空気が一瞬、止まった。
隣の部下が、何か言いたそうに口を引き結んでいる。
私はこらえようとしたが、間に合わなかった。
「……っ」
吹き出してしまった。
「騙されたそんな日に、そんなことが言えるなんて」
笑いが止まらない。おかしくて笑ったというより、あまりにも予想外で、体が先に反応してしまった。
「随分と前向きなお人ですね?」
「僕は商人です」
ニッキーは少しも動じずに言った。
「商売は七転び八起きが基本ですから」
汽車が速度を変えないまま、夜を走り続ける。
話すうちに、相手のことが少しずつわかってきた。
「カートライト商会!?」
思わず声が出た。
「ご存知ですか?」
「ええ。私たちも毛皮などはそちらから仕入れていますから」
「ありがとうございます」とニッキーは言った。照れているのか、素直なのか、やはりよくわからない人だ。「基本は貿易事業を営んでおりますが、各種商品の国内流通も始めたんですよ」
「なるほど」
「ぜひ、あなたのお店の商品を王都で扱いたいのです」
「それは……またとないお話ですが」
「しかし」と部下が口を挟んだ。「そのバルサン男爵ってのも、タチが悪いですね。ばれなかったらどうするつもりだったのでしょう」
「次の駅で戻って厳重に抗議しよう。もしくは詐欺で告発してもいい」
「いえ」
私は首を振った。
二人が同時にこちらを見る。
「その契約は、そのままでお願いできますか?」
「……は?」
「商品は私どもが、丸ごと納品させていただきます。ですので──」
◇ ◇ ◇
朝の光が、店の窓ガラスを白く染めていた。
「ガブリエルさん、王都のはずでは!?」
ナタリーの声が裏返る。
「ずいぶん早かったな」
パージが目を丸くしている。
「途中で降りて、始発で蜻蛉返りしたのよ」
「は?」
「それより聞いて」
鞄をカウンターに置き、コートを脱ぐ。一晩中汽車に揺られた体は少し重いが、胸の中には火が燃えている。
「行きの汽車で、帽子の発注を三百個受けたのよ」
「三百個!?」
パージの声が天井まで届いた。
「ちょっと待ってください」ミシェルが手を挙げる。「まだ予約受注分の生産も終わってないのに」
「新たな予約受付は一旦止めましょう。その分、帽子の生産に注力してほしいの」
「わ、わかりました」
私は四人の顔を見渡した。眠そうな目、埃のついたエプロン、指先に残った糸の跡。みんな、昨日も遅くまで働いていた。
「いい? 今、私たちにはとてつもないチャンスの風が吹いている」
店内が静まった。窓の外で、朝の通りが動き始めている。
「それを絶対に掴むのよ」
◇ ◇ ◇
バルサン邸の居間に、見慣れない影が二つあった。
「な、なんだこいつらは」
ジャックが廊下の入り口で足を止める。
男たちは物言わぬまま、椅子に座っていた。目つきが鋭く、笑っていない。ロザリーだけが、いつものように微笑んでいる。
「私のお友達よ。ちょっと手伝ってもらいたいことがあって来てもらったの」
「手伝ってもらいたいこと?」
「帽子の納品日が近づいているでしょう?」
ジャックの眉が、じわりと寄る。
「だから帽子を手に入れる必要があると思って」
「ど、どこから手に入れるつもりなんだ」
ロザリーは微笑んだまま、ゆっくりと答えた。
「決まってるでしょ」
指先が、膝の上で組まれる。
「ガブリエル商店から、貰えばいいじゃない?」