作品タイトル不明
ガブリエルとミランダ
クレシェント家の応接室は、体育館のような広さだった。
中央に大きなステージがあり、その上にソファが置かれている。壇上に上がるための階段が両脇に伸びていた。
ミランダ・クレシェント夫人は、壇上を悠然と歩いていた。やがてソファに腰を下ろし、子供達が左右に立った。
──ミランダハウス謁見の間。
数段高い位置に置かれた椅子は、クレシェント伯爵夫人専用だった。
「一体、アタシに何の用だい? ガブリエル」
「お時間いただき、感謝しますわ。クレシェント夫人」
私は階下に立ったまま、頭を下げた。
ミランダは伯爵夫人という立場でありながら、この場で対峙する者には、自身に対して王や皇帝や教皇に対するのと同じレベルの敬意を要求していた。
その時の客人の反応は、ほぼ三タイプに分かれる。
──彼女を畏怖し、おもねる者。
──戸惑い、困惑しつつも対話する者。
──怒り、その場を後にする者。
──そしてガブリエルは——。
私は前に進んだ。
階段の前で止まり、ミランダの目を見上げた。
それから、一段、また一段、上がり始めた。
ミランダの眉が、わずかに動いた。
階段を登りきり、ソファの前まで歩いた。
「よいしょっと」
私は、いきなりソファの端に腰を下ろした。
ミランダがぽかんとした。子ども従者の二人も、表情が止まった。
「あなたとは、目線を合わせて話したいんです、クレシェント夫人」
変な距離感のまま、二人は並んでいた。
ミランダがしばらく沈黙してから、腰を動かして私と距離を取った。
ようやく適切な間が空いて、夫人がため息混じりに口を開いた。
「さっさと要件を言いな。あたしゃ忙しいんだ」
私は前を向いたまま答えた。
「ブレンナールの公金から資金を受けて慈善事業をするのを、辞めていただきたいんです。ベルモンド行政官の代わりに、それを言いに来ました」
「はあ?」
しばらくして、ミランダが鼻で笑った。
「話にならないね。なんで、アタシがあの婆さんの基金から金なんか受けなきゃならないんだ」
「あなたにとって、悪い話ではないと思いますが?」
「んな訳ないだろう?」
夫人の声が低くなった。
「金の使い方に口を出されるってことは、私の教育に口を出されるってことだ。面白くないね」
「あなたには、公金着服の疑いがかかっています。孤児院の運営にしても、就労補助施設の運営にも」
「勝手に言わせたい奴には言わせておきな。アタシはそれで、立派に子供達を育ててきたんだよ」
「その子供達の中には、闇社会に身を下ろし非合法な活動をしているらしいじゃないですか」
「それの何が悪いんだい」
夫人が身を乗り出した。
「私は別に、聖人君主として育てたいんじゃないんだよ。私はこの生馬の目を抜くようなこの世界の生き方を、子供たちに教えているんだ。結果、ギャングだろうが娼婦になろうが構わねえんだよ」
夫人が手で扉を指した。
「わかったら帰れ、馬鹿野郎!」
応接室がしんとした。
「帰りません」
私は、はっきり答えた。
「帰れよ」
ミランダの声が、低くなった。
「……あんま言いたくないんだけどよ」
一拍、置いた。
「殺すぞ?」
私は、夫人の目を見た。
ダイヤの義眼の奥に、本気の色があった。
──この時、ガブリエルは思った。
──ミランダの「殺す」は脅しではないのだろう。実際に何人か人を殺してきた人間の「殺す」なのだと。
だが、不思議とガブリエルは恐怖を感じなかった。
なぜなら、先ほどミランダが話した内容には、彼女なりの信念を感じ取れたからだ。そして、彼女が彼女なりの「筋」で動いている人間なのもわかった。
──逆に言えば、その筋さえ違えなければ、殺されることはないとガブリエルは考えたのである。
一方、ミランダは、自分から見ればこんな小娘に啖呵を切っている自分に驚いていた。
──自分を恐れるでもなく、媚びるでもなく、戸惑うでもなく、対等に接してくる人間は、この数十年なかったかもしれない。
──殺すという、実行するつもりはまだないが、しようと思えば子供達の誰かに手配すれば可能な脅し文句にも、怯えを持たないのも不思議だった。
「クレシェント夫人、この話をお受けしていただくまで、私、帰れませんのよ?」
私は微笑んだ。
ミランダがしばらく私を見て、それから立ち上がった。
「そうかわかった」
夫人が、片手を腰に当てた。
「ワインでも飲みながら話そうぜ?」