作品タイトル不明
怯えなき者
「ベルモンドさん、あなたにお願いしたい仕事があります。聞いてもらえますか?」
「な、なんでしょう?」
「私、この街にカトリーヌさんの名前を冠した基金を作りたいんです」
「……基金!?」
「その発起人の一人になっていただけないでしょうか?」
ベルモンドの目が泳いだ。私はゆっくり、彼の目を捉えた。
「ガブリエルさん……」
ニッキーが静かに私を呼んだ。
「ニッキーさん、あなた方カートライト商会は、まだこの国に根を張っている最中です」
私は彼にも顔を向けた。
「今は争いよりも、応援してくれる人を増やすのが先決だと思うんです」
「理解した」
マルコスが頷いた。
「つまり、カトリーヌ夫人の債権を元手に基金を設立すると」
「ええ。そして、それを運用し、社会貢献を果たすのはいかがでしょうか? 基金は孤児や浮浪者など、弱い立場の人たちのために使われます」
ベルモンドが顔を上げた。
「すでにベルモンドさんは、行政官として社会貢献事業に携わっている。この基金があれば、クレシェント夫人との関係性を変えることができる。カートライト商会も、社会貢献で名を上げる事が出来る」
私は三人を見渡した。
「一石二鳥じゃないですか?」
「債務者たちが、基金のためとはいえ金を返すかだな……」
マルコスが顎に手を当てた。
「いや、この債権を担保に銀行融資を受ける手もある」
ニッキーがすぐに反応した。
「なるほど」
「ちょっと待ってくれ」
ベルモンドが割って入った。
「クレシェント夫人に基金を流すということか?」
「はい。だって彼女が慈善活動に力を注いでいるのは、事実ですから」
「!」
私は人差し指を立てて続けた。
「ただし、孤児院や就業者施設が適切に運営されているか、基金が適切に使われているか、監査を受け入れてもらいます」
「だが、そんな要求をクレシェント夫人が飲むだろうか」
マルコスが腕を組んだ。
「それは、私が交渉します」
三人が、同時に私を見た。
「この話がまとまるなら、私が王都に帰ってクレシェント夫人に会いに行きます」
「まさか、一人で行くつもりですか」
ニッキーの声に、心配が滲んだ。
「はい。女同士で二人で話した方が早いでしょ? みんな、不必要にクレシェント夫人を恐れすぎだと思うんです」
私はわざと、軽い口調で言った。
「案外、気のいいおばちゃんなのかも?」
三人の顔が、固まった。
◇ ◇ ◇
王都の街並みを、馬車が抜けていく。
クレシェント邸の食堂で、ミランダ・クレシェント伯爵夫人は肉を切っていた。
足元では、ブルドッグが床に置かれた皿の肉を噛んでいる。
夫人の隣に料理人が控え、子ども従者二人が扉のそばに立っていた。長テーブルの反対側には、小柄な男が一人。
「焼き加減が甘いね」
夫人がフォークを置いた。
「あんた、私を食中毒で殺すきかい?」
「す、すみません」
「さっさと焼き直すんだね。そうしないと、アンタも犬に食わせちまうよ」
「ひっ」
料理人が小走りで部屋を出ていった。
夫人は、その後ろ姿を見送りながら、ふと思った。
──いつからだろう。自分を見る人々の目の中に、常に怯えが見えるのは。
ダイヤの義眼が、シャンデリアの光を受けて鈍く煌めいた。
──戯れに、このダイヤの義眼を入れた日からか。それとも、このクレシェント家に嫁いできた日からだろうか?
長テーブルの先に座る小柄な男に、視線が向いた。気弱そうな笑みを浮かべている。
──夫のフィリック・クレシェント伯爵である。
夫は生まれながら性機能が弱く、二人に子供はいない。その代わりに、たくさんの養子を育てた事が自慢だった。
ミランダは、過酷な環境で育った孤児たちの目が好きだった。
彼らの目には怯えはなく、代わりにあるのは怒りと憎しみ。
ミランダの、大好物である。
「奥様、お客様です」
侍女が扉から声をかけた。
「客?」
「ええ、ガブリエルという方が……」
夫人の手の動きが、止まった。
応接間の扉の向こうで、強い目をした女が一人、立っていた。