軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

月下の宴

「カトリーヌ夫人を侮辱するのは、私は許さない」

クレシェント夫人と、私が向かい合った。

「おい、小娘」

夫人の声に、私はわずかに身を硬くした。

「アタシは嘘は言わないし、嘘もつかせない」

夫人の手が、サングラスにかかった。

ゆっくりと、それを外す。

ダイヤモンドの義眼が、裏庭のランプの光を受けて、鋭く煌めいた。

「婆さん……アンタ、長くないだろ?」

カトリーヌ夫人が、口を開いた。だが、声が出てこなかった。スタッフたち全員の視線が、夫人に集中した。

「だから、あなた……!」

私が一歩踏み出そうとした時、ニッキーが前に出た。

「失礼ですが、この会は招待制になっております」

ニッキーの声は、静かだが、揺るがなかった。

「部外者は、お引き取りを」

クレシェント夫人が、ニッキーへ視線を移した。

「……小僧。アルビオンの商人だね?」

夫人が義眼を手で大きく見開き、ニッキーを覗き込むようにした。

「分かるよ? アンタは、まだ女を知らないようだ」

「アタシが相手をしてやろうかい?」

クッ、と笑う声が、夫人の喉から漏れた。

ニッキーは毅然と立っていた。

「お引き取りを!」

夫人が、後ろを振り向いた。

「言われなくても帰るよ」

歩き出しながら、夫人がふと足を止めた。

「あ、アンタら。王都駅前の土地を買い漁っているようじゃないか?」

「!」

「あの辺のシマはアタシらのもんなんだよ。どうしても商売したかったら、アタシに頭を下げに来るんだね」

ニッキーが、息を呑んだのが背中越しにわかった。

クレシェント夫人は、それきり振り返らずに帰っていった。

裏庭の灯りが、彼女の去った場所を、ぽっかりと明るく残していた。

◇ ◇ ◇

スタッフだけのパーティ会場に、夜が降りていた。

「なんて醜悪な女だ。信じられん」

パージが低く吐き捨てた。

ニッキーが、私の側に来た。

「この街の行政官には、私たちの方から強く抗議しておきます。場合によっては、クレシェント夫人を営業妨害で訴えますので、心配しないでください」

「ありがとうございます……」

ニッキーが、振り返って全員に声をかけた。

「みなさん、私たちだけでセレモニーパーティをしましょう」

スタッフたちが、それぞれ顔を上げた。

「カトリーヌ夫人、良ければ乾杯のご挨拶を」

夫人は、椅子に座ったまま、黙っていた。

「夫人?」

しばらく、間があった。

それから、夫人がゆっくりと顔を上げた。

満面の笑顔だった。

「そうね。私たちだけで楽しみましょう」

乾杯のグラスが、夜の中で交わされた。

ワインが回り、料理が並び、誰かが笑い、誰かが歌った。気づけば、パージとニッキーが肩を組んでいた。ミシェルとナタリーが、テーブルの隅で美味しそうにご飯を食べていた。

マルコスがバイオリンを取り出した。最初の音が裏庭に響いた瞬間、空気が変わった。

カトリーヌ夫人とエレナと私は、並んで椅子に座り、その演奏を聴いていた。

私は夫人を見た。

夫人もこちらを向き、笑った。

子供のように嬉しそうな、それでいてどこか満ち足りた笑顔だった。

月が出ていた。

裏庭の上で、月明かりが布の白さを冴え冴えと照らしていた。

その光の中で、ささやかな宴が続いていた。

◇ ◇ ◇

朝。

ナタリーの家の食卓で、パージがこめかみを押さえていた。

「痛た」

「昨日は飲みすぎちまったな」

ナタリーが、しょうがないなあという顔で見ていた。

「ガブリエルは?」

「もう店に行ってるわ。最終チェックしたいんだって」

ブレンナール店。

商品棚の前で、私は立っていた。

帽子台、靴の列、日傘の柄、解放の黒のドレス、カウンターの上のレジスター、棚の奥に控えている在庫の箱。一つひとつを、鋭い目で確かめていく。

──商品も、店の雰囲気も、私たちは全力を尽くした。

外に出て、看板を見上げた。マルコの絵の中で、女が日傘を差して街を歩いている。

──パーティはああなったけど、この店の存在は、貴族夫人には伝わっている。

頭の中に、クレシェント夫人の顔が浮かんだ。サングラスを外したあの瞬間、義眼が光った瞬間。

──あの女が何をしようと、私たちが負けるはずがない。

闘志が、胸の底で静かに燃えた。

私は店の前を後にして、通りを歩き出した。

──昨日は色々あったけれど、夫人にお礼を言いに行こう。あの月下のひとときを、ちゃんと感謝しなければ。

カトリーヌ邸の前で、ノッカーを叩いた。

扉が開いた。

執事が立っていた。

「おはようございます。夫人に昨晩のお礼を……」

「ガブリエル様……」

執事の声が、いつもと違った。

低く、押し殺されていた。

「今朝、夫人は亡くなりました」

時間が、止まった。

「……え?」