作品タイトル不明
母の影
オープン前の店内に、明るい陽射しが差し込んでいた。
帽子台の上で、新しい帽子が朝の光を受けている。日傘が並び、靴が床に整列し、奥の棚には解放の黒が掛かっている。すべてが、最終チェックを終えていた。
「みんな、本当にありがとう。これで準備は完璧ね!」
「はい!」
ミシェルとナタリーが声を揃えた。
その時、扉が開く音がした。
私が振り返ると、見慣れた靴先が見えた。
「ごきげんよう、ガブリエル」
カトリーヌ夫人だった。
「カトリーヌ夫人! 来てくれたんですね!」
夫人は店内を見渡し、感嘆の表情を浮かべた。
「まあ、なんて素敵なお帽子かしら。私、あなたのセンスが本当に好きよ」
「ありがとうございます」
夫人の目が、商品の縁に縫い付けられた小さな布に止まった。
「このマークがとてもいいわ。これ、全部についてるの?」
「はい。このオープンから、このタグがうちの商品の証です」
「とても素敵ねえ」
「皆で頑張った成果です」
私は少し照れた。夫人がそっと私の手を取った。
「ところで、セレモニーパーティーの件だけれど……」
少し緊張した。夫人の声が、いつもより柔らかい。
「周辺の貴族たち全員が参加してくれることになったわ」
「本当ですか! とても嬉しいです!」
「ええ、皆あなたに会えるのを楽しみにしているわ」
「ありがとうございます、夫人。本当に感謝しています」
夫人がそっと、私の頬に手を添えた。掌が、少しだけ温かかった。
「あなたは私にとって、娘のような存在よ。心から応援しているわ」
私は夫人を抱きしめた。夫人もそっと、私の背中に手を添えた。スタッフたちが、少し離れたところから微笑ましく見守っていた。
◇ ◇ ◇
ブレンナール駅に、蒸気機関車が滑り込んでいた。
蒸気が低く広がり、ホームに白い帯を作る。乗客たちが次々と降りてくる。その流れの中に、エレナの姿もあった。
ホームの端で、ロザリーとマリアが立っていた。緊張した面持ちだ。
「来たわよ」
「ええ」
蒸気の向こうから、艶のあるパンプスが見えた。続いて、長い指の先のパイプ。
「あー、遠かったわ〜」
クレシェント夫人が現れた。後ろに少年と少女を従えている。
「汽車の中ってとっても退屈」
「ようこそママ」
ロザリーとマリアが、作り笑顔で言った。
馬車に乗り込みながら、夫人がパイプを咥えた。
「で、あんたたち、上手く行ってるのかい?」
「ええ、マリアの手腕で店は絶好調さ」
「そんな、姉さんも工場を動かしてるじゃない」
二人の応酬を、夫人は黙って聞いていた。表情に、何も出していなかった。
「とりあえずママ、私の家に来てくれる? みんな待ってるわ」
「あ、そうそう」
夫人がパイプを離した。
「ここに来る前に、この地の貴族と手紙のやりとりをしてたんだよ」
「せっかくブレンナールに来るなら、あるパーティに参加しないかって」
「パーティ?」
姉妹の声が揃った。
「新ガブリエル商店の、セレモニーパーティだよ」
二人の表情が、同時に固まった。
「……あいつら、まだ諦めてなかったのか?」
「まさか、ママ、参加するつもり?」
夫人は、片目を細めた。義眼のダイヤが、馬車の窓から差し込む光を受けて煌めいた。
「さあ」
意味深な笑みを浮かべた。
「どうするかねえ」
◇ ◇ ◇
ガブリエル商店の裏庭で、私とエレナはティータイムを楽しんでいた。
陽射しの中で、紅茶の湯気が立ち上る。鳥の声がどこかで小さく聞こえる。
「エレナも来れて良かったわ〜」
「ええ。お店を若い子に任せてきたの。新しいお店、見たいじゃない」
「ブレンナールはどう?」
「素敵な所ね。思ったより活気があるわ」
「そうなのよ。どんどん変わっていってるの」
エレナが鞄をゴソゴソと探った。
「あ、そうそう。ガブリエルにこれを持ってきたのよ」
ジャラッと、テーブルの上に何かが置かれた。
私は驚いて目を落とした。
──!
ダイヤのネックレス。そして、真珠のネックレス。
「これ、もしかしてイミテーション!?」
「そう。職人さんが頑張ってくれたの」
「すごい。まるで本物のダイヤね」
「カットガラスの優秀な職人が見つかったそうよ」
私はもう一つの方を持ち上げた。乳白色の珠が、糸に沿って整然と並んでいる。
「こっちは? まさか、真珠? いくらするのよ」
「ふふっ」
エレナの口元が、いたずらっぽく動いた。
私はしばらく、その珠を見ていた。
──まさか。
「これも、イミテーション!?」
「そう!」
「最近アルビオン共和国で開発された最新技術よ!」
「……!」
私は珠を手の中で転がした。本物と区別がつかない。それどころか、形の揃い方は本物以上だ。
「……解放の黒に、きっとどちらも似合うわね」
「これを私たちがつけて、セレモニーパーティに出るのはどう?」
「素敵!」
二人で顔を見合わせ、笑った。
裏庭の陽射しが、二つのネックレスの上で柔らかく散っていた。