軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ニッキー・カートライト

「こちらに、ガブリエル・レ・バルサン夫人はお住まいですか?」

声は落ち着いていた。夜の空気に馴染む、よく通る声だ。

ロザリーは扉の向こうに立つ男を見た。背が高く、物腰が柔らかく、目の奥に何かを測るような光がある。年齢は自分とそう変わらないはずなのに、どこか場馴れした佇まいがある。

「もしかしてバルサン男爵ですか」

男の視線がジャックへ動く。

「いかにも」

ジャックが胸を張る。

「ということは、こちらがガブリエル夫人?」

「……いや、それは──」

「そうですわ」

ロザリーはジャックの言葉を、やわらかく遮った。ジャックが振り返る。目が白くなっている。

男の表情が一変した。

「おお、貴女が!? 突然押しかけてしまい、申し訳ございません」

「いいえ」

「ぜひ、貴方の作った商品を取引させていただきたいのです。どうか商談の機会を──」

「ええ、是非お話を聞かせていただきたいわ。お入りになって」

ロザリーは一歩退き、扉を大きく開いた。男が会釈して敷居を越える。

「ありがとうございます」

「こちらにどうぞ」

廊下を先に歩きながら、ロザリーはジャックの袖を指先で引いた。ニッキーの背がランプの光に遠ざかる。

「おい、どういうつもりだ」とジャックが低く囁く。

「あなた、あの店を引き継ぐつもりなんでしょう? 美味しい話だったら、あなたが受ければいいじゃない」

ジャックの目が、一度大きくなった。

居間に通すと、男は室内を軽く見回した。

「ああ、こちらはご自宅なんですね。店舗はどちらに?」

「今、店は改装中でしてよ」

ロザリーは微笑んだまま答えた。

「来月、改めて新装開店する予定ですの」

「新装開店!?」

「詳しい話は、お茶を飲みながらどうですか?」

「は、はい」

ロザリーは台所へ向かい、湯を沸かし始めた。背後でジャックが棒のように突っ立ったまま、こちらを見ているのが気配でわかる。構わない。お茶の葉を選びながら、ロザリーは静かに考えていた。

◇ ◇ ◇

「まあ、アルビオン共和国のお方なんですの」

天井に声が響く。三つのカップから湯気が立ち、蝋燭の炎が揺れた。

「はい。周辺国を行ったり来たりはしていますが、本社はそちらにあります」

「お若いのに、随分成功なさっているのね」

男──ニッキーは、照れたように首を傾けた。ジャックが横から口を挟む。

「き、君は? 貴族の出身かい?」

「いえ、私は小さな商家の生まれです」

「なんだ、平民の出か」

ジャックの声から、肩の力が抜けた。ロザリーは横目で彼を見て、小さく息を吐いた。

「父の仕事を引き継ぎ、なんとか商会を大きくしてきました」とニッキーは続ける。「私の夢は、世界中に自分の商会を展開することなんです」

「素敵な夢ね」

「ありがとうございます。そのためのご相談なのですが──」

ニッキーが背筋を伸ばした。

「ぜひ、貴方の店の商品を独占的に販売させていただけないでしょうか」

ジャックとロザリーの視線が、同時に男に向いた。

「人づてに、貴方の店の商品を手に入れました。特に帽子が素晴らしい。この国の王都でも、私の国でも、必ず通用しますよ」

見送りのあと、夜風が廊下を抜けた。

扉が閉まり、足音が遠ざかり、やがて石畳に消える。ジャックがロザリーの隣に並んだ。

「どうするつもりだ?」

「何がですか?」

「こんなに沢山の帽子の発注なんか、受けてしまって」

ロザリーは前を向いたまま、笑顔を変えなかった。

◇ ◇ ◇

汽車の汽笛が、夜の駅に長く鳴った。

プラットフォームに人が流れ、トランクを引く音と靴音が混ざり合う。私は鞄を持ち直し、乗車口へ向かった。

──王都へ行く。

物件を探しに。新しい店の、最初の一歩を刻みに。

回想が、まだ耳の奥に残っている。

「王都に店を!?」

ナタリーが目を丸くした。ミシェルが口を開けたまま固まる。

「ええ。だから王都に物件を探しに行こうと思うの。今夜の汽車で向かうわ」

「この地のお客様は沢山いますけど……」

「大きく商売をしようと思ったら、王都に店を出さなきゃダメだと思うの」

パージが腕を組んだ。

「ということはワシらも王都に行けって事かい?」

「無理にとは言わないわ。王都は二号店にして、この地に店を残すこともできる。ただ……」

「バルサン男爵の嫌がらせか」

パージが低く言った。

「ええ。この地の地主は男ばかりだから、移転先の店舗がなかなか見つからないの。だったら王都も当たろうと思って」

しばらくの間があった。パージが天井を見て、それから私を見た。

「わかったよ。こうなったらどこにでも付いていくぜ。なあ」

「はい!」

ミシェルとナタリーの声が揃い、店内の空気が一度だけ弾んだ。私は少しだけ笑った。笑いたくて笑ったのではなく、こぼれてしまった、という感じの笑い方だった。

乗車口の近くで、声が聞こえた。

「取引が成立した!?」

私の足が、半歩だけ止まる。

「いきなり家に押しかけたんだが、バルサン男爵も夫人も歓迎してくれてな」

男が二人、話しながら歩いている。片方は若く、もう片方はそれより少し年嵩に見える。

──バルサン男爵。

私の胸の中で、何かが静かに起き上がった。

「あの、もし……」

声をかけると、若い方の男が振り返った。

視線が合う。一瞬、何かを確かめるように相手の目が動いた。

「あなたの帽子──もしや、ガブリエル商店の製品じゃありませんか?」

私は男の胸元を見た。

小さなブローチ。見覚えのある縫い目。間違いない。自分の手が作ったものだ。

「……それは」

「ガブリエル商店の帽子なんです。ずっと探していて、やっと手に入れたんですよ」

男の声に、嘘はなかった。目が、まっすぐ私を見ている。

「実は今日、バルサン夫人とお会いして──」

私は一度、息を吸った。

「私が、ガブリエルです」

男の表情が、静止した。