作品タイトル不明
チャンス
「すっごいダイヤ。それっていくらするのよ」
エレナが私の胸元を覗き込んだ。
「さあ……研究開発費って言ってたけど。イミテーションの開発が終わったら返すつもりよ」
──多分、ニッキーさんは返してほしくないと思うなぁ。
エレナの内心がどうあれ、口は何も言わなかった。
その時、扉のベルが鳴った。
店内に入ってきたのは、奇妙な一団だった。
中央に立っているのは、上等なドレスを纏った中年の女性、女性にしては随分大柄だ。サングラスをかけ、口にパイプを咥えている。後ろに、まだ少年と少女としか言えない年齢の従者が二人控えていた。
「いらっしゃいませ」
ナタリーが声をかける。
「オーナーいらっしゃる?」
声に、独特の重さがあった。
エレナが私の耳元で囁いた。
「あの人、確かクレシェント夫人。色んな意味で有名な貴族よ」
「……私が行くわ」
私は前に出た。
「はい、私ですが」
「その、黒い服を仕立ててほしいの。今、流行ってるんでしょ?」
「はい。ではこちらに」
採寸室。
巻尺を回しながら、私は彼女の体に布を当てていく。
「しっかし、こんな場所で女が商売なんて変わってるわね」
「よく言われます」
「しかも、そんなカラスみたいな黒い服を売るなんて」
「きっとお似合いになりますよ」
クレシェント夫人がサングラスを外した。
「……褒めてるのよ。あなた、度胸あるわ。知ってる?」
巻尺を持つ手が、少しだけ止まった。
「男は愛嬌」
夫人の視線が、控えている少年に向いた。
「女は度胸」
次に少女に移った。
「ってね」
夫人が指で目を開いて見せた。
私は、息を呑んだ。
──ダイヤ……の義眼?
片目に、大粒のダイヤが嵌め込まれていた。光が当たると、部屋の中で星のように散る。
「す、」
私はすぐに笑顔を作り直した。
「素敵な義眼ですね」
夫人の眉が、わずかに動いた。意外そうな顔だった。
「ふっ」
サングラスをかけ直す。
「そうでしょ? あなたのダイヤより大きいの」
夫人が、片手で目を開いて見せながら笑った。
「……はい。大きくて驚きました」
布の仮止めを進めた。
鏡の前に夫人を立たせる。
「どうでしょう。こちらは既製品を仮止めしていますが、ピッタリのサイズに仕立てることもできます」
夫人は鏡を凝視した。それから、ゆっくり首を傾けた。
「うーん、地味?」
「……」
「まあ、いいわ。布地だけ頂けるかしら」
「お気に召しませんでしたか?」
「いいえ、黒い服は面白いわ。でも、私が着るにはちょっと地味。こちらの方で手を加えるわ」
「……承知しました」
馬車に乗り込みながら、夫人が振り返った。
「また来るわね」
馬車が遠ざかっていく。
私はその後ろ姿を、しばらく目で追っていた。
◇ ◇ ◇
貴族の邸宅の奥、広い居間に、足湯の湯気が立ち上っていた。
クレシェント夫人は、王のように高い椅子に腰を下ろしていた。少年が彼女の右足を、少女が左足を、それぞれ湯に浸してマッサージしている。
「なかなか、芯の強そうな女だったね」
夫人がパイプを咥えた。
「店も繁盛して、上手くいってそうだった」
煙が、ゆっくり天井に上っていく。
「さすがに、ロザリー。あんたじゃ相手にならないね」
部屋の奥で、足音がした。ロザリーとマリアが入ってくる。
「ってことで、ブレンナールのお店は私がもらうわ」
「!」
ロザリーが目を見開いた。
「マリア、あんたは私の下で働くんだよ」
マリアの顔から、表情が抜けた。
「ちょっと待ってよ!」
ロザリーが声を上げた。
「なんで、私の店をママにあげなきゃならないの!?」
「あんた、私に養育費返したのかい?」
ロザリーが息を呑んだ。
「あんた、男爵と結婚して裕福になったそうじゃないか。なんで、すぐに私に金を返さなかった?」
「そんなに金を持っていなかったんだよ! だから商売して返そうと──」
「だーかーらー」
夫人が遮った。
「あんたじゃ、あの女に勝てない。だからお金も返せない。借金は取り立てられるうちに取り立てるのが私のやり方だ。文句あるのかい!」
ロザリーが、夫人を睨んだ。声は出てこなかった。
「ふう、困った子だねえ」
夫人が煙を吐いた。
「だったら、あんたにチャンスをあげるよ」
しばらくの間、夫人の口だけが動いていた。
ロザリーの顔が、少しずつ青ざめていく。マリアが横で目を伏せた。
夫人が話し終えると、部屋に沈黙が落ちた。
「そ、そんな事、できるわけないでしょ!」
ロザリーの声が、震えていた。