作品タイトル不明
二人の黒
丸テーブルの上に、招待状が散らばっていた。
「これなんかいいじゃない!」
エレナが一通を掴み上げた。
「ミンチェスター子爵主催のワイン会?」
封筒の差出人を覗き込むと、金箔の紋章が押してある。
「子爵はマルコの絵のファンでもあるのよ。マルコのエスコートで参加すれば、ガブリエルの注目度は爆上がりだわ」
「ちょっ、ちょっ、僕に何をさせるつもりですか」
マルコが椅子の上で体を引いた。
「ガブリエル……いえ、この服を売り込んでほしいの」
エレナが「解放の黒」を指した。
マルコが首を傾ける。
「喪服……じゃないですよね?」
エレナと私が同時に頷いた。
しばらく説明した。ガブリエル商会のこと、黒いドレスのこと、コルセットから解放された女性が大きく息を吸った話。マルコは途中から腕を組み、静かに聞いていた。
「なるほど、面白いと思います」
頷きに、重みがあった。
「僕も黒は好きですよ。単色の絵も好きですし」
「じゃあ、決まりね」
「ありがとうございます!」
「当日はうちに来て。あなたのドレスアップも私たちが請け負うわ」
「わかりました。よろしくお願いします」
マルコが少し間を置いてから、エレナを見た。
「でも、エレナさんが喪服以外を着るなんて」
エレナがいたずらっぽく私の肩に手を置いた。
「私の喪服を脱がしたのは殿方ではなく、ガブリエルだったというわけ」
「そう……ですね」
マルコの笑い方は、どこかぎこちなかった。私はその表情をこっそり観察しながら、何も言わなかった。
夕方、王都の通りを二人で歩いた。
エレナが大きく伸びをした。
「でも、良かったわ〜話がまとまって」
「……いいの? エレナ」
「何が?」
「マルコはあなたをエスコートしたかったんじゃないかしら?」
「はーー何言っての?」
「エレナがマルコとワイン会に行った方が——」
「あのねー、あんたは商会の顔なんだよ? あんたが出なくてどうすんの」
「そ、そうよね。ごめん。でも……」
「それに」
エレナが被せるように言った。
「マルコは亡くなった夫が可愛がっていた芸術家よ? 私よりずっと歳下だし。あっちも何も思ってないわよ」
「そ、そうかなあ」
──いえ、絶対にマルコさんはエレナのことが好きだと思うわ。
店の前まで歩いてきた。窓に明かりが灯っている。パージとミシェルの声が中から聞こえる。
──でも、本人は全く気づいていないし。なんて鈍感なのかしら。
「やあ、ガブリエルさん!」
声がして振り返った。
「ニッキーさん」
「カレンたちから聞いたんですよ。ガブリエルさんが貴族の社交界に出たがっているって」
「そうなんですよ。でもエレナから紹介された芸術家と参加できることになりました」
「えっ、そうなんですか?」
ニッキーの表情が、少し変わった。
「どうしました?」
「いや……僕の方でもなんとかしようとして、伝手を探って一枠取れたのですが」
もじもじ、という言葉がこれほど似合う人を、私は他に知らない。エレナがその様子を黙って見ていた。
「ミンチェスター伯爵のワイン会なんですが……」
「あっ、それです」
「!」
「私が参加するのもそれで、ねっ、エレナ」
「ちょっとガブリエル」
エレナの手が私の腕を引いた。ニッキーを置き去りにして、数歩離れた場所へ連れていかれる。
「何? 何? 何? 何?」
「ちょっと、ニッキーさんが伝手を作ってきてくれたんだから、ニッキーさんと参加しなさいよ」
「いいわよ。ニッキーさん忙しいと思うし」
「バカね」
エレナが眉を寄せた。
「ニッキーさんは明らかに貴方を誘っているのよ」
「そんなことあるわけないでしょ。こんな離婚歴のある女に」
「ええい、じゃあ私がマルコと参加するから、あなたはニッキーさんと参加しなさい」
「え?」
「いいから」
「……だったらいいけど」
エレナがニッキーの方へ歩いた。
「ニッキーさん、ガブリエルがニッキーさんと参加したいって」
「そ、そうですか」
ニッキーの肩から、ほっとした息が漏れた。
「ニッキーさん、よろしくお願いします」
「いいえ、こちらこそ」
──明らかにニッキーさんはガブリエルに気があるわよね。なんて鈍感なのかしら。
エレナの内心が、その横顔から透けて見えた。私はそれに気づかないふりをして、前を向いた。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、みんな行ってくるわね」
ミンチェスター伯爵のワイン会当日。
「行きましょう、エレナ」
エレナが振り返った。
解放の黒の上に、柔らかな上着を羽織っている。私も同じドレスに袖を通した。鏡の中で、二人の黒が並んでいた。