作品タイトル不明
219 王宮舞踏会 12
「お兄様?」
兄の言いたいことが分からずに呼びかけると、兄は寂し気な表情のまま続けた。
「気付かないうちに、お前は立派な淑女になっていたのだな。私にとってお前はいつまでも、私の後を付いてきた頃の小さな妹のつもりだったが……いつの間にか、一人前の紳士たちを引き付ける素敵なレディに成長していたのだから」
「お兄様」
兄が言い出そうとしていることに不安を感じ、兄の上着をぎゅっと掴む。
そんな私を兄は優しい眼差しで見下ろした。
「お前の髪の長さにかかわらず、お前自身に価値があるのだと証明したくて、今夜はジョシュア師団長の力を借りるつもりだったが、不要だったようだな。お前自身が素晴らしい男性陣を虜にしており、彼らがお前の名誉を回復するために尽力してくれたのだから。さらに、ご友人のご令嬢たちはお前のために髪を同じ長さにしてくれた」
そう言うと、兄は褒めるように私の頭を撫でた。
「崇拝者と友人を両方持てるのだから、お前は既に立派なレディだ」
「お兄様!」
なぜだか続く言葉を聞きたくなくて、私は兄に抱き着いた。
兄はいつだって私のことをよく見ている。
だから、私を観察した結果、私にはもう兄の助力は不要だと判断したら、兄が離れていくように思われたのだ。
「私はまだ足りていないところだらけですわ! 私にはお兄様の助けが必要です」
甘ったれていることは分かっていたけれど、たとえ兄が離れていこうとしても、引き止めたい気持ちが湧き上がってきて言い募る。
ぎゅうっと抱きしめながら見上げていると、兄はしばらく無言でいた後、尋ねる言葉を口にした。
「……私の存在は、お前の成長を阻害しないだろうか?」
「しません!」
私は大きな声で即答する。
その勢いが意外だったのか、兄は目を丸くした後、おかしそうな笑い声を上げた。
「ははは、そうか? ……私はあまりできがよくないからな。ことの是非を考えることなく、易きに流れるとしよう……私のために」
兄の言葉を聞いて、私は心の底からほっとする。
ああ、よかったわ。これで私はまだ兄の妹でいられるのだわ。
正しい行いをしたような気持ちになって安堵のため息をついていると、兄は普段通りの笑みを浮かべ、くるりと私を回して向きを変えた。
「今日のお前には不要かもしれないが、私が用意したプレゼントだ。好きに使ってくれ」
散々な言いようねと思いながら顔を上げると、目の前にこれ以上ないほど麗しい男性が立っていた。
「こんばんは、ルチアーナ嬢」
声まで魅惑的な魅了の公爵家の嫡子、ジョシュア陸上魔術師団長だった。
ジョシュア師団長はいつもの魔術師団服でなく、夜会に合った煌びやかな貴族服を着用していた。
腰まである藤色の髪が服の上に鮮やかに広がり、これ以上はないほど魅力的な姿を見せている。
「うっ、さすが魅了の公爵家嫡子ね。特殊魔術を使用しなくても、皆を魅了させまくりじゃないの」
思わずつぶやいた通り、周りにいるご令嬢はもちろん、ご夫人方までがうっとりと師団長を見つめていた。なぜだか紳士たちまでも。
間違いなく老若男女問わず、万人が魅了される美丈夫よね、と均整の取れた長身を見上げていると、ジョシュア師団長は私の片手を取り、流れるような仕草でその甲に唇を落とした。
それは師団長がいつだって行う見慣れた仕草だったけれど、周りからどよめきが起こったためびっくりする。
貴族たちがあまりに驚いた様子を見せるので、もしかしたら私が当たり前だと思っている親愛の仕草を、師団長はあまり他の者には行わないのかしらと疑問が湧いた。
けれど、私が何事かを口にするよりも早く、辺りではひそひそと内緒話が取り交わされ始める。
ジョシュア師団長が私の前に立った時から、これまでとは違う雰囲気に包まれたように感じていたけれど、どうやら勘違いではなかったようだ。
周りで様子をうかがっていた貴族たちが私たちを見て、やっぱりねとばかりにうなずき合っているのだから。
どういうことかしらと聞き耳を立てていると、貴族たちは声を潜め、うわさ話に花を咲かせていた。
「最近、貴族の間で噂が出回っておりましてね。『短髪ながらも高貴で美しいご令嬢に、いずこかの公爵子息が骨抜きにされている』との話を聞きました。あれはルチアーナ様とジョシュア様のことだったのですね!」
「ううーん、私もその噂を聞いたのですが、先ほどラカーシュ様も頬を染めてルチアーナ嬢を見つめられていましたよね。ですから、私はラカーシュ様とルチアーナ嬢のことかと思ったのですが」
「あら、ジョシュア様は先日、お見合いをされたようですけど、その際にルチアーナ嬢が通りかかっただけで、お見合い相手を捨て置いてルチアーナ嬢に取りすがったと聞きましたよ」
「元からそれほど傾倒されていたのでしたら、髪が短くなったこともお気にならないのでしょうね。……王太子殿下やラカーシュ様も気にされていないご様子でしたし、セリア様やユーリア様も髪が短くなられていたし、ルチアーナ様の短い髪は取りざたすほどのものではないのかもしれないですね」
「あっ!」
皆の話を聞いて思い出したけれど、そう言えば私がジョシュア師団長のお見合いを見事邪魔した暁には、社交界の情報を操作するとお兄様が言っていたのだったわ。
『短い髪であったとしても、王国が誇る陸上魔術師団長が骨抜きにされ、見合い相手を放り出してでも夢中になる、と噂されるほどに高嶺の花であるといい』と。
さらに、お兄様はジョシュア師団長に面と向かって宣言していたのだ。
『短髪ながらも高貴で美しいご令嬢に、公爵家子息が骨抜きにされて、見合い相手をすっぽかしたという噂が、近々社交界を駆け巡ることになっている』と。
うーん、さすがお兄様ね。
いくら王太子やラカーシュが私を尊重する姿を示してくれても、私を見下す者や馬鹿にする者は必ずいるはずだ。
それなのに、先ほどから好意的な視線や言葉ばかりが耳に入ってきたため、どういうことかしらと訝しく思っていたけれど、お兄様が情報を操作してくれていたのね。
思わず兄を振り返ると、ぱちりとウィンクをされた。
その表情がいつも通りだったため、ああ、よかった、お兄様はやっぱりまだしばらくの間、私のお兄様として面倒を見てくれるつもりだわとほっとする。
そんな私の希望通り、兄が私の面倒を見てくれるつもりなのかは不明だけれど、少なくとも相手はしてくれるようで、兄はにこやかに続けた。
「ルチアーナ、この後もお前は多くの男性にダンスに誘われるだろう。彼らと踊り終わった後、疲労していないようであれば、最後のダンスは私と踊ってくれ」