作品タイトル不明
218 王宮舞踏会 11
その場にいる全てのご令嬢たちが呆けたように見つめる中、ラカーシュは完璧なダンスを披露し終わると、私に向かって綺麗な礼をした。
「ルチアーナ嬢、夢のような時間をありがとう」
そう言って微笑んだラカーシュ自身が夢の世界の住人のように麗しく、私こそがいい夢を見せてもらった気持ちになる。
思わず呆けていると、彼は胸に挿していた黒百合を抜き取って私に差し出してきた。
茎の部分にはリボンが結ばれており、偶然にも私の髪色と同じ紫色をしている。
「ルチアーナ嬢、この花を受け取ってほしい。そして、どうか舞踏会の終わりには胸に挿してほしい」
「…………」
ラカーシュが花を差し出した瞬間、周りのご令嬢たちが息を詰め、無言で凝視してきたため、これは何か特別な意味があるわねと、用心しながら花を受け取る。
上位の貴族家は全て家紋となる花を持っているため、貴族の間には花にちなんだ独特の言い回しや行動が存在するのだ。
たとえば私のことを好きになった者がいた場合、「撫子が胸に咲いた」と表現するように。
「私は真剣な気持ちで花を贈ったが、君の気持ちが育っていないのは分かっている。そうであれば、サフィア殿に花を預けるのが一番無難な方法かもしれないね。早計だと分かっていながら花を贈ったのは、私の意思表示であるとともに……君のファーストダンスを問答無用で奪い取ったエルネストへの意趣返しだ」
「どういうことですか?」
ラカーシュの言葉に不穏なものが交じっている気がしたため尋ね返す。
「彼は立場上、恋情を抱いたとしても軽々しく表明できないからね。君に家紋の花を贈った私が妬ましいだろうな」
そう言うとラカーシュは楽しそうな笑みを浮かべたけれど、その笑みが年齢相応のものだったため、普段の落ち着いた彼とのギャップに目を丸くする。
「まあ、さすがは王太子殿下だわ。ラカーシュ様にこのような表情をさせるなんて」
彼の親友であるエルネスト王太子だからできることね、と思いながらぽつりとつぶやくと、ラカーシュは唇を歪めた。
「……ルチアーナ嬢はいつまで経っても、君自身が私に影響を与えるとは考えないのだな。私は今、君とともにいるのだから、私に影響を与える者がいるとしたら君だと考えるのが自然だろうに」
「私がですか? まさかそんな恐れ多いですわ」
これほど完璧なラカーシュに、私が影響を与えられるはずがないわよね。
私は当然の言葉を返したというのに、ラカーシュは切なそうな表情を浮かべた。
「私はいつだって君に影響を受けているよ。近くにいる時はもちろん、近くにいない時だって」
そんなことがあるはずないと思ったけれど、ラカーシュの眼差しと声の真摯さから、彼の言葉は真実の響きをもって私の胸に響いた。
そのためなのか、私はふと女子お泊り会でセリアから見せられたラカーシュの秘蔵映像を思い出す。
彼が公爵家の庭に立ち、私の髪色と全く同じ色の撫子に唇を押し当てていた映像を。
あの映像が撮られた時、私はもちろん公爵邸にいなかった。
だから、ラカーシュがもしも私と同じ色の撫子を見て、私を思い出してくれたとしたら、彼は側にいない時も、私のことを考えてくれたのだろう。
そう考えて、顔を赤らめる私に気付いただろうに、ラカーシュはふっと小さく微笑んだだけで、その理由について言及することはなかった。
「ルチアーナ嬢、今後もずっと君の側にいて、君の感情を揺らすことができれば嬉しい」
ラカーシュは非常に紳士的にそう言うと、もう1度私の手を取り、ダンススペースの外まで誘導してくれた。
連れていかれた場所では、サフィアお兄様が腕を組んで立っていた。
ラカーシュが私から手を離すと、兄は組んでいた腕を解き、私の腕に手を添える。
ラカーシュは無言で兄の動作を見つめていたけれど、すぐに兄に向かって軽く頭を下げた。
「サフィア殿、後日、改めて話をしたいので、貴家にうかがわせてもらいたい」
ラカーシュの言葉に兄はわずかに首を傾げた。
それは是とも非とも取れる曖昧な仕草で、いかにも貴族らしいものだった。
……そうなのよね。
お父様とお兄様の外見は非常に似ているのだけれど、お父様が感覚的にぽんぽんと何でも即座に表明するのに対し、お兄様は先の先まで考えて行動するものの、心の裡をなかなか見せないのよね。
だから、ずっと後にならないと兄の真意が分からないことも多いのだけれど、完璧なラカーシュ・フリティラリアの相手をするには、これくらいで丁度いいのかもしれない。
「我がダイアンサス侯爵邸を訪問するか……」
兄はラカーシュの真意を確認するかのようにじっと見つめた後、笑みらしきものを浮かべた。
「社交シーズンになったから、両親はしばらく王都のタウンハウスに留まるだろう。我が邸を訪問するのであれば、まずはあの2人が君をもてなしたがるだろうな」
兄は爽やかに発言したけれど、まずは両親を陥落しろと言っているのだ。
どうやら兄は、私に近寄る男性全てに警戒心を抱く父と、私の短い髪に感情的になっている母の、両方の相手をラカーシュに押し付けるつもりのようだ。
呆れた表情で見上げる私に気付いているだろうに、兄は丸っと無視すると、私の手から黒百合の花を取り上げた。
それから、黒百合を持ち上げると、じっと見つめる。
「深紫色の花びらに黒い斑点が散っているな。間違いなく、フリティラリア公爵家のみで栽培されている黒百合だ」
兄の独り言のような言葉に、ラカーシュは真剣な表情でうなずいた。
「ああ、私は真剣だ。ダイアンサス侯爵夫妻にお目通りが叶うのならば、喜んで挨拶をさせてもらう」
兄は黒百合からラカーシュに視線を移すと、にこりと綺麗な笑みを浮かべた。
「そうか」
ラカーシュは兄の言葉に無言でうなずくと、軽く一礼して踵を返した。
去っていくラカーシュの後ろ姿を見ながら、兄がぽつりと零す。
「やあ、ルチアーナ、お前は彼を焚きつけ過ぎだ。そのせいで、猶予期間がなくなってきたぞ」
「一体何の猶予期間ですか?」
何のことを言っているのか分からずに尋ねると、兄は寂しそうな笑みを浮かべた。
「何だろうな。お前が恋愛に真剣に向き合わずにいられる時間か、私だけの妹でいてくれる時間か」