作品タイトル不明
帰郷、石畳の響きと馴染みの店
ヴァイデを発ち、整備された街道を歩くこと数日。
なだらかな丘を越えた先に、その巨大な都市は姿を現した。
盆地の中央に鎮座し、堅牢な城壁に守られた街。
無数の煙突から細い煙が立ち上り、活気ある喧騒が風に乗って微かに聞こえてくる。
「着いたな。あそこが領都だ」
俺が指差すと、ロウェナはリュックの紐を握りしめ、ポカンと口を開けて見上げた。
「おっきい……! ここが、えどのまち?」
「ああ。俺の故郷であり、この長かった旅のゴール地点だ」
隣を歩くクリスも、眼鏡の奥の目を丸くしていた。
「ほう……これが領都ですか。話には聞いていましたが、想像以上に立派な城壁ですね。防衛設備も整っているようですし、街の規模も大きい」
初めて見る街の様子に、彼は興味津々といった様子で周囲を観察している。
「まあな。住み心地は悪くないぞ」
俺たちは顔を見合わせ、最後の坂道を下り始めた。
◇
領都の正門前には、入城を待つ馬車や商人の列ができていた。
俺たちもその最後尾に並ぶ。
やがて順番が回ってくると、検問に立っていた初老の衛兵が、俺の顔をジロリと見て、次いでその頭髪に目を止めた。
「ん……? そのボサボサの黒髪、それに目つきの悪さ……」
衛兵はハッとして、目を見開いた。
「おい! エドか!? お前、生きてたのか!」
「よう、ハンク。死んだことにするなよ。ちょっと長い散歩に行ってただけだ」
俺が手を上げると、元同僚である門番ハンクは破顔して俺の肩を叩いた。
「ガハハ! いやあ、てっきり野垂れ死んだかと思ってたぞ! ……ん? そっちの連れは?」
彼は後ろにいるクリスとロウェナを見た。
「まさか、所帯を持ったのか? お前がか?」
「よせ。旅の道連れだ。……まあ、腐れ縁ってやつだな」
俺は曖昧に笑って誤魔化した。
ハンクはニヤニヤしながらも、「まあいい、通れ通れ!」と快く通してくれた。
門をくぐると、そこには洗練された石畳の街並みが広がっていた。
ヴァイデのような荒っぽさはなく、ソフィアほど静かすぎない。
生活感と活気が程よく混ざった、俺にとって一番馴染む空気だ。
◇
「宿に行く前に、一箇所寄ってもいいか? どうしても顔を出しておきたい場所があってな」
俺の提案に二人は頷いた。
向かったのは、下町の一角にある、こじんまりとしたカフェだ。
看板も古びているが、地元民に愛されている「いつもの店」だ。
カランコロン、とドアベルを鳴らして入る。
「いらっしゃい! ……あら?」
カウンターの中にいた恰幅の良い女将さんが、皿を拭く手を止めた。
「エドじゃないかい! 随分と久しぶりだねぇ! 本当に生きてたのかい!」
「どこもかしこも、俺を殺したがる奴ばかりだな。……オヤジさんは?」
「裏で仕込み中だよ。座りな! いつものかい?」
「ああ。それと、連れに甘いジュースとパンケーキを頼む」
俺たちは奥のテーブル席に座った。
運ばれてきたコーヒーの香りに、身体の力が抜けていく。
「ここが、師匠の行きつけのお店ですか。……落ち着く雰囲気ですね」
クリスも帽子を取って、店内を見回した。
「あらあら、お連れさんがいたのかい。……で、そこの可愛いお嬢ちゃんは?」
女将さんがロウェナに視線を向けた。
「……ロウェナです」
ロウェナが少し緊張しながら名乗ると、女将さんは目を細めて、ポケットから飴玉を取り出した。
「いい名前だねぇ。ほら、お近づきの印だよ」
「わぁ……! ありがとう!」
ロウェナは飴を受け取り、すぐに笑顔になった。「いいひと!」と俺に耳打ちする。
俺は苦笑しながら、コーヒーを啜った。
この店の味、この空気。
ああ、本当に帰ってきたんだな。
◇
店を出た俺たちは、冒険者ギルドの近くにある中級宿屋『銀のあひる亭』に部屋を取った。
クリスとは別の部屋を取り、俺とロウェナはツインの部屋に入った。
荷物を床にドサリと置く。
「……ふぅ。やっと着いたな」
窓を開けると、夕暮れに染まる領都の街並みが見渡せた。
野営の焚き火も、安宿の隙間風もない。
ここには、安定した都市の夜がある。
「ここが、えどのおうち?」
「いや、ここは宿屋だ。俺の家は……まあ、ないようなもんだな」
俺は頭をかいた。
一息ついたところで、俺はロウェナに向き直った。
「さて、夕飯まで少し時間がある。……挨拶に行きたいところがあるんだが、来るか?」
「あいさつ?」
「ああ。俺がガキの頃に世話になった場所だ。……ただの顔見せだけどな」
◇
向かったのは、街外れにある古い教会だった。
併設された孤児院の庭には洗濯物が干され、子供たちの笑い声が聞こえる。
「あら……エド?」
庭で竹箒を持って掃除をしていた初老のシスターが、俺に気づいて目を丸くした。
「エド! 帰ってきたのね!」
シスターは箒を取り落とし、小走りで駆け寄ってきた。
「ただいま、シスター。……随分と元気そうじゃないか」
俺が苦笑すると、シスターは俺の腕を掴み、安堵の溜息をついた。
そして、後ろに隠れているロウェナに気づいた。
「あら……その子は?」
「ロウェナだ。……旅の途中で拾ってな。俺が面倒を見てる」
俺がそう紹介すると、シスターは少し驚いた顔をしたが、すぐに優しい笑みを浮かべた。
「そう……エドが、親になったのね」
「親なんて大層なもんじゃないさ。ただの保護者だ」
シスターはロウェナの前に屈み込み、優しく微笑みかけた。
「よく来たわね、ロウェナちゃん。ここはエドが昔、悪戯ばかりしていた場所よ」
「いたずら?」
「ええ、もう大変だったのよ」
シスターの暴露話に、ロウェナはケラケラと笑った。
俺はバツが悪そうに視線を逸らした。
「……まあ、元気な顔が見られて良かったよ。今日は顔を見せに来ただけだ」
「そうかい。……いつでも遊びにいらっしゃい。ここはあんたの故郷なんだから」
シスターに見送られ、俺たちは孤児院を後にした。
ロウェナの手を引いて歩きながら、俺は彼女に言った。
「ここは俺の育った場所だが、お前の家じゃない。……お前の帰る場所は、今のところ俺がいる宿だ」
「うん! えどといっしょがいい!」
ロウェナは俺の手をギュッと握り返した。
◇
宿に戻り、夕食を済ませて部屋に戻る。
ふかふかのベッドにダイブすると、身体の芯から力が抜けていくようだった。
「あしたは、なにをするの?」
隣のベッドで布団に潜り込んだロウェナが聞いた。
「何もしない」
俺は枕に顔を埋めたまま答えた。
「早起きもしない。魔物の警戒もしない。移動もしない。……しばらくは、死ぬほどゆっくり休むぞ」
「やったー! おやすみ、えど!」
「ああ、おやすみ」
窓の外から、街の鐘の音が聞こえる。
長い長い旅路は、ひとまずここで休息の時を迎えた。
明日からは、この街での新しい日常が始まる。
俺は深い眠りに落ちていった。