作品タイトル不明
彩りの硝子と、繊細なる指先
ベルカ砦を後にした俺たちは、さらに南へと足を伸ばした。
山肌にへばりつくように作られたその街は、遠目に見ても異彩を放っていた。
工芸都市『ヴィドロ』。
大陸でも有数のガラス細工の産地として知られるこの街は、春の陽光を浴びて、まるで宝石箱のように輝いていた。
「うわぁ……! きらきらしてる!」
街門をくぐった瞬間、ロウェナが歓声を上げた。
建物の窓はもちろん、軒先のランプ、看板の装飾、石畳の埋め込みに至るまで、街の至る所に色とりどりのガラスが使われているのだ。
赤、青、緑、黄色。
光の加減で表情を変えるその色彩の洪水に、俺も思わず目を奪われる。
「美しいですね……。これほどの規模のガラス生産地は、王都周辺にもありません」
クリスもまた、感嘆の息を漏らしながら周囲を見回していた。
「観光にはうってつけだな。少し市場を冷やかしてみるか」
俺たちは、ガラス製品が所狭しと並ぶメインストリートへと足を踏み入れた。
◇
市場は多くの観光客で賑わっていた。
繊細なグラス、可愛らしい動物の置物、煌びやかなアクセサリー。
見ているだけでも楽しいが、中にはこんな光景もあった。
「さあさあ見てくれ! こいつは近くの遺跡から発掘された、古代王朝時代の秘宝だ! この深い青色は今の技術じゃ出せねぇよ!」
恰幅のいい商人が、歪な形をした青い小瓶を掲げ、観光客の老夫婦に熱弁を振るっている。
「へぇ、それは凄い。おいくらだい?」
「旦那には特別に金貨一枚で譲ろう!」
老夫婦が財布を取り出そうとした、その時だった。
「お待ちください」
横からすっと手が伸び、その商談を遮った。
クリスだ。
「なんだ兄ちゃん、商売の邪魔をする気か?」
「いえ。ただ、少し気になったもので」
クリスは小瓶を手に取り、太陽にかざして目を細めた。
「確かに美しい青色ですが……底の方を見てください。微細な気泡が一定の方向に流れていますね。これは古代の吹きガラス製法ではなく、ここ数年で開発された『回転型』の鋳型特有の跡です」
「な、なに……?」
「それに、この青色の発色剤に使われているのはコバルトですが、色ムラが全くない。古代の精製技術では不可能です。……これは、現代の量産品ですね。お土産物としての適正価格は、銀貨三枚といったところでしょうか」
クリスは淡々と、しかし淀みなく言い放った。
商人の顔がみるみる青ざめていく。
周囲の客たちも「なんだ、偽物か」とひそひそ話し始めた。
「ち、ちげぇよ! 俺が間違ってただけだ! ……チッ」
商人はバツが悪そうに小瓶を引っ込め、奥へと引っ込んでしまった。
「ありがとうねぇ、お兄さん。騙されるところだったよ」
老夫婦に感謝され、クリスは照れくさそうに頭を下げて戻ってきた。
「へぇ……お前、随分と詳しいんだな。そんな目利き、どこで覚えた?」
俺が尋ねると、クリスはギクリと肩を震わせた。
「えっ!? あ、いや! ほ、本です! 本で読んだ知識ですよ! たまたまです!」
顔を赤くして必死に弁解するクリス。
まあ、良品を見慣れている環境にいたことは間違いなさそうだ。
俺はニヤリと笑うに留め、それ以上は追及しなかった。
◇
「わたしもつくりたい!」
ロウェナが足を止めたのは、観光客向けの『ガラス吹き体験工房』の前だった。
熱気溢れる工房の中では、職人たちが長い鉄パイプを操り、溶けたガラスを風船のように膨らませている。
「よし、やってみるか」
俺たちは料金を払い、体験コースに参加することになった。
指導役は、いかにも職人といった風貌の頑固そうな爺さんだ。
「いいか、ガラスは生き物だ。一瞬でも迷えば歪む。熱いうちに形を決めろ」
まずはロウェナの挑戦だ。
踏み台に乗り、職人に支えられながら竿に息を吹き込む。
「ぷぅーっ!」
真っ赤に溶けたガラスが膨らむ。
だが、息の強さが一定でなかったのか、出来上がったのはひしゃげたお餅のような塊だった。
「むずかしい……」
ロウェナがしょんぼりと肩を落とす。
次はクリスだ。
彼は慎重に、教わった通りの手順で小瓶を作った。
「ふむ。形は綺麗だが、面白みがないな。教科書通りすぎる」
職人の辛口評価に、クリスは「面目ないです……」と苦笑いした。
「そこの保護者の兄ちゃんも、どうだ? 見てるだけじゃつまらんだろ」
職人に挑発され、俺は「じゃあ、少しだけ」と竿を受け取った。
炉から取り出した、ドロドロに溶けたガラスの塊。
竿の先で、それは重力に従って垂れようとする。
(……なるほど。地面に向かって引く力で、常に形を崩そうとしてくるわけか)
俺は竿を回し始めた。
垂れようとする力を、回転の遠心力で相殺する。
膨らませる時の圧力を、コテで受け流して形を整える。
相手の力に逆らわず、流れを読み、あるべき場所へ誘導する。
「ふっ……」
俺の指先が、竿を高速かつ一定のリズムで回転させる。
微かなブレも許さない。
熱せられたガラスは、まるで意思を持ったかのように、完璧な球体へと姿を変えていく。
さらに、俺はあえて息を強弱をつけて吹き込み、ガラスの中に微細な気泡の列を作った。
作業が終わる頃には、職人の爺さんが口をあんぐりと開けていた。
「あ、あんた……どこで修行した!? この道六十年の俺と同じ手つきだぞ!?」
「ただの剣士だよ。……まあ、力の流れを読むのは得意でな」
俺は出来上がったガラス玉を冷却台に置いた。
◇
夕暮れ時。
工房を出た俺たちの手には、それぞれの作品があった。
俺が作ったのは、透明なガラスの中に、細かな気泡で『花』の模様を描いたガラス玉だ。
紐を通してネックレスに仕立て、ロウェナの首にかけてやった。
「わあ……! すごい! おはながはいってる!」
ロウェナがガラス玉を透かして見て、目を輝かせる。
夕日に照らされたガラスの花は、キラキラと幻想的な光を放っていた。
「えど、まほうつかいみたい!」
「魔法なんかじゃないさ。ただの技術だ」
俺はロウェナの頭を撫でた。
「大切にする! ありがとう、えど!」
ロウェナはガラス玉を宝物のように両手で握りしめた。
ガラスは脆く、壊れやすい。
だが、こうして刻んだ思い出は、そう簡単には壊れないだろう。
美しい夕焼けに染まるヴィドロの街を、俺たちは満足感と共に宿へと歩き出した。
南への旅は、まだまだ面白いことがありそうだ。