作品タイトル不明
銀盤の湖と、鈍色の切れ味
交易都市クロイツでの冬支度を終えた俺たちは、再び旅路についた。
だが、この時期の南東方面への街道は、雪の影響で定期馬車の運行が休止していた。
金はあるが足がない。
結局、俺たちはクロイツで大量の食料を買い込み、自らの足で次の街を目指して歩くことになった。
ザクッ、ザクッ。
新雪を踏みしめる音が、静寂な銀世界に響く。
「……まあ、いい運動にはなりますね」
厚手のジャケットに身を包み、背嚢を背負ったクリスが白い息を吐く。
「ああ。装備もしっかり揃えたし、寒さは問題ない」
俺も頷く。
新調した防寒具の性能は抜群で、歩いているとむしろ汗ばむくらいだ。
ロウェナは俺と手を繋ぎ、モコモコの羊毛コートに埋もれるようにして歩いている。
雪に足を取られそうになりながらも、その表情は楽しげだ。
「えど、雪だるまつくろう!」
「休憩の時な。今は少しでも進むぞ」
空は高く晴れ渡っている。
徒歩の旅も、急ぐ理由がなければ悪くない。
◇
峠を越え、視界が開けた先に、その絶景は広がっていた。
巨大な凍結湖――『鏡湖』だ。
夏場は周囲の緑を映してエメラルドグリーンに輝き、冬場は雪山を反射して白銀の鏡となる。
いつ訪れても異なる美しさを見せるという名勝地だ。
今は分厚い氷に閉ざされ、陽の光を受けて眩いばかりの輝きを放っている。
「うわぁ……! きらきらしてる!」
ロウェナが歓声を上げ、雪原を駆け出そうとする。
「こら、走ると転ぶぞ」
「今日はこの湖に注ぐ川のほとりで野営にしましょう。水場も近いですし、クロイツで買った食材もあります」
クリスの提案で、俺たちは湖畔の少し高くなった、風を避けられる場所にテントを設営した。
荷物を降ろし、焚き火の準備を整える。
「さて……飯の前に、少し遊ぶか」
俺は荷物から、クロイツで買っておいた釣り道具を取り出した。
「つり! やる!」
ロウェナがモコモコの帽子を揺らして飛びついてくる。
「ああ。ここの名物は『氷結マス』だ。クロイツで買った野菜と一緒に煮込めば、最高の鍋になるぞ」
俺たちはテントから少し離れ、凍りついた川の上へと移動した。
氷の厚さは十分。
俺は手斧で氷に穴を開け、即席の釣り座を作った。
簡易的な椅子に座り、釣り糸を垂らす。
静寂が辺りを包んだ。
聞こえるのは風の音と、時折氷がきしむ低い音だけ。
「……つれない」
初めて数分で、ロウェナが飽き始めた。
「待つのも釣りのうちだ。竿先を見てろ、ピクッて動くから」
「あ! きた!」
その直後、ロウェナの竿が小さくしなった。
慌てて引き上げると、銀色に輝く丸々とした魚が氷の上に跳ねた。
「やった! つれた!」
「お見事。いい型だ」
その後も、クリスとロウェナは順調に釣果を伸ばしていった。
どうやら今日の魚たちはご機嫌らしい。
だが。
「……なぜ俺の方には来ない」
俺の竿だけが、沈黙を守っていた。
餌も変えた、深さも変えた。
なのにピクリともしない。
「師匠、殺気が出すぎてるんじゃないですか? 魚も逃げますよ」
クリスが苦笑しながら、バケツ一杯の魚を見せびらかしてくる。
「馬鹿言え。俺は『無』だ。石ころだ」
俺がむきになって竿を握り直した、その瞬間だった。
ガツンッ!!
竿先が、あり得ない角度で引き込まれた。
「おっ!?」
合わせる間もなく、強烈な力で氷の穴へと引きずり込まれそうになる。
慌てて足を踏ん張るが、氷の上だ。
足が滑る。
「師匠!?」
バシュオオオッ!!
次の瞬間、俺の目の前の氷が爆発したように砕け散った。
水柱と共に飛び出してきたのは、ただの魚ではない。
全身が鋼鉄のような青黒い鱗に覆われた、体長二メートルはある巨大魚――『アーマード・パイク』だ。
鋭い牙を剥き出しにし、俺の頭を食いちぎろうと飛びかかってくる。
「……晩飯が向こうから来やがったか!」
俺は竿を放り捨て、腰の剣を抜いた。
ガルドから譲り受けた、軍用の鉄剣。
空中で身体を捻りながら、襲い来る顎を避ける。
着地と同時に、剣を構える。
足場は最悪の氷上。相手は硬い鱗を持つ魔魚。
(……試すには丁度いい)
俺は踏み込み、剣を振るった。
キンッ!!
高い金属音が響き、火花が散る。
硬い。
まともに打ち合えば剣が負ける硬度だ。
だが、切れないわけじゃない。
刃こぼれもしていない。
以前の愛剣なら、その重量と切れ味で鱗ごと叩き斬っていただろう。
こいつにはその「強引さ」は使えない。
ならば、使い手が合わせてやればいいだけの話だ。
「ふっ!」
俺は剣の握りを変え、力任せに振るのをやめた。
魚が尾びれを叩きつけ、氷上を滑るように突進してくる。
その勢いを、剣の腹で受け流す。
巨体が俺の横をすり抜ける。
その一瞬、鱗が逆立つタイミングを見逃さない。
俺は流れるような動作で、鱗の隙間――柔らかな肉が露出したラインへ刃を滑り込ませた。
ズバッ!
抵抗なく刃が吸い込まれ、鮮血が氷上に散る。
アーマード・パイクはビタンビタンと激しく暴れ、やがて動かなくなった。
「……ふぅ」
俺は剣についた血糊を振り払い、刃を確認した。
刃こぼれはない。歪みもない。
切れ味はやや鈍いが、頑丈さだけは一級品だ。
「……悪くない。俺が無理さえさせなきゃ、十分に応えてくれるな」
以前の相棒には及ばない。
だが、今の俺にはこの「分をわきまえた」剣が、案外お似合いなのかもしれない。
俺は剣を鞘に納め、獲物を見下ろした。
「よし。今夜は鍋だ」
◇
その夜。
湖畔のテントの前で、俺たちは大きな鍋を囲んでいた。
メインディッシュは、アーマード・パイクのぶつ切りと、クリスたちが釣ったマスの切り身。
クロイツで買い込んだ根菜類もたっぷり入れ、ミルクとチーズで煮込んだ特製の白身魚鍋だ。
「おいしい! おさかな、ふわふわ!」
ロウェナが熱々の身を頬張り、目を細める。
見た目は凶悪だった魔魚だが、その身は驚くほど繊細で、脂が乗っていた。
「身体が温まりますね……。それにしても、あの足場でよく戦えますね」
クリスが呆れたように言う。
「道具が変われば、戦い方も変わるさ。……いいリハビリになったよ」
俺は椀の中のスープを啜った。
濃厚なミルクの味が、冷えた身体に染み渡っていく。
見上げれば、雲が晴れた夜空に、満天の星が瞬いていた。
凍りついた鏡湖が、その星空を映し出し、まるで天地が逆転したような幻想的な光景を作っている。
手元には、温かい食事と、新しい剣。
徒歩での旅も悪くない。俺はそう思いながら、鍋の最後の一滴まで飲み干した。