軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

銀盤の湖と、鈍色の切れ味

交易都市クロイツでの冬支度を終えた俺たちは、再び旅路についた。

だが、この時期の南東方面への街道は、雪の影響で定期馬車の運行が休止していた。

金はあるが足がない。

結局、俺たちはクロイツで大量の食料を買い込み、自らの足で次の街を目指して歩くことになった。

ザクッ、ザクッ。

新雪を踏みしめる音が、静寂な銀世界に響く。

「……まあ、いい運動にはなりますね」

厚手のジャケットに身を包み、背嚢を背負ったクリスが白い息を吐く。

「ああ。装備もしっかり揃えたし、寒さは問題ない」

俺も頷く。

新調した防寒具の性能は抜群で、歩いているとむしろ汗ばむくらいだ。

ロウェナは俺と手を繋ぎ、モコモコの羊毛コートに埋もれるようにして歩いている。

雪に足を取られそうになりながらも、その表情は楽しげだ。

「えど、雪だるまつくろう!」

「休憩の時な。今は少しでも進むぞ」

空は高く晴れ渡っている。

徒歩の旅も、急ぐ理由がなければ悪くない。

峠を越え、視界が開けた先に、その絶景は広がっていた。

巨大な凍結湖――『鏡湖』だ。

夏場は周囲の緑を映してエメラルドグリーンに輝き、冬場は雪山を反射して白銀の鏡となる。

いつ訪れても異なる美しさを見せるという名勝地だ。

今は分厚い氷に閉ざされ、陽の光を受けて眩いばかりの輝きを放っている。

「うわぁ……! きらきらしてる!」

ロウェナが歓声を上げ、雪原を駆け出そうとする。

「こら、走ると転ぶぞ」

「今日はこの湖に注ぐ川のほとりで野営にしましょう。水場も近いですし、クロイツで買った食材もあります」

クリスの提案で、俺たちは湖畔の少し高くなった、風を避けられる場所にテントを設営した。

荷物を降ろし、焚き火の準備を整える。

「さて……飯の前に、少し遊ぶか」

俺は荷物から、クロイツで買っておいた釣り道具を取り出した。

「つり! やる!」

ロウェナがモコモコの帽子を揺らして飛びついてくる。

「ああ。ここの名物は『氷結マス』だ。クロイツで買った野菜と一緒に煮込めば、最高の鍋になるぞ」

俺たちはテントから少し離れ、凍りついた川の上へと移動した。

氷の厚さは十分。

俺は手斧で氷に穴を開け、即席の釣り座を作った。

簡易的な椅子に座り、釣り糸を垂らす。

静寂が辺りを包んだ。

聞こえるのは風の音と、時折氷がきしむ低い音だけ。

「……つれない」

初めて数分で、ロウェナが飽き始めた。

「待つのも釣りのうちだ。竿先を見てろ、ピクッて動くから」

「あ! きた!」

その直後、ロウェナの竿が小さくしなった。

慌てて引き上げると、銀色に輝く丸々とした魚が氷の上に跳ねた。

「やった! つれた!」

「お見事。いい型だ」

その後も、クリスとロウェナは順調に釣果を伸ばしていった。

どうやら今日の魚たちはご機嫌らしい。

だが。

「……なぜ俺の方には来ない」

俺の竿だけが、沈黙を守っていた。

餌も変えた、深さも変えた。

なのにピクリともしない。

「師匠、殺気が出すぎてるんじゃないですか? 魚も逃げますよ」

クリスが苦笑しながら、バケツ一杯の魚を見せびらかしてくる。

「馬鹿言え。俺は『無』だ。石ころだ」

俺がむきになって竿を握り直した、その瞬間だった。

ガツンッ!!

竿先が、あり得ない角度で引き込まれた。

「おっ!?」

合わせる間もなく、強烈な力で氷の穴へと引きずり込まれそうになる。

慌てて足を踏ん張るが、氷の上だ。

足が滑る。

「師匠!?」

バシュオオオッ!!

次の瞬間、俺の目の前の氷が爆発したように砕け散った。

水柱と共に飛び出してきたのは、ただの魚ではない。

全身が鋼鉄のような青黒い鱗に覆われた、体長二メートルはある巨大魚――『アーマード・パイク』だ。

鋭い牙を剥き出しにし、俺の頭を食いちぎろうと飛びかかってくる。

「……晩飯が向こうから来やがったか!」

俺は竿を放り捨て、腰の剣を抜いた。

ガルドから譲り受けた、軍用の鉄剣。

空中で身体を捻りながら、襲い来る顎を避ける。

着地と同時に、剣を構える。

足場は最悪の氷上。相手は硬い鱗を持つ魔魚。

(……試すには丁度いい)

俺は踏み込み、剣を振るった。

キンッ!!

高い金属音が響き、火花が散る。

硬い。

まともに打ち合えば剣が負ける硬度だ。

だが、切れないわけじゃない。

刃こぼれもしていない。

以前の愛剣なら、その重量と切れ味で鱗ごと叩き斬っていただろう。

こいつにはその「強引さ」は使えない。

ならば、使い手が合わせてやればいいだけの話だ。

「ふっ!」

俺は剣の握りを変え、力任せに振るのをやめた。

魚が尾びれを叩きつけ、氷上を滑るように突進してくる。

その勢いを、剣の腹で受け流す。

巨体が俺の横をすり抜ける。

その一瞬、鱗が逆立つタイミングを見逃さない。

俺は流れるような動作で、鱗の隙間――柔らかな肉が露出したラインへ刃を滑り込ませた。

ズバッ!

抵抗なく刃が吸い込まれ、鮮血が氷上に散る。

アーマード・パイクはビタンビタンと激しく暴れ、やがて動かなくなった。

「……ふぅ」

俺は剣についた血糊を振り払い、刃を確認した。

刃こぼれはない。歪みもない。

切れ味はやや鈍いが、頑丈さだけは一級品だ。

「……悪くない。俺が無理さえさせなきゃ、十分に応えてくれるな」

以前の相棒には及ばない。

だが、今の俺にはこの「分をわきまえた」剣が、案外お似合いなのかもしれない。

俺は剣を鞘に納め、獲物を見下ろした。

「よし。今夜は鍋だ」

その夜。

湖畔のテントの前で、俺たちは大きな鍋を囲んでいた。

メインディッシュは、アーマード・パイクのぶつ切りと、クリスたちが釣ったマスの切り身。

クロイツで買い込んだ根菜類もたっぷり入れ、ミルクとチーズで煮込んだ特製の白身魚鍋だ。

「おいしい! おさかな、ふわふわ!」

ロウェナが熱々の身を頬張り、目を細める。

見た目は凶悪だった魔魚だが、その身は驚くほど繊細で、脂が乗っていた。

「身体が温まりますね……。それにしても、あの足場でよく戦えますね」

クリスが呆れたように言う。

「道具が変われば、戦い方も変わるさ。……いいリハビリになったよ」

俺は椀の中のスープを啜った。

濃厚なミルクの味が、冷えた身体に染み渡っていく。

見上げれば、雲が晴れた夜空に、満天の星が瞬いていた。

凍りついた鏡湖が、その星空を映し出し、まるで天地が逆転したような幻想的な光景を作っている。

手元には、温かい食事と、新しい剣。

徒歩での旅も悪くない。俺はそう思いながら、鍋の最後の一滴まで飲み干した。