作品タイトル不明
初雪の気配と、若き管理人の采配
アンナたちと別れたあの分岐点の宿場町を出てから、およそ半月。
季節の歩みは早く、車窓の景色は鮮やかな紅葉から、枯れ木が目立つ冬枯れのそれへと様変わりしていた。
山脈沿いの街道を往く馬車の窓から、冷たい風が吹き込んでくる。
ふと息を吐くと、それは白く濁って空気に溶けた。
「……寒っ」
俺は思わずマントの前を合わせた。
南回りのルートを選んだとはいえ、ここは山間部だ。
日々、確実に冬が深まっているのを肌で感じる。
「えど、さむいー」
隣に座っていたロウェナが、小動物のように俺の脇腹へ潜り込んでくる。
俺のマントの中に頭を突っ込み、暖を取ろうとしているようだ。
「くっつくな、動きにくいだろ」
「エド、あったかい」
文句を言いながらも、俺はマントの裾でロウェナを包んでやった。
体温の高い子供は、こういう時は即席の湯たんぽ代わりになる。
「……そろそろ、本格的な装備が必要ですね」
向かいの席で、クリスが地図と帳簿を広げながら言った。
彼は眉間に皺を寄せ、ブツブツと何やら計算をしている。
「次の街は交易都市『クロイツ』です。物資の流通量が多い街なので、そこで冬服と暖房具を揃えましょう。……予算配分を見直して、と」
「頼むぞ、金庫番」
「はい! 任せてください!」
クリスはペンを握りしめ、気合の入った返事をした。
旅の行程管理と資金の管理を任せてから数週間。
彼はその責任感からか、少しばかり張り切りすぎている節がある。
まあ、失敗して覚えるのも勉強だ。
俺は口出しせず、若き管理人の采配を見守ることにした。
◇
昼過ぎ。
馬車はクロイツの街門をくぐった。
東西南北の街道が交差するこの街は、多くの商人や旅人で賑わっていた。
活気はあるが、行き交う人々の服装は厚手のものに変わっており、街全体が冬支度を急いでいる雰囲気だ。
「まずは服屋へ行きましょう。防寒具の確保が最優先です」
クリスの先導で、俺たちは大通りの衣料品店に入った。
そこからは、ちょっとした着せ替え大会になった。
「わあ! ひつじさん!」
ロウェナが歓声を上げる。
彼女が選んだのは、白い毛皮をたっぷりと使った、モコモコのフード付きコートだった。
袖を通すと、まるで二本足で歩く羊のようだ。
「似合いますね! それに、これなら暖かそうです」
「ああ。動きにくそうだが、まあロウェナが戦うわけじゃないしな。……ついでに、その耳当てもつけてみろ」
「うん!」
俺たちが次々と渡す小物を、ロウェナは嬉しそうに身に着けていく。
結局、ロウェナには上質な羊毛のコートと帽子、手袋の一式を。
俺とクリスは、機能性を重視した厚手のジャケットと裏地のある手袋を選んだ。
会計の時だ。
店主が提示した金額に対し、クリスが口を開いた。
「三人分の冬装束をここで一括で揃えます。……その代わり、この子供用の予備の手袋と厚手の靴下、これをおまけにつけてくれませんか?」
「えっ? いやぁ、そこまでは……」
「これだけの点数を買うんです。他のお店を回る手間を省いて、貴方のお店を選んだんですよ? ……それに、このコートに合わせて靴下も揃えた方が、絶対に可愛いと思うんですが」
クリスは穏やかな笑みを浮かべながらも、決して引かない。
単に値を切るのではなく、「まとめ買い」という利点を提示し、さらに店主の商売人としてのプライドをくすぐる。
「……分かりましたよ、お客さんには負けだ! 靴下と手袋、サービスしましょう!」
「ありがとうございます。いい買い物ができました」
クリスは涼しい顔で代金を支払った。
(……へぇ)
俺は後ろで腕を組み、感心していた。
以前の彼なら、言われるがままに払うか、あるいは申し訳無さそうに値切って失敗していただろう。
これも、旅での経験と、彼自身の才能が開花した結果か。
◇
両手いっぱいの荷物を抱え、宿へ向かう道中でのことだ。
大通りを外れ、近道をしようと路地裏に入ったところで、行く手を数人の男たちに塞がれた。
酒の臭いがする。
昼間から酔っ払っているチンピラか、たちの悪いゴロツキだ。
「おいおい、兄ちゃんたち。いい服着て、随分と買い込んだじゃねぇか」
「俺達にも少し恵んでくれよ。通行料ってことでさぁ」
男たちがニヤニヤしながら近づいてくる。
俺が前に出ようと一歩踏み出した、その時だった。
すっ、と。
クリスが俺を制するように、前に出た。
「……何の用ですか?」
「あぁ? 聞こえなかったのか? 金を――」
「聞こえていますよ。ですが、お断りします」
クリスは荷物を持ち替えることもなく、毅然とした態度で男たちを見据えた。
武器を抜く素振りすらない。
だが、その背筋は伸び、声には微塵の震えもなかった。
「僕たちは急いでいるんです。それに、このすぐ裏通りを巡回中の衛兵が歩いていましたよ。ここで揉め事を起こせば、すぐに駆けつけるでしょう」
「っ……!」
男たちが一瞬怯む。
「小銭欲しさに騒ぎを起こして、豚箱で冬を過ごすつもりですか? 割に合わないと思いますけど」
クリスは冷ややかな目で、淡々と諭すように言った。
それは脅しではなく、純粋な損得勘定の提案だった。
男たちは顔を見合わせ、舌打ちをして道を開けた。
「……チッ。シラけたぜ。行くぞ」
男たちが去っていく背中を見送ってから、クリスはふぅ、と小さく息を吐いた。
「……行きましょう、師匠」
「ああ。……随分と度胸がついたな」
「いえ、正直ドキドキしました。でも、ロウェナちゃんの前で喧嘩はしたくなかったですから」
クリスは照れくさそうに笑った。
暴力で解決するのは簡単だ。
だが、言葉と態度だけで場を収めるのは、剣を振るうよりも難しい。
金庫番だけでなく、交渉役としても板についてきたようだ。
◇
案内された宿は、街でも評判の上等な宿屋だった。
通された部屋は広く、清潔で、何より部屋の隅には専用の暖炉が備え付けられていた。
赤々と燃える薪の炎が、冷えた身体を心地よく温めてくれる。
「……いい部屋だ。だが、少し高くないか?」
俺が尋ねると、クリスは薪をくべながら首を振った。
「安宿で隙間風に震えて、ロウェナちゃんや師匠が風邪を引いたら、その治療費や滞在費の方が高くつきます。休息の質を上げるのも、管理人の仕事ですから」
「……なるほどな。言うようになった」
俺は苦笑して、椅子に深く腰掛けた。
確かに、この暖かさは金に変えがたい。
ふと、窓際にいたロウェナが声を上げた。
「あ! えど、みて!」
彼女が指差すガラス窓の向こう。
灰色の空から、白いものがひらひらと舞い降りてきていた。
「……雪か」
初雪だ。
舞い落ちる雪片が、街の屋根をうっすらと白く染め始めていく。
「きれい……」
ロウェナは新しい羊毛のコートを着たまま、飽きもせずに窓の外を眺めている。
暖炉の薪がパチリと爆ぜた。
外はこれから厳しい寒さに包まれるだろう。
だが、今の俺たちには十分な装備と、頼もしい管理人がいる。
この冬の旅も、そう悪いものにはならないだろう。
俺は温かい茶を啜りながら、そんなことを思っていた。