作品タイトル不明
遠回りの地図と、小さな旅の友
王都の喧騒が、遥か後方へと遠ざかっていく。
整備された石畳の「王道」を行く大型の乗合馬車は、以前に乗った荷馬車とは比べ物にならないほど快適だった。
クッションの効いた座席に、風雨を凌ぐ幌と窓。
俺たちは向かい合わせの席に腰を下ろし、流れる景色を眺めていた。
「……さて、と」
俺は懐から地図を取り出し、膝の上で広げた。
「これからのルートについてだが、少し予定を変更しようと思う」
「変更、ですか?」
クリスが身を乗り出す。
本来、ここから北にある領都へ戻るには、街道を進み馬車や川船を乗り継いでいくのが一般的だ。
それでも、あの距離だ。順調にいっても三ヶ月はかかる長旅になる。
「ああ。真っ直ぐ北上すれば早いが、今は季節が悪い」
俺は地図の北側――領都がある周辺を指差した。
「もうじき冬だ。北の冬は早いぞ。今の時期に直行すれば、途中で雪に降られ、進むも戻るも地獄を見ることになる」
俺一人なら強行軍も可能だが、今回はロウェナもクリスもいる。
雪に閉ざされた宿場で、ただ春を待つだけの数ヶ月を過ごすのは御免だ。
「そこでだ。あえて雪の少ない南東側の街道を経由して、大きく遠回りをして帰ろうと思う」
俺は指先で、地図上に大きく弧を描くようなルートをなぞった。
「比較的温暖な地域を抜け、いくつかの観光名所や遺跡を経由する。冬の間は南で過ごし、春の雪解けと共に北上して領都へ入る。……ざっと半年の旅になるが、どうだ?」
「半年……! 随分と長い旅になりますね」
クリスは驚いた声を上げたが、すぐに地図を覗き込み、表情を緩めた。
「でも、いいですね! 僕、南の方は行ったことがありません。それに、遺跡というのも興味があります」
「急ぐ旅でもないからな。ロウェナもそれでいいか?」
「うん! りべるた……ううん、ロウェナ、えどといっしょなら、どこでもいい!」
ロウェナが笑顔で大きく頷く。
王都を出てからは、もう偽名を使う必要はない。
俺たちはいつもの呼び名に戻っていた。
「よし、決まりだ。……クリス、これからはお前に旅の行程管理を任せる。宿の手配や路銀の管理、全部やってみろ」
「えっ、僕がですか? 責任重大ですね……でも、やってみます!」
クリスは緊張した面持ちで、しかし嬉しそうに地図を受け取った。
◇
その大型馬車には、俺たちの他にも数組の乗客が乗り合わせていた。
その中に、隣国との交易を行う商人の一家がいた。
恰幅のいい父親と、優しそうな母親。
そして、二人の間には一人の少女が座っていた。
歳は十歳か、十一歳くらいだろうか。
栗色の髪を二つに結んだ、愛らしい顔立ちの子だ。
彼女――は、退屈そうに足をぶらつかせながら、時折チラチラとこちらを見ていた。
視線の先にあるのは、ロウェナだ。
ロウェナもまた、自分と同じくらいの背丈の子供が珍しいのか、窓の外を見るふりをして、少女のことを盗み見ていた。
(……なるほどな)
俺は懐から革表紙の手帳とペンを取り出した。
ページをめくりながら、俺は横目でロウェナに合図を送った。
「ロウェナ、王都で買った焼き菓子、余ってるなら少し分けてやれ」
「え?」
「挨拶代わりだ。……旅は道連れってな」
俺が背中を押すと、ロウェナはおずおずと包みを手に持ち、彼女の方へと身体を向けた。
「あ、あのね……これ、おいしいよ」
ロウェナが差し出すと、少女はぱっと顔を輝かせた。
「え、いいの? ……ありがとう!」
それがきっかけだった。
一度言葉を交わせば、子供同士が打ち解けるのに時間はかからなかった。
「私、アンナっていうの! お父さんのお仕事で、新しい街に行くところなの」
「わたしはロウェナ! えどとクリスと、たびをしてるの!」
「えーっ、旅? すごーい! 魔物とか見たことある?」
「うん! えどはね、すっごくつよいんだよ!」
馬車が揺れるたびに、二人の笑い声が弾ける。
アンナが持っていた「あやとり」の紐を取り出すと、ロウェナは目を丸くして食いついた。
「なにそれ! まほう?」
「ううん、あやとりだよ。こうやって指にかけて……ほら、『橋』!」
「わあ! すごい! わたしもやりたい!」
ロウェナの指は、短剣を握るのには慣れていても、細い紐を操るのには不慣れだ。
何度も絡ませては、二人で顔を見合わせてケラケラと笑っている。
その笑顔は、俺やクリスに向けるものとは、どこか違っていた。
遠慮がなく、対等で、底抜けに明るい。
俺はその様子を、手帳に支出の数字を書き込みながら、時折ペンを止めて眺めていた。
◇
楽しい時間は、あっという間に過ぎ去る。
数日後。
馬車は街道の分岐点となる大きな宿場町に到着した。
商人の一家はここから東へ向かう別の馬車に乗り換え、俺たちは南へと進むためにここで一泊する。
別れの時が来た。
「……もう、行っちゃうの?」
馬車乗り場で、ロウェナが寂しそうに尋ねる。
「うん。お父さんが、急がないといけないって」
アンナも名残惜しそうに、ロウェナの手を握った。
「楽しかったね、ロウェナちゃん」
「うん。……あやとり、おしえてくれてありがとう」
「元気でね! また、どこかで会えるといいね!」
商人の父親に呼ばれ、アンナが駆けていく。
彼女は乗り込んだ馬車の窓から身を乗り出し、姿が見えなくなるまで大きく手を振り続けた。
「バイバーイ! ロウェナちゃーん!」
「……バイバーイ! アンナちゃーん!」
ロウェナもまた、背伸びをして手を振り返していた。
その馬車が角を曲がり、完全に見えなくなってからも、ロウェナはしばらくその場に立ち尽くしていた。
◇
その夜。
宿の食堂で夕食を摂りながら、ロウェナはどこか元気がなかった。
「……アンナちゃん、もうとおくに行っちゃったかな」
スプーンでスープを掬いながら、ぽつりと呟く。
「そうだな。馬車なら、もう隣町くらいまでは行ってるだろう」
俺が答えると、ロウェナは小さく溜息をついた。
「また、あえるかな?」
「……さあな。旅人同士の縁は、水物だ。広い世界だ、会えないことの方が多い」
俺は嘘をつかずに答えた。変に期待させるのは残酷だ。
ロウェナは「そっか……」と俯いた。
俺はワイングの入ったジョッキを煽りながら、窓の外の闇を見つめた。
旅は自由だ。
しがらみもなく、好きな時に好きな場所へ行ける。
俺はその生き方が気に入っているし、性に合っている。
だが、子供にとってはどうだ?
今日出会って、明日には別れる。
そんな刹那的な関係の繰り返しが、成長期の子供にとって本当に幸せなことなのだろうか。
あのように屈託なく笑い合い、喧嘩し、共に時間を積み重ねていく「友達」という存在。
それを、俺たちの旅という都合で奪っているのではないか。
(……いや、考えすぎか)
俺は思考を中断する。
ロウェナに特別な力などない。
ただの活発で、少し事情のある普通の子供だ。
だからこそ、余計に考えてしまうのかもしれないが。
「……ロウェナ。明日は甘いパンケーキが出る店に行くぞ」
「……ほんと?」
「ああ。クリスが調べた店だ。なんでも、山盛りの果物が乗ってるらしい」
「……たべる!」
少しだけ元気を取り戻したロウェナを見て、俺は安堵の息をついた。
答えを急ぐ必要はない。
領都へ着くまで、まだ半年もあるのだから。