作品タイトル不明
揺れる轍と、追いついた英雄たち
王都の巨大な白亜の城壁が、背後で朝靄の中に霞んでいく。
俺たちを乗せた大型の乗合馬車は、整備された『王道』を東へとひた走っていた。
蹄の音と、車輪が石畳を転がる重低音が心地よいリズムを刻む。
車内には俺たち三人の他にも、行商人や里帰りする家族連れなど、数組の乗客が乗り合わせている。彼らの話題は、もっぱら昨日の「大事件」で持ちきりだった。
「聞いたか? 昨日の武術大会。優勝した『仮面の剣士』、最後は空を飛んで消えたらしいぞ」
向かいに座った恰幅のいい商人が、興奮気味に身を乗り出して語る。
「いやいや、私が聞いた話じゃ、正体はドラゴンの化身だって話だ。口から火を吹いて勇者様の剣を弾き返したとか」
「まさか。あれは先代剣聖の隠し子ですよ。勇者様と義兄弟の契りを交わして、涙ながらに旅立ったそうです」
隣の青年がまことしやかに頷く。
噂話は尾ひれどころか翼を生やし、もはや神話の領域に達しつつあった。
(……おいおい。俺はいつからドラゴンになったんだ)
俺はフードを目深に被り、苦笑いを噛み殺しながら窓の外を眺めるふりをした。
隣では、クリスが必死に笑いを堪え、肩を震わせている。
「へぇ~、すごいですねぇ。見てみたかったなぁ」
クリスが調子を合わせて相槌を打つ。
「ちがうよ! あのおじちゃんが言ってるの、ウソ! ほんとは――むぐっ」
ロウェナが真実を暴露しようとした口を、クリスが慌てて両手で塞いだ。
「あはは! 子供の空想は豊かですね! ほらロウェナちゃん、ミネルヴァさんに貰ったお菓子でも食べようか!」
クリスが冷や汗を流しながら、ロウェナの口に甘い干し果物を放り込む。
ロウェナはもごもごと口を動かし、すぐに大人しくなった。
もう王都は出た。これからは偽名ではなく、いつもの俺たちに戻っていいはずだが、この車内ではまだ目立たない方が良さそうだ。
やれやれ、英雄ってのは勝手に作られるもんだな。
俺はミネルヴァの親父さんから譲り受けた無骨な鉄剣の柄を、指先でコツコツと叩いた。
何の変哲もない、この「ただの鉄」の感触だけが、俺が何者でもない、ただの旅人であることを思い出させてくれる。
◇
夕暮れ時。
馬車は、街道沿いにある大規模な宿場町『休息の角笛亭』に到着した。
ここは王都と東の地方を結ぶ交通の要衝であり、多くの旅人が足を休める場所だ。
「ふぅ……。やっぱり馬車はずっと座ってるから、逆に腰が疲れますね」
馬車を降りたクリスが、凝り固まった体を伸ばし、ボキボキと関節を鳴らす。
「歩き慣れてる証拠だ。今日はここで一泊だ。個室を取って、まともな飯を食おう」
俺たちが宿の玄関へ向かおうとした、その時だった。
ドドドドドド……!
街道の彼方から、凄まじい勢いで駆けてくる一団があった。
夕日を背に砂煙を上げて現れたのは、豪勢な馬具をつけた数頭の駿馬。
その先頭を走る、金髪の男が、俺たちの姿を見つけて大きく手を振った。
「おーい! やっと追いついた!」
その声に、周囲の旅人たちが一斉に振り返る。
そして、次の瞬間、宿場中がどよめきに包まれた。
「う、嘘だろ……!?」
「勇者様だ! 勇者レオナルド様だぞ!」
馬から飛び降りたのは、昨日の今日で見間違えるはずもない、勇者一行その人たちだった。
レオナルドだけではない。
聖女、大斧使いの大男、それに魔法使いらしき女性と、軽装の斥候風の男。
国の英雄フルメンバーが、こんな街道の宿場に勢揃いしているのだ。
「……げっ」
俺は思わず後ずさった。
逃げようとする俺の肩を、レオナルドがガシッと掴む。
「つれないなぁ、エド! せっかく見送りに来たのに!」
「見送り……? というか、よくここが分かったな。馬車で移動してたんだぞ?」
俺が呆れて尋ねると、レオナルドの後ろから聖女ソフィアが静かに歩み出てきた。
「私がした『手当て』をお忘れですか?」
彼女は俺の左肩――闘技場で治療してくれた箇所を指差した。
「貴方の身体には、まだ私の魔力の残滓が強く残っています。それを辿れば、王都から出た程度なら位置を特定することなど造作もありません」
にっこりと微笑む聖女。
「王都じゃ騒がしくて、ゆっくり話もできなかっただろ? それに……」
レオナルドは後ろの仲間たちを振り返り、悪戯っぽく笑った。
「こいつらが、どうしても君に会いたいって聞かなくてね」
◇
成り行きで、俺たちは勇者パーティと共に、宿の貸切個室でテーブルを囲むことになった。
最初は緊張していたクリスやロウェナも、彼らの気さくな態度にすぐに打ち解けていった。
酒が入り、料理が並ぶと、そこには「英雄」という肩書きを外した、等身大の若者たちの姿があった。
「ガハハ! いやぁ、あんたがレオに一撃いれた時はスカッとしたぜ!」
豪快に笑いながら俺の背中を叩くのは、大斧使いのブルーノだ。
岩のような筋肉を持つ巨漢だが、その笑顔は人懐っこい。
「俺なんざ、元はド田舎の農家の三男坊でよぉ。畑の石ころをどかすのが得意なだけの木偶の坊だったんだ。それがレオに拾われて、気づけば世界を救う旅だ。人生分からねぇもんだな!」
ブルーノが骨付き肉を齧りながら言うと、隣で帳簿をつけていた魔法使いの女性、ミスティが呆れたように溜息をついた。
「ブルーノ、食べ方が汚い。ワインが飛ぶでしょ。……まったく。うちは商家だったから、こういう粗野な振る舞いは許せなくて」
彼女は眼鏡を光らせ、きっちりと財布の紐を握っている。
「あたしは旅芸人の一座にいたのさ!」
テーブルの上で器用にナイフをお手玉しているのは、斥候のリコだ。
小柄だがバネのある体つきをした少年のような男だ。
「レオが客席から飛び込んできて、『君の目はいい。俺の背中を預けられる』なんて口説くもんだから、ついフラッときちまってね!」
農民、商人の娘、旅芸人。
集まったのは、最初からエリートだったわけではない、どこにでもいる若者たちだった。
彼らを繋ぎ合わせ、英雄へと変えたのは、レオナルドという男の求心力だ。
歓談の中、レオナルドがふとクリスの足元に目を留めた。
「……おや。その青い脛当て、見事な造りだね。それに、その特徴的な色……」
レオナルドは顎に手を当て、何かを思い出すように目を細めた。
「王都……いや、カレドヴルフで特注したのかい?」
「え? あ、はい。そうですが……」
クリスが不思議そうに答えると、レオナルドはポンと手を打った。
「なるほど、やっぱりそうか。……実はね、王都へ向かう道中、オーランド伯爵という貴族の行列とすれ違ったんだ。ひどく不機嫌そうに、『青い足甲をつけた槍使いの男を知らんか!』と絡まれてね」
ギクリ。
俺とクリスは顔を見合わせた。
「し、知らないと言ってくれましたか……?」
クリスがおそるおそる尋ねる。
「もちろん。『そんな特徴的な戦士なら記憶に残るはずだが、知らないな』って答えておいたよ。その時は本当に知らなかったからね。伯爵は地団駄を踏んでいたよ」
レオナルドはニカっと笑った。
どうやら、俺たちの道中の「正義の味方ごっこ」の犯人は、今この瞬間に発覚したらしい。
そして。
俺の向かいには、聖女ソフィアが静かに座っていた。
彼女は、ワイングラスを両手で持ち、じっとその揺れる水面を見つめている。
「……レオ様は、いつもそうなのです」
ソフィアが、小さな声で語り始めた。
「自分のことよりも、誰かのために動いてしまう。……私が、そうでしたから」
彼女は元々、王都の教会とは異なる、地方の小さな分派のシスターだったという。
貧しい人々のために祈り、癒やしの奇跡を行使していたが、その力が強すぎた故に、本山から『異端』の認定を受けた。
「魔女」として断罪され、火炙りにされそうになったその時、単身で教会に乗り込み、彼女を救い出したのがレオナルドだった。
『神が彼女を救わないなら、僕が救う。彼女の力は、誰かを傷つけるためのものじゃない』
そう言って、彼は世界中の聖職者を敵に回してでも、彼女を守り抜いたのだという。
「レオ様は……ただ戦いが好きなだけの子供ではありません。誰かの痛みに、誰よりも敏感な方なのです」
ソフィアの言葉に、俺は隣でクリスと笑い合っているレオナルドを見た。
無邪気な笑顔の下にある、王としての器。
ただの戦闘狂なら、これほどの仲間は集まらない。
(……なるほどな。こりゃあ、勝てないわけだ)
俺は納得し、グラスを掲げた。
「いいチームだ。……乾杯しよう」
◇
宴は深夜まで続いた。
ロウェナはソフィアの膝の上で眠り、クリスはブルーノと腕相撲をして負け続けている。
俺とレオナルドは、バルコニーに出て夜風に当たっていた。
涼しい風が、酒で火照った頬を撫でていく。
「……ここから東へ行くのかい?」
レオナルドが、東の空に浮かぶ月を見上げて言った。
「ああ。里帰りだ。……まあ、待ってるのは墓石くらいだがな」
「そっか。……君の剣、本当にすまなかった」
レオナルドが改めて頭を下げる。
「気にするな。あいつも本望だったろうよ。世界最強の剣と打ち合って砕けたんだ」
俺は腰の鉄剣を叩いた。
「こいつはまだ軽いが、まあ、旅の中で馴染ませていくさ」
レオナルドは俺の顔をじっと見て、そして手を差し出した。
「エド。……君と戦えてよかった。君のおかげで、僕はまた一つ強くなれた気がする」
「こっちは寿命が縮んだよ」
俺は苦笑して、その手を握り返した。
熱く、分厚い手だった。
「また会おう。……今度は、戦場じゃない場所で」
「ああ。その時は、美味い酒でも奢ってくれ」
◇
翌朝。
俺たちが起き出した頃には、勇者一行は既に発った後だった。
宿の主人によれば、夜明けと共に、北の山脈で発生した魔物討伐の任へ向かったという。
嵐のように現れて、風のように去っていく。まさに英雄だ。
俺たちは宿を出て、東へと続く街道に立った。
王都はもう、遥か後方だ。
「行こうか」
俺が声をかけると、クリスとロウェナが力強く頷いた。
「はい、師匠!」
「うん! りょうと、いく!」
俺は腰にある、新しい鉄の重みを確かめる。
肩に残る聖女の魔力も、心なしか温かいものに変わっている気がした。
俺たちは朝日を背に受け、長い長い帰郷の旅路へと足を踏み出した。