軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

鉄の女の家族と、原点への帰路

賑やかな大通りを外れ、静まり返った職人街の路地裏を歩くこと十数分。

石畳を叩く俺たちの足音だけが、夜の静寂に響いている。

「……本当に、ここですか?」

クリスが不安そうに、前方の建物を見上げた。

地図に記された「★マーク」の場所。

そこにあったのは、宿屋でも酒場でもない、こぢんまりとした一軒の石造りの家だった。

手入れされた花壇には季節の花が咲き、窓にはレースのカーテンが掛かっている。

どう見ても、ただの一般市民の民家だ。

「場所は間違いないはずだが……」

俺も半信半疑で地図を確認する。

だが、他に当てもない。俺は覚悟を決めて、玄関の扉をノックした。

コン、コン。

しばらくして、中からパタパタという足音が近づいてくる。

ガチャリと扉が開いた。

「はい、どちら様でしょうか?」

顔を出したのは、理知的な瞳をした初老の女性だった。

銀縁の眼鏡をかけ、質素だが品の良い服を着ている。

その顔立ちを見て、俺はハッとした。

眼鏡の奥の鋭くも理知的な瞳、すっと通った鼻筋。

誰かに似ている。

「あの、夜分遅くに申し訳ありません。俺たちはストラーノという者ですが……」

俺が名乗ると、女性は目を丸くし、それからすぐに、花が綻ぶような柔らかな笑みを浮かべた。

「あら! あなたが『ストラーノ』さんね? お待ちしておりました」

「えっ? 待っていた?」

「ええ。数日前、娘が顔を出しましてね。『近いうちに、宿無し猫を三匹送るかもしれないから、よろしく頼む』って」

女性は悪戯っぽく笑い、扉を大きく開けた。

「さあ、どうぞ中へ。娘――ミネルヴァがお世話になっております」

「……ミネルヴァさんの、ご実家!?」

クリスが素っ頓狂な声を上げる。

俺も驚きを隠せなかった。

まさか、あの鉄の女が、自分の実家を避難所として提供してくるとは。

「立ち話もなんですし、どうぞ。粗茶ですが用意してありますよ」

女性――ミネルヴァの母、エレナさんは、流れるような所作で俺たちを招き入れた。

その手際の良さは、ただの主婦のそれではない。かつて宿屋か何かで働いていたような、洗練された動きだった。

通された客間は、ミネルヴァの几帳面さを思わせるほど整理整頓が行き届いていた。

温かいハーブティーと、手作りの焼き菓子が出される。

「おいしい!」

ロウェナがクッキーを頬張り、満面の笑みを浮かべる。

「ふふ、お口に合ってよかったわ」

エレナさんは穏やかに微笑む。

「あの子、仕事ばかりで滅多に家には寄り付かないのだけれど……自分の気に入った『放っておけない人』を寄越すのよ。昔から世話焼きでねぇ。口うるさいけど、根は優しい子なの」

母親の口から語られる「鉄の女」の意外な一面に、俺たちは親近感を覚えずにはいられなかった。

その時だった。

バンッ!!

玄関の扉が勢いよく開く音が響き渡った。

「ガハハハハ! ただいま戻ったぞー!!」

野太い大声と共に、リビングに入ってきたのは、熊のような大男だった。

立派な髭を蓄え、上等な服を着崩している。

その顔は赤らみ、上機嫌そのものだ。

「あら、お帰りなさいあなた。……また飲んできたの?」

エレナさんが呆れたように言う。

「おうよ! 今日は大勝だ! 一生分のツキが回ってきた気分だぜ!」

男――ミネルヴァの父、ガルドは、ドカドカと部屋に入ってくると、俺たちを見て目をぱちくりとさせた。

「あん? 客か?」

「ええ。ミネルヴァが言っていた、ストラーノさんたちよ」

「おお! あんたらか! よく来たよく来た!」

ガルドは豪快に笑い、俺の肩をバンバンと叩いた。

「ただいま戻りました」

その直後、今度はミネルヴァが疲れ切った顔で帰宅した。

「あら、早かったわね。……って、お父さん? もう帰ってたの?」

ミネルヴァは父親の姿を見るなり、げんなりとした顔をした。

「おう、ミネルヴァ! よくやったぞお前! お前の予想通りだった!」

ガルドは娘の背中をバシバシと叩く。

「お前が張った『仮面の剣士』、大穴だったな! 倍率百倍だぞ! 流石は俺の娘だ、見る目がある!」

「ちょ、ちょっとお父さん! 声が大きいわよ!」

ミネルヴァが慌てて父親の口を塞ごうとするが、もう遅い。

「……賭け?」

俺がジト目でミネルヴァを見ると、彼女は顔を真っ赤にして視線を逸らした。

「そ、それは……データに基づいた堅実な投資よ! あくまで統計学的な……」

「ガハハ! 何言ってやがる! こいつは昔から賭け事が大好きなんだよ! 俺に似て勝負勘が鋭いんだ!」

ガルドが暴露する。

あの堅物事務員が、実は裏で賭け事に興じていたとは。

しかも、顔を隠して参加しているため、ギルドにはバレていないらしい。

「……なるほどな。だから俺に協力したわけか」

俺がニヤリと笑うと、ミネルヴァは「うぅ……」と小さくなってしまった。

「で、だ。その『仮面の剣士』ってのが……」

ガルドが俺の顔をまじまじと見つめ、そしてハッと目を見開いた。

「まさか……あんたか!?」

俺は観念して頷いた。

「……まあ、そういうことだ」

「うおおおおッ!! 本物かよ!!」

ガルドは俺の手を両手で握りしめ、ブンブンと振った。

「あんたのおかげで、俺は大儲けさせてもらったんだ! 家のローンもこれで完済だ! いやぁ、ありがてぇ!」

彼は裏街の顔役であり、賭け闘技の胴元の一人だったのだ。

「宿代? いらんいらん! そんなもん取るわけねぇだろ! むしろこっちが払いたいくらいだ! 今日は朝まで飲むぞ! 宴会だ!」

ガルドの号令で、静かだった家は一転して宴会場と化した。

深夜。

宴も終わり、ロウェナが寝静まった後の静かな客間。

俺たちはテーブルを囲み、今後のことを話し合っていた。

テーブルの上には、布に包まれた『砕けた愛剣』が置かれている。

「……芯までイッてるな。もう直せねぇ」

俺は折れた刃を見つめ、静かに言った。

「師匠、武器はどうしますか? ここから次の目的地までは距離があります。丸腰では……」

クリスが心配そうに尋ねる。

「そうだな。王都で新しい剣を買うか……それとも……」

俺の脳裏に、一つの選択肢が浮かんでいた。

「カレドヴルフへ戻って、ガレンさんに頼みますか? あの人なら、きっと凄い剣を打ってくれるはずです」

クリスの提案は魅力的だ。

だが、俺は首を振った。

「いや、カレドヴルフは遠すぎる。往復して次の街をと考えると数ヶ月はかかるぞ。それに……」

俺は砕けた剣の柄を撫でた。

この剣は、ただの鉄の塊じゃない。

俺の癖、俺の無茶な使い方、全てを知り尽くした馴染みの職人が打ってくれたものだ。

俺の手のひらに染み付いた感覚は、新しい剣では埋められない。

「……領都へ戻ろう」

俺は決断した。

「えっ? 領都へ?」

「ああ。この剣を打ってくれた爺さんがいる。俺の手の癖を知り尽くしているのは、あの人しかいない」

それに、と俺は心の中で付け加える。

勇者と戦い、生き残った。

そして、剣が砕けた。

その「旅のひとつの到達点」を、恩人である代官騎士様の墓前に報告し、この砕けた剣を供えたい。

それが、俺なりのけじめだ。

「領都まではかなりの距離ですが、大丈夫でしょうか?」

「ああ。だが今回は資金がある。馬車を使って時間を買うさ」

俺が方針を伝えると、話を聞いていたガルドが立ち上がり、部屋の奥へと消えた。

戻ってきた彼の手には、一本の鉄剣が握られていた。

「……賭けのカタに回収したもんだが、質は悪くねぇ。軍の将校が使ってたやつらしい」

ガルドは無造作に剣を差し出した。

「あんたのおかげで大儲けさせてもらったんだ。繋ぎとして持っていきな」

俺は剣を受け取り、鞘から抜いてみた。

ずしりとした重み。刃こぼれもなく、手入れが行き届いている。

安物ではない。

「……十分だ。助かる」

「へっ、気にするな。持ってけドロボウ!」

ガルドは豪快に笑った。

すると今度は、ミネルヴァが口を開いた。

「ねえ、ストラーノ。貴方、賞金の金貨百枚はどうするつもり?」

「どうするって……背嚢に入れて持ち歩くに決まってるだろ」

「馬鹿ね。そんな大金を持って旅をするなんて、強盗に『どうぞ襲ってください』って言ってるようなものよ」

ミネルヴァは呆れたように溜息をついた。

「それに、重いでしょ? 金貨百枚なんて」

「まあ、確かにそうだが……」

「ギルドの『預金証書』を使いなさい」

ミネルヴァは説明を始めた。

大金をギルド本部に預け入れ、代わりに偽造防止の特殊なインクで署名された証書を発行してもらうシステムだ。

これと、持ち主であることを証明する『ギルド証』があれば、大陸中の主要都市にあるギルド支部で、必要な分だけ現金を引き出すことができる。

「手数料は少し取られるけど、安全と軽さを買うと思えば安いものでしょ? 貴方、知らなかったの?」

「……田舎の支部じゃ、そんな大金を扱うことがなくて、教えてもらわなかったからな」

俺が素直に白状すると、彼女は苦笑した。

「ただし、無くしたら再発行はできないわよ。命の次に大事にしなさい」

「分かった。……明日の朝一番で、手続きをしてくれないか?」

「ええ。窓口が開く前に案内してあげるわ」

「助かる。事務手続きは任せた」

翌朝。

建国祭の喧騒が再び始まる前の、静かな早朝。

俺たちはミネルヴァの実家を後にした。

「またいつでもいらっしゃい。美味しいご飯を作って待ってるわ」

エレナさんが優しく微笑む。

「次はもっと派手に勝てよ! また賭けてやるからな!」

ガルドが親指を立てる。

俺たちは手を振り、朝霧の立ち込める通りへと歩き出した。

その足でギルドへ向かい、ミネルヴァの手引きで賞金と手持ちの資金の大半を預け入れる手続きを済ませる。

懐には数枚の金貨と、折り畳まれた薄い羊皮紙の証書だけ。

大金を持ち歩くリスクと重さから解放され、俺たちは身軽になった。

そして、ミネルヴァ。

彼女は少し寂しそうに、しかし気丈に俺たちを見送った。

「……聖女様の追跡、気をつけるのよ、何があるかわからないから。それと、たまには手紙くらい寄越しなさい」

「ああ。達者でな」

王都の南門。

ここから川港へ向かい、そこから船と馬車を乗り継げば、領都への帰還ルートだ。

「行くぞ。……里帰りだ」

俺の言葉に、クリスとロウェナが力強く頷く。

武器を失い、新たな目的を得た旅。

俺たちは乗り合い馬車に揺られ、懐かしき故郷への長い旅路に出発した。