軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5-7

両腕を縛られ、更に胴にぐるりと巻いた縄を、更に小さな紐で結わえ付ける拘束方は〝関節を外そうが脱出不能〟という特種な括り片であると、ナナはハジメから教えられた。

それと同時、捕まえた相手のボディチェックは尻の穴までやれと叩き込まれ、嫌な顔をすることとなる。

「そんな面するなよ。傭兵が普通何本ナイフを隠し持つと思う? 俺はベルトに一本、ブーツに一本は最低でも仕込む。最悪下着まで含めて着替えさせて、猿轡噛ませりゃいいんだよ」

「分かってるよ、分かってるけど……オッサンの裸なんか見たくないし」

「じゃあシャシュトゥにやらせろ」

「ヒデぇよ兄貴! おれだって汚いオッサンの体なんて見たくねぇ!!」

憤る弟分をまぁまぁと宥め、これで落ち着いてしまうんだから安い物だなと思っているナナ達の前で、トムソンが跪きながら震えていた。

「ぼ、ぼくは、どうなるんですか?」

その問いにキョトンとするナナ。

そういえば、解決しろと言われたけれど、やり方への注文は受けていなかった。

これといってハストゥールからの指示はなく、明確だったのは報酬と「酒場で増えた死人の謎を解明しろ」であって、下手人の捕縛やら何やら、細かい注文はつけられなかった。

「え? どうすればいいの?」

「そこを考えるのも傭兵の仕事だぜ、ナナ。顧客満足度を高めねぇと次の仕事はこねぇ」

言ってハジメはシケモクを加え、弾痕の刻まれたスターリングシルバーのオイルライターで火を灯した。

「臭いからやめてくんない? ここ、窓もないんだし……」

「仕方ねぇだろ、マスターがご厚意で貸して下さった倉庫だ。文句言うな」

「オタクくんに文句言ってんだけど!?」

ギャルの怒りを紫煙の吐き出しで軽くいなしたガンスリンガーは、煙草を口元にやって咥え煙草に移行したと思えば、手品のような素早さで愛銃を抜き放っていた。

「ひっ……」

ごり、と鈍い音を立てて銃口が後頭部を撫でる。物騒な、死神が鎌を擡げるような音を立てて、特別に軽く調整されたハンマーが持ち上がった。

「まぁ、一等簡単なのは、こいつの死体を引き渡すことだ」

「まっ、待って、待ってくれ! ぼくは、ぼくは好きでこんなことをしているんじゃない! みんなのために! 苦しんでいる全ての人のために!!」

「うるせぇなぁ……」

殴って黙らせようかと拳を鳴らしたシャシュトゥに、ナナは手で遮って止めさせた。

「でも、ハストゥールさんはそれで喜ばない……でしょ?」

「なんだ、お前も馴染んできたじゃないか。そうだ、あの女、心の中じゃ、このゴミ箱の底を全部手前のおもちゃ箱が何かと考えている女は、こういったつまらん幕引きを好かん」

「まぁ、何となくキャラの濃さから分かってたよ」

ナナは溜息を吐き、涙を流して、命乞いをするトムソンの前にしゃがみ込むと精一杯優しい顔を作って促した。

言いたいことがあるなら言ってみ? と。

「ここは、地獄だ、いや、それより酷い」

「そこは理解できるかな」

「明日の煙草のため、大人が子供を撃ち、寝ている大人を子供が撃つ。まだ可愛い盛りの子供を奴隷に売ることも珍しくないし、ぼくは溝に死体が浮いていない日を一度もみていない。子供は健康に産まれてくることが希で、産み捨てられた赤子が泥で溺れて死んでいることさえある」

「ああ、あーしも大分見てきたね。水死体にも慣れてきちゃった」

訥々とトムソンが語るとおり、このスクラップヤードは地獄だ。

恐慌や不況、戦争に見舞われた国であれば、いつかまた平和な世の中がやってくると信じることもできるだろう。

努力して何かを残せば、自分は無理でも子供の代、それが難しくとも孫の代にはと、か細い希望を杖にして立ち上がることもできよう。

だが、このスクラップヤードに、世界の果てのゴミ捨て場に斯様な物があるか?

残念ながら、そこには〝うりきれ〟の看板が提げてある。

土地は汚れつくし、汚染物質を含んだ水は文明の骨子たる農業を不可能たらしめる。その環境下で生きていて、辛うじて食用に耐える物を採取するのが限界だ。

それ以外の術と言えば、絶えず棄てられてくる世界の残骸から食える物、使える物を引っ張ってきて〝だましまだしの自転車操業〟を繰り返すこと。

誰も未来を夢見ない。

明日のことで必死だ。腹を満たすための煙草一本のために、何でもする者がどれけいるか。粗雑なジップガンの銃声を聞かない日など一日たりとてないし、まだ体を売るのに十分な年齢でない子供が客を取ろうと必死に声を掛けていることもある。

ここは正しく地獄よりも酷いゴミ溜めだ。

人間は希望があれば生きていける。腹が減ろうが苦しかろうが、それに縋り付いて努力することができる。

だが、逆を言えば、それがなければ人間は生きていけない。

どこまでも堕落していく。

再建を目指した都市が、棄てられて来た世界に押し潰されて、全てがオシャカになることもある土地で、誰が上を見ようか? 明日降ってくるかもしれない世界の心配でもしているのかと思われるのが関の山であろう。

そして、絶望に堕ちた魂は自らの業によって延々と生きている限り、自分を苛む。

「それは地獄より辛いことだ……ぼくには分かる、何もできない、何一つ好転しない、この絶望の辛さが」

「それで毒を盛る理由になる?」

「君に分かるか! 日に日に手の中で痩せていく子供の軽さが、どれほどか!」

銃口を後頭部に押しつけられながらもトムソンは吠えた。

「素手で妻の墓を彫る土の冷たさが! 剥がれた爪さえ痛まない絶望が! 腐っていく母を見て、母さんが崩れちゃったと泣く子供の悲嘆が!!」

その大声と、鼻水と血涙を流さんばかりの迫力にたじろぎ、ナナはしゃがんだまま半歩たじろいだ。

とてもではないが、命を握られているとは思えない男の啖呵だ。

「こんな絶望が世の中に溢れている! ああ、ぼくはフラッフィーさんを殺した! だが、彼はいつもチラチラと自分のレバーライフルを見ていた! その銃口を加えて、足の指が引き金に掛かるまであと何日あったと思う!?」

「それは……」

「だからぼくは、彼を絶望から救った! 安らかに眠れるよう、苦しまないように味も極上のカクテルで! 君も、君もこの世界に嫌気が差しているんだろう!?」

熱っぽい言葉には、彼の真実が滲んでいた。

酒場での殺しは、彼なりの慈悲であったのだ。

辛く、生きることに倦んだ者の酒杯に毒を垂らし、安寧のまま眠るように死なせてやる。それ以外に、この世界が横たわるゴミ捨て場で救いを得られることができるだろうか?

自問して、ナナは答えを出すことができなかった。

自分だって思ったのだ。このまま戦って、殺して、稼いで、その末に何があるのだろう。毛染め剤一つのために何回か命の危険を感じるような相手とやり合って、それが生きている限り続く。

たしかに、言われてみれば絶望だ。希望など、この先楽になるという見晴らしは何一つない。

その点、就職して結婚したとして、幸福が確約されていたとは言えない〝前の世界〟であったとしても、随分とマシだったろう。

むしろ、比ぶれば暢気で贅沢な悩みだとさえ思えた。

生きていて楽しいか。

その問いを思春期だったナナは自分に何度も投げつけたことがある。この先生きていて、楽しいコトってどれくらいあるのだろうと。

学校がゾンビに襲われるまでは、ぼちぼち楽しいこともあるかもしれない。そんな漠然とした不安と期待を抱いていられた。

だが今は?

「ご高説垂れるのは結構だがな」

思考が迷い始めた時、ハジメが割って入った。

「命と魂だけは、自分のもんだ。お前如きの〝可哀想〟なんて勝手な思い込みと同情で好き勝手されていいもんじゃねぇんだよ」

「オタクくん……」

眠そうな半眼が、僅かに見開かれていた。小さな豆電球の頼りない灯りがチラチラと照らす、濃い褐色の瞳が光の反射でガーネットのような色合いを帯びていた。

「たしかにここは地獄の一丁目がマシに思えるクソ溜めだ。ヒデぇ酒、不味い飯、辛くて臭いシケモクと造りの悪い武器以外に何があるかつったら、クソ野郎共の掃き溜めだ。この世の悪徳が澱になった痰壺だ」

それでもな、と言って彼が珍しく、本当に珍しく煙草を吐き捨てた。

ハジメが前の世界の倣いだからと守ってきたルール。それを破るのは、他の馴染みの面子から言わせると〝ブチギレた〟時だけである。

「それでもな、世界が棄てられても魂と思い出だけはテメェの持ち物として誰にも奪えない。だからこそ、終わりを選ぶ権利があるのは、自分だけなんだ」

「でも、彼は悩んで……」

「それは、テメェが、良いことをしたと思って気持ちよくなりてぇだけのオナニーだろうがよバーテンさん」

声が冷えていく。熱が失せ、凍り付いたような退く声音に変じるのを聞いて、ナナとシャシュトゥは背筋に氷を放り込まれたような心地になった。

況してや、銃口を向けられているトムソンは殺意の針が後頭部に突き刺さったかの如き威圧に、耐えきれなくなって失禁するほどであった。

「言葉を選べよ、自己中野郎。 エッジ(生死) の上だぜ」

彼のやりようは泥の中で足掻き、死ぬべき時が来るまで〈悪運〉が導くままに藻掻いているハジメの逆鱗に触れた。

彼は生に何処までも倦んでいる。しかし、その生を繋いできた沢山の死を〝全て覚えている〟が故にこそ、その終わりが無意味で無様であっても、自分が選んだ先にあるべきだと考えていた。

そこに訳知り顔で辛いでしょう、苦しいでしょう。〝終わりを恵んであげます〟などと堂々と宣わられて真面でいられるだろうか。

その怖ろしいまでに軽く調整されたトリガーは、彼の苛立ちを示すようにコツコツと撫でられている。

「オタクくん」

そこに水を差すように、冷たい声がかかった。

「これ、あーしの仕事」

「……ああ、そうだな、そうだった、そうだな、お前の仕事だ」

どろりと石榴石のような色合いをしていた目が、眠たそうに閉じられた後、普段の泥から掬ってきたような琥珀色に戻っていた。単なる光の加減に過ぎまいが、彼の中で何かの電源が落ちたように感じた。

「あーしは、このままハストゥールさんに引き渡したい」

「そうか。なら後一日ここを借りて、酒場で待ってろ。向こうから来るだろ」

彼は吐き捨てるように言って、一度ガンスピンを挟んだ後に愛銃をホルスターにしまう。そして、憤りのままに吐き捨てたシケモクを拾い上げると、口元の汚れをはらって、また咥えた。

「あとは好きにしろ。俺はここで飲んで帰る」

「りょーかい」

不機嫌そうに去って行くハジメを見送り、しかしナナは表情から厳しさを隠さず言った。

「助かったと思ってる? けどね、多分違う。あーしの選択肢は、多分もっと慈悲深くない」

「な、なん……」

「さぁね。安心できる逃げ先を汚した罪深さってヤツ? それを味わったら?」

意味深な言葉を残して梯子から普段の酒場に戻っていくナナ。

そして、明後日。

彼女は酒場を出てから嫌な物を見た。

酷くボコボコになった死体だ。

ただの亡骸ではない。被せた前面だけが刳り抜かれているタルに上体を拘束された、滑稽にして珍妙な死に様の死体。

その姿に最早洗練されたバーテンの面影はないが、彼がトムソンであったことは分かった。

恥辱のタル。その名をナナは知らないが、見せしめ刑に使われる道具であることは分かった。本来は酒の飲み過ぎで馬鹿をしでかした者を更正させるために使われるが、この場合は違う。

タルに刻まれたドクロの描かれた酒瓶の絵図。これは毒に酒を混ぜて売った人間に被せられる、この者はどう扱おうと構わぬという証明。

そして、彼は街に燻る多くの鬱憤を受けて、こうなった。

死体はこのまましばらく晒されることだろう。

この街で、この世界で数少ない救いにして、慰めの酒の毒を混ぜることは許されざる悪業。倫理も人倫も消え果てて久しい巷であっても、許されないことはあるのだ。

何よりも、一時の逃避であっても、それは僅かな希望を喚起することもある。

希望。それは何より尊い物だ。この全てが棄てられてくる世界で、微かであろうと、まぼろしの如くあろうと、存在するのとしないのとでは大きな差がある。

なればこそだ、希望は生を呼び起こす起爆剤として、黃衣のフィクサーは重んじる。

そのかそけき願いにによって動く生命が、更なる地獄に導かれる可能性を知って尚も。

むしろ、その地獄の中で蠢く魂を見たいからこそ、彼女はそれを尊ぶのだ。

そして、ナナの働きぶりは満足行く物であったのだろう。

風にそよぶ髪は、見事な茶髪を取り戻していた。

しかし、これも同じだ。何時まで続くか分からない。

それでも、小さな希望がゴミ箱の底を緩やかに回していく…………。