軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5-6

「いらっしゃい」

酒場の扉を開くと、寡黙なマスターの代わりに人の良さそうな男が、爽やかな声をかけた。

逞しいが吹き抜ける澄んだ夏の風のように清々しい男だった。労働によって浅く焼けた肌、後ろに流した サン・キス・ブロンド(太陽のような金) の髪。ニッコリと笑う歯が目映いほどに白い、この界隈では胡散臭いほどの好漢。

「珍しいね、流しの人? マスター、この人に相手して貰って良い? 愛想ない面に飽きちゃった」

「……お好きにどうぞ」

店に現れた傭兵は、スリングを器用に回してハンガーラックに重そうなトラップドアライフルをひっかけつつ、止まり木に座った。

「どうも、ハンサムさん、あーしはナナ、よろしくね」

「こちらこそどうも。トムソンです」

歯を見せて笑う如何にもな好漢に、ナナは笑って煙草を差しだした。

「カクテルが得意だって聞いたんだけど。何か甘くて、あんまり強くないのできる?」

このスクラップヤードにおいてカクテルとは本義のそれとは趣が多少異なる。

酷い味の酒同士を混ぜることで、辛うじて飲めるようにする。

正に正規品がないが故に、どうにかするために磨かれた技術なのだ。

「ええ、もちろん」

お任せをと透明なロンググラスを取った彼は、砕いた氷を入れた後、何種類かの酒を注いで匂いを嗅いだ後、この地では希少な――マスターがペルディトゥスの魔法で作っているのだ――炭酸水を注いで、マドラーで混ぜた。

その技術の高さは酒に詳しくないナナには分からなかったが、氷がグラスにぶつかる音が全くしない。手首の動きのみで滑らかに混ぜる仕草は洗練されており、彼が相当の訓練を積んでいたことが窺い知れる。

彼は混ぜ棒に付着した僅かな酒を手の甲に足らすと、静かにそれを舐め取って、饗するに値する味だと納得して頷いた。

「どうぞ、本日のアレンジメント・カクテルです」

「あ、良い匂い……」

「バスタブ・ジンに幾つかのリキュールを混ぜて炭酸水で割ることでキツさを緩和し、杜松果の香りを際立たせつつ、甘みを出してみました」

バスタブ? と一瞬首を傾げたナナであるが、それは――密造酒の一種で、浴槽のような大きな容れ物を作って蒸留しない酒――適当な造りで成立する酒精であり、ジュニパーベリーにも似ている変異植物を放り込んだせいで突き刺すような臭いと味だが、それが即席のカクテルによって随分と呑みやすくなっている。

それに炭酸水を多く注いだこともあって、アルコールが得意ではないナナにも呑みやすい味になっていた。

まぁ、それをしても世界が棄てられてくる前に愛飲していた、パックの紅茶の方が美味しかったが。

それでも、お酒に強くないからと言うリクエストに応えてくれるのは嬉しかった。少なくとも普段の酒場で出てくる物と比べると随分とマシだ。

とはいえ、実際は隻眼のマスターは拘って、蒸留器を使って酒を造っているので、こちらの方が手はずっと掛かっているのだが……その密かな努力が知られることはないだろう。

殆どアルコールを感じない弱いカクテルを楽しんでいると、ナナは少し頬を赤らめながら溜息を吐いた。

「……何かお悩みで?」

「……そういうわけじゃ」

「いえ、思い悩んでいらっしゃるように見えますよ」

優しく微笑まれ、絶妙なタイミングで酒が出てくると、なるほどこういうことかと彼女は悟った。

これならばたしかに辛い心情を吐露してしまうだろう。

事実、彼女は「ある程度自然に振る舞え」と命じられていたこともあって、自然と愚痴がこぼれた。

「こっちの世界、酷いじゃない……正にスクラップヤードよね」

「来て、間もないのですか……ええ、慈悲も何もありませんよね」

「あーし、元々高校生だったんだよね……」

「ああ、貴方も〈シヴィラツィオ〉ですか。分かりますよ、私も平和な世界から来たので、落差が酷い。正に地獄よりも酷です」

正直、ナナは自分が厳密には〈サバイバーズ〉だと言われても納得がいっていない。

たしかにゾンビパニックに見舞われはしたが、世界はまだ終わったと言い切れるほどではなかった。

警察が封鎖線を貼っていたところもあったし、自衛軍が出動して対応にもあたっていた。まだ完全に世界が詰んだとも思えない。学校から必死に逃げていたら、気が付いたらゴミ箱の底。

これはあんまりだ。あんまり過ぎる。

今まで堰き止めていた何かが盛れるように、ぼろぼろと口からあふれ出た。

「あーし、女子高生だったのに……不真面目に見えるかもだけどさ……大学の進学準備だってしてたのに……」

「お洒落が好きなのと不真面目なのは違う、分かりますよ」

「大学だってさ、A判定だったんだよ? 国立でさ……」

「とても努力なさっていたんですね。そのお若さで将来設計まで考えられるなんて」

「そうだよ……なんで、それがこんなことに? こんな世界を棄てるような……」

グラスを眺めていると、青いカクテルの水面に顔が写り鬱々とした気分になってくる。思い返せば、世界は理不尽であることが前提だとは分かっていたが、それでもあまりにもあまりではないか。

世の中は、世界は公平になどできていない。

ナナが秀でた容姿を持って生まれてきたように、一般的に醜いとされる姿で生まれてくる者もいる。

画一的に生産される卵でさえ規格が違うのだから、人間が平等であろうはずがない。

だから彼女は、その理屈に従って、自分に相応しい程度に生きてきたつもりだし、これからもそうするつもりだった。

そうすれば、満足行くかはともかく、ある程度の幸せを感じながら世界を去れたはずだ。

しかし、世界そのものが棄てられるような理不尽があっていいものか。

今までの努力、してきたこと、これからの可能性、何もかもが無に帰するようなものだ。

そして、ルールが引っ繰り返る。

生存を第一となり、倫理もへったくれもない有様の世界に何の説明もなく放り出されて、どうしろというのだろう。

この藻掻き苦しむ様を見て、楽しんでいる何者かがいるとでも思わなければやっていられない。

「おかしいのよ、何もかも……シチューにはネズミが入ってるし、ゴキブリの串焼きなんて者まであるし……目が一杯ある魚を、美味しい部分が多くてお得だとか言い出すし……」

「ああ、この世界の食事に慣れるのは大変ですよね……捻れパーチに多眼魚は泥臭さが……僕も炊き出しで何度も吐きかけましたよ」

「しかも何あの園芸用ブロックみたいな塊……味はハッキリ言ってケミカルなゲロだし……その割に一回食べたら半日はお腹空かなくて気持ち悪いし……」

そして、満たされていた世界と違って、このスクラップヤードには何もかもが足りない。

スイッチを押すだけで灯る夜でも関係ないような電灯もなければ、寒い夜を温かく過ごさせてくれるエアコンもないし、コンビニに行けばお小遣いで買えた好物のシュークリームとエクレアが何よりも遠い。

溢れるようにあった娯楽は煙のように全て消えた。ゾンビから逃げる時、鞄の中でバキバキになってしまったスマホがあれば世界に繋がれて、映画もドラマも見放題。ちょっと他人の醜態を見て落ち着きたくなったら、SNSに話題が幾らでも転がっていた。

だが、それはもう、あまりに遠い。

灯りは煙草一本より高い蝋燭か、貴重なバッテリーを使うランタンしかないから、暗くなったら寝るしかない。寒さを誤魔化す物は薄っぺらくてプレス機にでもかけたのかと思うような毛布くらい。美味しいと思える物には、未だこの世界出会ったこともなかった。

この落差に耐えきれず、世界落着から生き延びたのに、自分で命を絶ってしまう人間がいることにも得心が行く酷さではないか。

その上で絶望を追い払ったところで、待っている物が煌びやかかと言えば、その対照的な物だ。

煤けて、誇りっぽくて、油汚れに塗れている。

正に世界の果てのゴミ捨て場。

そこで生きることの何が楽しいのか。

「こんな世界でさ、生きてたってさ……先に何があるわけ?」

「お辛い、でしょうね」

「嫌になるわね……これがこのまま一生? 冗談でしょ……」

生きていくビジョンがない。それ故に、この地で生きている人間の多くは捨て鉢で、投げやりで、適当なのだ。

さもなくば、こんな臆面もなく銃をぶら下げて、明日を生きるために他人を迷いなく殺せることがあっていものか。

煙草一本と比例して、人間の命が安すぎる。

そして、その命と等価の煙草を積み上げたところで、その先に何が待っているというのか。

絶望という治癒しがたい病を誤魔化すことはできる。

だが、この世界において、それは最早流行病だ。

最終的な解決を欲しがる人間がいてもおかしくはない。

「安らぎが欲しいのですね」

「……そーね、心から安心したい……安心できるところに行きたい……辛い思いも、不味い食事も飽き飽き……帰りたい……」

「でしたら、せめてもの癒やしを」

言って、トムソンは手慣れた手付きで酒を混ぜ、シェーカーを振るった。

できあがったのは透き通るような無色のカクテル。とろりと僅かに粘性を帯びたそれを、店内にたった一つだけあったカクテルグラスに注いで、トムソンはそっと止まり木に置いた。

「どうぞ。私の得意なカクテルです」

「……密造酒だらけで、得意も何もあるの?」

「安心する味に仕上げるのは得意なんです」

そっと差し出されたカクテルの透き通る色合いは、嫌味なほどに美しく、照明を受けてこの世界とは逆しまの姿をしていた。

のめばきっと安楽を導いてくれる。そんな耐え難い誘いかけをしてくる澄み切った色合いは、この鈍色の世界から逃げ出すチケットのように見える。

「素敵ね」

「でしょう?」

カクテルを掲げ、照明に翳して見た目を楽しむ。それからしばらくして、ナナは止まり木の奥へと拒むように置いた。

「じゃあ、トムソンさん飲んでよ」

「え?」

「得意なカクテルなんでしょう? 自分で飲んでも美味しいんじゃ? ごちそうするから」

「い、いや、それは……」

予想だにしていない言葉に彼は思わずたじろいだ。額に汗が滲み、口角がヒクついている。

焦っている人間特有の仕草だ。

「飲めない?」

「お、お客様のために作った物は……」

「客がバーテンに奢るなんてよくあること……だよね?」

アドラーの店長に向かって声をかければ、彼は厳かに頷いた。下から睨め付けるように見ている目は、嘘も辞退も許さないと言わんばかりに鋭い。

「ほら、どうぞ」

「な、なぜ、急に……」

「してなかったから」

「何を……」

「味見」

彼は今まで、常に作ったカクテルの味見をしていた。客に出すに値するか確かめるため、不潔にならないようマドラーの先端から滴る雫を使って。

シェーカーでも蓋に付いた物を使ってやることを知っていた。

だが、今までプロとしてやってきたそれをトムソンはしなかった。

怠慢ではなかろう。入魂の、得意とまで言い切るカクテルで、それを怠るのは不自然に過ぎる。

「そ、れは……」

「逃げない方が良いよ」

答えに窮したトムソンの目が左を、酒場の勝手口に向く。そこは倉庫に繋がっており、地上に出入りするための梯子がある。背の高い止まり木を一息で飛び越えられないとしたら、唯一の逃げ場だ。

「狙ってるから」

ナナが顎で示した方には一人の酔客……に扮したハジメがいた。幅広の帽子を目隠しにして眠っているように見せかけつつ、浅く椅子に腰掛けて寝そべっている彼の右手には、アーモリー・リボルバーが握られている。

照準は彼の顔を向いていた。たとえ 腰射ち(ヒップシュート) であろうと、ハジメは外すまい。それだけの殺気が、黒々とした銃口から注がれていた。

「っ……」

「飲めないならさ、お話ししよっか」

ナナはゆっくり立ち上がり、飲まれることのなかったカクテル。

このクソッタレなスクラップヤードから逃げ出すための片道切符。

すなわち、毒杯を挟んで死を飲ませるバーテンダーと相対した…………。