軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

護衛達の婚約(20)

彼女だ、という確信がなぜかあった。

「君は……」

だがそれを問いただす前に、彼女の瞳から光が消える。

「離してください。これは魔香です。――近づいたらまきます」

目の前に小瓶を突き出され、カイルは口をつぐんだ。

胸中は混乱していたが、それでも頭は冷静だった。

エレファスもいる。彼女から小瓶を取りあげるなどわけないはずだ。だが何が彼女を刺激するかわからない以上、うかつな行動はできない。

そもそも彼女が誰なのかも、カイルにはわからない。

「わかった」

彼女の手首を放し、背中にクロードをかばったまま距離を取る。彼女はすぐさまカイルからその足元に転がっているルヴァンシュ伯爵に刃先を突きつけた。

「出しなさい。地下室の鍵よ」

「お、おま、こんなことをして、ただですむと」

「ここは被害者のふりをして皇帝陛下に許しを請うべきでしょう?」

歯ぎしりが聞こえるような表情で、ルヴァンシュ伯爵が彼女を睨めつけている。逆に彼女はルヴァンシュ伯爵が逆らえないとわかっているようだった。

ルヴァンシュ伯爵が上着をまさぐる。そのときだった。

「魔王様! 大変、大変!」

「火事! ルヴァンシュ伯爵ノ屋敷、燃エテル!」

正面の扉から一斉に入り込んできたカラスの軍団に、またも悲鳴があがる。ばたばたと足音がして、逃げ出す人々が現れ始めた。それに乗じて、ルヴァンシュ伯爵が歌劇場の奥の方へ逃げ出す。

それに皆の視線が釣られた瞬間、彼女も踵を返して出入り口へと逃げ出した。あの月夜の庭でそうだったように、一瞬の出来事だった。

「クロード様、どうします」

ふわりとクロードのかたわらにおりたエレファスに、クロードが肩をすくめる。

「カイル。彼女を追え」

「い、いいん、ですか」

「どちらかはともかく、叔父を公衆の面前で殺そうとしたんだ。だいぶ追い詰められているんだろう。ウォルトの件も何か知っているはずだ。どこに何をしにいったかはわからないが、止めてやれ。さっきのように」

はっとカイルは姿勢を正す。クロードは淡々と続けた。

「ルヴァンシュ伯爵邸の火事となると、魔香が燃え出している可能性がある。消火にさしあたっての準備と指揮をキースに連絡して徹底させろ、エレファス。あとはルヴァンシュ伯爵の追跡の手配もだ」

「了解しました。では俺はいったん城に戻ってキース様に連絡を」

すっとエレファスが姿を消す。踊り場に戻ったクロードが、どんな状況にも動じずにいる妻の手をそっと取った。

「僕は君を城に送るとしよう。オペラは中止だ。かまわないだろうか?」

「ええ。珍しいものを見せて頂きましたから。カイル、彼女があなたの妖精ね?」

カイルが見上げると、アイリーンが悪戯っぽく微笑む。その横でクロードがまばたいた。

「そうなのか? リラ嬢ではなく?」

「ええ。そっくりでしたけど、少なくともわたくしに喧嘩を売った子とは、目が違いました。――助けてあげなさい」

慌ててアイリーンに頭をさげ、カイルは駆け出す。ばたばたと天井を飛び回っていた烏の軍団からひとつ、白い影が飛び出してきた。

「シュガー」

「娘、馬車、乗ッタ!」

「コッチ! コッチ!」

ひしめき合う人々の波から屋根に飛び移ったカイルは、シュガーたちに誘導されながら馬車をさがす。

ずっとさがそうとは思わなかった、彼女を。

(俺は)

不意に後悔がこみあげた。

もっと早くさがしていれば。そう思わずにいられなかった。彼女が振り下ろそうとした刃物がまだ目に焼き付いている。彼女があんなことをするわけがない――だがそう信じることができても、カイルは何も知らないのだ。

彼女がどうしてあんな真似をしたのか、今までどうして生きてきたのか、彼女の名前すら。

ああ、今ならウォルトの気持ちがわかる。必死で彼女を知ろうとしたウォルトは、助けたいと思ったのだ。彼女が助けるに値する人物だと信じて。

妖精だ、ただ幸せであるだけでいい――そんなふうに祈るだけで逃げ出した自分にくらべて、なんて誠実だろう。

「アレ! アレダ下僕!」

鞭をひたすら打ち続け、街中を突っ切っていく馬車に追いついたときは、行き先に煙が見え始めていた。

(ルヴァンシュ伯爵邸? 帰るつもりなのか?)

燃えている屋敷に、なんのために――そこまで考えてウォルトの仮説を思い出した。

もし本当に、彼女が死んだ姉で、妹がいるなら。

馬車が人混みをさけ、裏口に停まる。馬車から転げるようにして飛び出てきた彼女は、庭にあるおそらく水撒きようのホースがついた蛇口をひねり、頭から水をかぶった。

何をする気かは明白だった。

「まっ……!」

カイルの制止を風に煽られた炎の音が遮る。だが彼女は燃えさかる炎の中に、迷いもせずに飛びこんでいった。