作品タイトル不明
エレファス・レヴィの結婚(12)
ネイファはこの一件について処罰を求めなかった。身内の出来事と一蹴したのである。
聖王にこの事態を訴えることもできたのに、しなかった。この姿勢には誘拐犯になりかけた職人たちも感じ入ったらしく、ネイファに反目していた職人達が他の人間からこっぴどく責められる――というまさに『身内らしい』終わり方で、この一件は片づくことになった。
もうネイファに手を出そうとする人間はいないだろう。跡形もなく吹き飛んだ工房爆破の威力もある。気が向いたらあれを自宅にしかけるとネイファに脅された職人の一部は腰を抜かしていた。
そして、ネイファが広げてみせた新しい工房の設計図に、目を輝かせている者達もいた。
彼女は力業で、皆から認められていくのだろう。
(……となると、離縁する理由がなくなってしまうような……)
その結果、聖王を呼ぶところだったという皮肉にエレファスはちくちく刺されている。
「ここまでレヴィ一族が馬鹿だとは思わず感動しました」
「ほんとすみません……」
「何を謝られるの。あなたの一族でしょう。つまり私の一族です。本当に頭の痛いこと」
ふうっと嘆息したネイファの肩もみをしていたエレファスは、一瞬だけ手を止めそうになった。だがすぐぎろりとにらまれる。
「まだ終わってませんわよ、砂時計が落ちるまでです」
「あ、はいすみません、ネイファ……さん」
「なんですの、今の中途半端な呼び方は」
「はあ……ではどうお呼びすれば」
「呼び方ひとつご自分で決められないなんて。そんな夫を持った覚えはなくってよ」
ええーと思いながら、エレファスは考える。
居間の暖炉から、ぱちりと薪が折れる音の分だけ、迷った。
「じゃあ……ネイファさんで」
小馬鹿にしたように鼻で笑われた。
まさか、呼び捨てのほうがよかったのか。いやでも、調子にのっていると嘲笑されたらちょっと立ち直れない。
風呂上がりの手入れが終わったばかりの自分の顔を手鏡で確かめていたネイファが、眉をひそめた。
「なんですの、その情けない間抜け面。地ですか。地なら治してくださいな」
「……地は治らないんじゃないですかね……」
「努力なさってくださいな。元はいいんですから。……かわりますわ」
え、と思ったら、ネイファがソファから立ちあがっていた。追い立てられて、先ほどまでネイファが座っていた場所にエレファスが座らされる。
ネイファがテーブルの上にある砂時計を、反対にした。
さらさらと砂が再びこぼれ出す。
「え、まさか肩もみしてくれるんですか」
「ええ。花のお礼ですわ」
エレファスが一輪だけ買ってきた花は、気づいたらコップにいけられていた。ちゃんと贈り物だと受け取ってもらえたらしい。
すっと首筋を細い指でなでられて、背筋が伸びる。だがネイファは肩をもみ始めてからすぐ目を細めた。
「……固すぎません? 全然指が入らない」
「そ、そうですか? 自分ではわからないんですけど」
「あなたらしいこと。ご自分のことに無頓着」
笑いを含んだ返答に、なぜだか腹の底がむずむずしてきた。
うしろからの暖炉の灯り。テーブルにのっている燭台の火の色も柔らかい。その雰囲気に流されたのだろうか。
いつ言い出そうかと思っていた言葉が、考えもなく滑り出た。
「……あの、俺はあなたに会ったことがありますか」
打てば響くようなネイファの返答がなかった。妙な焦りがエレファスを突き動かす。
「その、なんであなたみたいな人が、うちに……俺に嫁いできたんですか。あなたなら、聖王の後宮に残れたはずだ。実際、聖王様を呼び出す聖石なんて持ってたわけで……バアル様がそれだけ目をかけているってことですよね、あなたに」
答えはない。肩もみだけが続いている。
「聖具を作るとか言っても、うちよりもはるかに聖王様の後宮のほうが、楽じゃないですか。同じ降嫁にしたって他にもいい相手が、あなたは選べたのでは」
「……」
「……つまり、こう、俺をわざわざ選んでくださったのではないか、ということになるわけで。俺が大公になったとしても聖王には地位も権力も及ばないですし」
「…………」
「しかも……あの、怒らないでくださいね。総合すると、あなたが俺のことが好きなのではないかというおっそろしい分析を聞いたのですが……」
「………………」
「すみませんなんか答えてくれません!? いたたまれない!!」
音をあげたエレファスを、ネイファが容赦なく嘲笑した。
「面白いお話ですから黙って聞いてさしあげたのに」
「面白いですかそうですか!! それはよかったです……もう嫌だ、なんだこれ」
「いいザマですわ。最初はいらない、一族のためにもならないと目もくれなかった昨日から、たった一日で」
ちょろい、と言われたようでますます落ちこみそうになった。
だがするりと肩もみをやめた手が前にまわって、腕をからめられた。首後ろに当たった柔らかい感触がなんなのか、考えてはいけない。
「今夜は逃げないでいただけるかしら」
「あ、いやちょっとストップ! あの、俺はまだあなたを好きになったわけではなくてですね」
「そんなことどうでもよろしいではないの、往生際の悪い」
「どうでもよろしくないと思います!! 俺だってですね、ちゃんとこう、恋愛してみたいんですよ!!」
言った。言った自分、えらい。
だがこみ上げてくる羞恥で顔が赤い。それを両手で隠しながら、エレファスは続ける。
「ですからちょっと、時間をいただけると……! ちゃんと、お相手はあなたを想定しますので!」
「まだるっこしい」
「俺の夢を丸めてポイ捨てするのやめてください! ……俺は、ろくなことをしてきてないので、本当に」
だからいつも見ているだけだった。
まっすぐあんなに愛し合う、恋人達に。生きていける人達に。
「……だから、憧れなんですよ。だめですか。あなたとだけは、ちゃんと関係を築きたいって、だめですか」
ネイファが嘆息と一緒に、耳元でつぶやいた。
「おいくつでしたかしら?」
「やめてください言ってること恥ずかしくて既に死にそう……」
「私にしたら、好きな男に嫁いで、好きな男に抱かれるなんて、これ以上なくまっとうな道ですのに」
両眼を開いた。恥ずかしさを忘れて両手から顔をあげたエレファスに、ネイファが微笑む。
「まあよろしいわ。おつきあいしてさしあげても。人間にしてさしあげようと思ってましたが、人間になってからも悪くありませんわね」
「……人間になれます? 俺」
「きちんと自負と自覚を持ってくだされば、あなたはこれ以上なく魅力的な男性ですわ」
そうか、そうなのか。どうしてだろう、いつものように笑って流せずに、胸に言葉が降り積もっていく。
「だからって浮気はしないこと。よろしい?」
「……あ、はい」
「休暇が終われば皇都に戻られるんでしょう。週末は帰ってきてくださる?」
う、と今度は別の恥ずかしさがこみ上げてきた。ネイファの顔がまともに見られない。なのに、肩に置かれた手に触れたくなる。
「はい。……できるだけ、普段も、帰ります」
「そうなさって」
「……そ……それとも皇都に、きますか。俺は今、魔王の古城で世話になってるんですが……部屋は、借りれます、し」
「一緒に住んで何をなさるつもりなの。あなたの希望に添うなら当然、別々の寝室ですわよ」
「……。やめてくださいそういう理性がぐらつくこと言うの」
「勝手にご自分で決めた修行でしょうに」
そのとおりである。
煩悩と理想の狭間で悶えていると、ネイファの笑い声が聞こえてきた。むっとしたエレファスは、肩に置かれたままの手を引っ張る。
「一応、俺も男なので、やられっぱなしはちょっと」
「あら」
まったく彼女がひるまないのは、そこに愛と許しがあるからだ。
そう思うと、不思議と迷いはなかった。早いとも思わなかった。ちゃんとした関係を築こうだなんて、規範も。
(ああでも、手を出したら流されるような)
そう思いながらも瞳を閉じて吐息をからめたそのとき、突然首根っこを引っ張られた。
驚いてエレファスは目をあける。今のは絶対、いける雰囲気だったのに――。
「……なんですの、これ」
「は? ――ちょっ」
ぐいっと無理矢理シャツの襟部分を持ちあげられて、首が絞まりそうになる。だが、眼光を鋭くしたネイファの顔を見て、口を閉ざした。
経験上、よく知っている。下手な発言をしたら死ぬやつだ。
ネイファが低く、唸るようにつぶやいた。
「……口紅」
危機管理能力と回転のいい頭は、すぐ答えをはじき出す。
リリアだ。公園の、別れ際につけられたに違いない。
視線を泳がせたエレファスが言い訳するより、ネイファに胸ぐらをつかまれるほうが早かった。
「どなたかしら」
「な……なにかの、いたずらじゃないですかね……」
「それにしてはちゃんと唇の形でついてますわね?」
「……」
リリアは聖剣の乙女で、でも罪人で、エルメイア第二皇子の妻である。なんかもう、人物像を説明しようとするだけでややこしい。
故に、エレファスは笑顔を作った。
「気になさらなくて大丈夫ですよ」
「あら、いい笑顔ですこと。ねえ、旦那様。体に聞いてもよろしいのよ?」
するりとネイファがシャツのボタンに手をかける。
休暇二日目、夜。再びの貞操の危機である。
だがエレファスは逃げ出さず、中間管理職的な能力を遺憾なく発揮して、妻をなだめにかかった。