作品タイトル不明
皇帝夫妻の一日目・6
「で? 何隠してるの。話して」
デート中のレイチェル達とかぶってしまった店から別の店に移動するなり、セレナは直球で切り出した。
さりげなくなどとレイチェルは言っていたが、そんなやり方ができるのはレイチェルや、アイリーンやアシュメイルの正妃みたいな、男を立てることがうまい女のやり方だと思う。セレナには不向きだ。
オーギュストは、あからさまに目を泳がせた。注文を終えたメニュー表を手に取ろうとしてやめたり、挙動不審だ。
ひたすらにらみつけてやっと、口を動かす。
「……まだ公表されてないんだけど。昇進、決まったっていうか、内定して」
リリアとセドリックの婚礼前に聞いた話だ。それだけならばいい話である。だが、オーギュストのうかがうような、暗い表情はその続きがあることを雄弁に物語っていた。
「ただ、団長……アイリの二番目のお兄さんと入れ替わりで、ミルチェッタ地方に転属になるって言われたから……どうしようかと」
セレナは運ばれてきた水を飲む。そして言った。
「すごいじゃない」
聖騎士団の団長の穴埋め。それはすなわち栄転である。
「いつから?」
「春から……」
「そう、じゃあ私の受験が終わるのと入れ替わりで引っ越しなのね。まさか、受験勉強のさまたげになるんじゃないかと思って、いつ言い出すか迷ってたの?」
「――あ、うん」
「馬鹿じゃないの。まあいいわ、お祝いにおごったげる、ここ」
「でもまだ、決定じゃないし。……断れるから」
「馬鹿じゃないの」
もう一度繰り返した。自分に言い聞かせる気持ちもこめて。
「出世しろって言ったでしょ、私。断ったりしたら承知しないから」
「……。そうだよな」
そう言ってオーギュストはほんの少しさみしそうに、でもいつも通り脳天気に笑った。
今日はお祝いなんて頭にないデートだったので、また後日改めて時間をとると約束した。オーギュストは遠慮したが、そういうところは遠慮するところではないと言い聞かせて、日が赤く染まる頃にセレナは第三層から第四層へ入る大通りで、オーギュストと別れる。
ジルベール伯爵家は復権が決まったが、もともとジルベール伯爵家は叔父一家にのっとられて、家計は火の車だった。いきなりセレナの待遇が変わるわけではない。まさに名ばかりの伯爵令嬢、領地もミルチェッタ大公直轄地にされたままだ。
アイリーンはいずれミルチェッタ大公になるゼームスにセレナを監視させるつもりなのだろう。あるいは、出世したオーギュストに報奨という形で領地をあたえるつもりなのかもしれない。
(そのための一歩ってわけね。あいつ、それをわかってるんだかわかってないんだか)
最後まで何か言いたそうだった。まさか遠距離でも気にして、迷っているのだろうか。
万が一にも昇進を断ったりしないよう、オーギュストに釘を刺すためにもお祝いをしなければならない。さて、何の贈り物をしようか。
あと数ヶ月で遠くへ行ってしまう恋人に贈るもの。
「……」
とりあえず早く家に帰って、勉強しようと思った。自然と早足から、駆け足になっていく。
知らず奥歯を噛みしめたそのとき、突然、腕を背後から引っ張られた。
「結婚しよう!」
強引に振り向かされた先でオーギュストが放った求婚に、呆けた。そのあとで、ふつふつと怒りがわいてくる。
結婚してどうなるのだ。ついてこいとでもいうのか。冗談じゃない。なんのために今勉強していると――ああもう、面倒だからひっぱたいてやろうか。
「そしたら俺、セレナの親族から、セレナのこと守れる」
今度こそ呆けた。真剣に、オーギュストは続ける。
「別に、離れたって……そりゃさみしいけど、気持ちは変わんないよ。でも、アイザックとレイチェル見てて思ったんだ。それだけですむ話じゃないよなって。俺、聞いたんだ、ゼームスにジルベール伯爵家の復権って、具体的にどうなるのかって。……セレナは叔父さん一家とこれから戦うことになるんだよな」
叔父一家が黙っているはずがないと、セレナも思っている。それに対抗するすべを手に入れるために必要なのは権力と地位だ。聖騎士団長の妻の座はその先の話だった。
だって、オーギュストには誰にも文句のつけられない綺麗な地位が似合う。
セレナの尻拭いなんてさせるわけにはいかない。
「でも、今のままだと俺、なんにも口はさめないよな。他人だから。距離があったら、気づきもしないかもしれない。それは嫌なんだよ」
「……」
「そりゃ、セレナが素直に嫌だとか怖いとか助けてとか言える性格ならいいけど、そうじゃないのはもうわかっ――いってぇ!」
余計なことを言い始めたので足を踏んづけてやった。
「バッッカじゃないの!? 馬鹿でしょ! 大馬鹿!」
「――っ好きに言えばいいだろ、絶対結婚するから! 魔王様に頭さげてでもゼームスに頼み込んででも!」
「やめなさいよなんで借りを作るのよ! ああもう馬鹿! ほんと馬鹿――」
唇を、唇でふさがれた。
これ以上の反論も抵抗も、意味をなさないように――とっくに意味なんてないことは、セレナ自身わかっていたけれど。
「結婚しよう」
オーギュストが目と鼻の先で繰り返す。誠実な誓いのこもった声だった。
思わず、頷いてしまいそうだった――ここが、往来のど真ん中でなければ。
渾身の力をこめて、セレナは返事代わりにその頬をひっぱたく。
「馬鹿じゃないの、こんな雑なプロポーズ、頷くわけないでしょ! やり直せ!」
「は!? ……や、やり直せって意味わかんないんだけど」
「ちゃんと薔薇の花束持って! 指輪も用意して! もっと素敵な場所で、勢いだけじゃない完璧な演出しなさいよ!」
「無駄に難易度高くないか!?」
「無駄じゃないわよ夢なのよ悪かったわね、でなきゃ頷かないから!」
オーギュストから腕を取り戻して、セレナは踵を返す。
「――だったらやるよ、やればいいんだろ! 絶対、頷かせるからな!」
馬鹿じゃないの、と今度は返せなかった。おおと妙に感じ入った往来の声と、頑張れという励ましと拍手が鳴り始める中、涙のにじみかけた目をこすって、振り向かず歩き出す。オーギュストは追いかけてこなかった。
(ほんと馬鹿のくせに!)
逃げ出したわけじゃない。逃げる必要なんてない。もう、決着はついている。
いつまで、たったひとりで――そう思っていたセレナに、今以上に心に響くプロポーズなんてあるわけがない。
赤い頬を隠すように、夕日がきらきら輝いている。真冬に訪れた、奇跡の春。
でももう少しで、本当の春が訪れる。その春はきっと、別れを告げる季節ではない。