軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

皇帝夫妻の一日目・4

「爵位と、今度は結納金つき。相手も反省してるそうだ。しかも地元のミルチェッタ地方に領土がある伯爵家だから、いずれ一人娘が戻ってきてくれるわけでいいことづくめだろ。結婚の誓約書を教会に出す手続きをしてるって」

寝耳に水だった。ぽかんとしたあとで我に返る。

「わ……っわた、わたし、聞いてません! そんな、勝手に、いくらなんでも」

「皇帝の即位式で俺もお前も報告だけで説得を後回しにしてたしな。誠意がないって思われてもまあ、しょうがないよな」

「しょうがないって……わ、私……」

言いかけてレイチェルはぎゅっと唇を引き結んだ。

アイリーンに頼るのは駄目だ。皇后陛下の侍女だからと甘えることを覚えては、いずれ癖になり、身を滅ぼす。

だが、それ以外に何ができるだろう。

レイチェルも元婚約者も爵位のある家だ。それなりに教会とつながりがあるのかもしれない。このままでは、知らない間に元婚約者と結婚したことになっていてもおかしくない。

「――しょうがないから、とりあえず圧力かけた」

不安でどうにかこらえていた涙が、あっさりした物言いに引っ込んだ。

「え……あの、どうやって、ですか……」

「護衛のふたりが教会は止めてるはずだし、ゼームスがミルチェッタ公国では絶対受け付けないように手配するって」

「あ、あの、どうしてウォルトさんとカイルさんが……ゼームスさんも。ま、まさかクロード様に頼んだんですか……?」

「誰が魔王様になんか借りを作るかっつーの。ただこれを知ったらアイリーンが絶対首突っこんでくるし、そうすりゃ最後は魔王様が恋のキューピッドとか言い出すに決まってるから、その前に各自協力してくれって頼んだだけだよ」

この人は賢いなあとレイチェルは感心してしまった。

人を間接的に脅しつけて自発的に動かすことに長けている。

「……それにお前、もてるしな」

「はい?」

「いーや。お前が無理矢理結婚なんて、みんな駄目だって心配してたってハナシ。魔物もクッキーがどうこう燃やしに行くとかぎゃあぎゃあうるせーし。外道魔道士は全員心を入れ替える魔法をかけましょうとか言うし……」

止めるほうが大変だったとぼやくアイザックには申し訳ないが、じんと胸に色んな思いが広がった。

「皆さん、応援してくださってるんですね……嬉しいです」

「……ほんとは、俺が魔王様に頭さげて爵位もらってくりゃいいんだけどな。……それはしたくねーから。悪い」

謝られてレイチェルは慌てた。

「そんな、アイザックさんが謝ることじゃないです。だってアイザックさんはオベロン商会があるし、爵位を持つと煩わしいことだって増えます。それがアイリーン様の枷になるかもしれないから、だから」

「ちげーよ。俺は、お前のことで魔王様に頭をさげるのだけは嫌なんだよ」

あまりにあっさりと告げられたものだから、意味が最初呑みこめなかった。

「くだらねープライドだろ。わかってるんだよ。なのに……だから、俺が悪いんだよ。お前にとっちゃ不合理だ。そのせいで両親とこじれそうになってんだからな」

自嘲気味に告げるアイザックの姿に胸を痛めるべきだ。なのにレイチェルは胸がいっぱいになりそうだった。

アイザックは合理的なひとだ。それが実利だと思えば、矜持など捨てて取りに行く。オベロン商会やアイリーンのためならば、いくらでもクロードに頭をさげるだろう。

なのにレイチェルのことだけは嫌だというのならば、それは男としての矜持だ。

アイリーンはゆずるけれど、レイチェルだけはゆずらないと言っているのと同じだ。

こらえるなんて隙間もなく溢れ出たレイチェルの涙に、アイザックがぎょっとした。

「な、泣くほどか!? お前、まさか伯爵夫人になりたいとか」

「ちが、違います。ほ、ほんとに、アイザックさんは……ほんと、女心がわからない……」

「はあ? なんだよそれ、失礼だろ」

「結婚、不安だったんです」

びしっとアイザックが固まったことに気づいたが、言わなければならないと思った。

「アイザックさん、ちゃんと説明もしてくれるし、手も打ってくれるし、書類だって整ってるし、気遣いも完璧で、でもなんか、お役所仕事の取引相手みたいで」

「お役所仕事……」

「たとえば、クロード様みたいに言ってくれたらなって思ったりはしました。でもあそこまでは正直いらないし、アイリーン様を羨ましいとは思えません。じゃあオーギュストさんくらいわかりやすかったらって思いましたけど、あれもあれで大変そうだし」

「……お前、そんなこと思ってたのかよ……」

「でも、もういいです。何にも言ってくれなくても、アイザックさんのままでいいです」

「いや、俺は全然よくねーんだけど、それ……」

ぼやくアイザックがおかしくて、嬉し涙が笑い涙になってしまいそうだ。涙をぬぐって、レイチェルは背筋を正した。

「あの、現状はわかりました。止めていただいたことにはあとで皆さんにお礼を言おうと思います。それで……これから私に何かできることありますか?」

「……」

ものいいたげな目をしていたが、アイザックは嘆息して気分を切り替えたようだった。

「強行する」

「……ええと? すみません、意味がよく」

「お前と俺が署名した契約書って、皇后陛下が認め人になってるんだよ。だから別に親の許しがなくても結婚できる」

「……」

アイザックの言いたいことがわかってきて、じわじわ顔に熱がのぼる。

「……えっと……その、駆け落ち、的な……?」

「お互い仕事あるし、皇都から出たりはしねーけど」

あくまで現実的なアイザックの態度に少し気持ちが盛り下がったが、「結婚したい」と言われていることは確かだ。

「とりあえず、部屋借りるか家買うかしようと思って、候補いくつか選んできた」

目の前に書類の束が差し出された。さっきアイザックがテーブルから片づけたものだ。

「俺はこの中ならどれでもいいから、候補しぼっといて。お前も希望あるなら聞くし。今度休み合わせて、内覧に回るから」

「……は……えっ、わ、私も、ですか」

「一緒に住むんだからそーだろ」

「え、うえ、ええぇっ!?」

「なんだよ嫌なのかよ」

ぶるぶるぶるとめいっぱい首を横に振った。ほっとしたような余裕を取り戻したような、そんな顔

でアイザックが立ちあがる。

「悪いけど俺、先出る。取引あるから。会計すませとくし」

「あ、でも私の分」

「ドニとかも飲み食いしてっから経費で落と――……こういう言い方が駄目なのか?」

「はいっ?」

おののいてまだ手に取れないでいる『借りるか買うか』する書類の束が、レイチェルの頭にばさりとのせられた。書類の影とそれを持つアイザックの手で、視界がいっぱいになる。

「……ちゃんと惚れてるから、安心しろよ」

「――え」

「じゃあな!」

大声と一緒に書類を胸に押しつけられた。あとは肩肘をはってどすどすテラス席から出て行くアイザックの背中が見えるのみだ。

ぽかんとそれを見送るレイチェルの膝の上から書類が落ちそうになって、慌ててそれを押しとどめてから――いきなり思い出したように全身に血流が回った。

真っ赤に熟れた顔を書類で隠して、レイチェルは悶絶する。ふわっと優しい風が熱を逃がすように空に向かって舞い上がる。

今日はあり得ない真冬の春。それでも自分達は、もう大丈夫だと思った。