軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

84

波打ち際にひびく男女の声もその影も、穏やかな海を血で染めあげるような修羅場だった。

(……修羅場っていうのは違うかしら。一方的だもの)

愁嘆場ということにしておこう、と動くこともままならない体の中でアイリーンは思う。やっているのは自分の体だが、他人事だと思いたい。

「お前はここまで他人様に迷惑をかけて! 駄目神なのは知っていたが、それでもわたしの夫か!」

「ごめ、ごめんなさい、グレイス、殴らなっ……」

「グ、グレイス様! どうか、これ以上は……」

「グレイス様、グレイス様、ゴメンナサイ!」

すでに竜ではなくなっているルシェルの体を、グレイスが鞠のように蹴っ飛ばした。

ごろごろと砂浜を転がったルシェルは、そのままうずくまって頭を抱える。そこに真っ青な顔をしたベルゼビュートとアーモンドがわって入った。

ばきばき両の拳を鳴らしながら、グレイスが警告する。

「手出し無用、これは夫婦の問題だ」

「そっ――そうかも、しれないが! だが、その、王をひとりにしたのはあなただ!」

ベルゼビュートの言葉に、グレイスが足を止めた。

「パパ様、タクサン、泣イタ! イジメル、駄目!」

アーモンドは目に涙をいっぱいためている。アイリーンもそっと加勢した。

(お義父さまを悲しませた責任はあなたにもありますわよ、お義母さま)

しゃべれなくても、グレイスには伝わるだろう。

「……そうだな。帰ってくると言って、戻らなかったのは、確かにわたしだ」

ふっと突然視界が二重になってゆらいだ。

後ろ向きに体が倒れていくのを感じて、まばたく。

だがそのまま体が倒れることはなかった。ぐいと襟首を持ちあげられ、アイリーンは上を向く。そこには海に半分体をつけている、漆黒の優しい目をした竜がいた。

「クロード様」

自分がわかるのだ。

丁度肩、顔の横に座らせてもらったアイリーンは、そっとその大きな顔に頬をすり寄せる。

『わたしも悪かった』

「グ、レイス……」

アイリーンの体から離れ、また魂だけの姿に戻ったグレイスが、ざくざくと大股で夫のもとへと歩いて行く。

ルシェルが顔をあげた。

『だがな、わたしだってつらかったぞ? お前が泣いていても、なんにもできなくて』

ルシェルが涙でいっぱいのその目を見開く。苦笑いをグレイスが浮かべた。

『ずっと見ていたよ、アメリアの中から。お前が化け物に変わっていく様も、アメリアに封印されるのも。魔物が追われる姿も、わたしとお前が作ろうとした国がわたしもお前もなかったことにして、子どもさえわたしのことを忘れていくのを。……妹がどんどん、おかしくなっていくのも、何も止められなかった』

「……」

『でもな、信じていたんだ。なにせ、わたし以外に魔王の妻を名乗る女が出てくることを知っていたからね』

まばたいたアイリーンは、グレイスの横顔を見つめる。

だがグレイスは、ルシェルから目を離さない。

『だからほら、泣くな。大丈夫だっただろう? こうして帰ってきたじゃないか』

蜃気楼のようなグレイスの姿に、ルシェルがおそるおそる手を伸ばす。その手に触れることはできない。

でも。

「……会いた、かった」

『うん。わたしもだ』

「ただ、僕は、君に、ずっとそばに、魂でもなんでもいいから」

『知っているよ』

触れ合う体も体温もないのに、砂浜に膝をついて、グレイスがルシェルを抱く。子どものように顔をぐしゃぐしゃにしたルシェルが、そのまま泣き始めた。馬鹿だなあ、と笑ってつぶやくグレイスの目元にも、涙が光っている。

「……よかった、ですわ」

犠牲がなかったわけではないけれど――視線は、ずっと自分が握りしめている聖剣へと向かう。

力を使い切ったのか、反応がない。からっぽだ。

いくら奪い直したと言っても、聖剣の乙女であるリリアがいなくなれば、この聖剣もいずれ消えるだろう。

(でもこういうエンディング見たさに、プレイしてたのではないの)

それともプレイヤーでなくなるのが、怖かったのか。

クロードが喉を鳴らした。どうしたのか、と問う目にアイリーンは答える。

「……実はわたくし、リリア様に初めて負けたのかしら、と思ってしまって」

「ギャオ」

「何をおっしゃってるのかわかりませんが、ちょっと悔しいかも――」

海に大きな影が走った。竜だ。炎のような色からして、火竜だろうか。

どうして、と目をあげたアイリーンは瞠目する。

「――主! それ主ですか!? 正気です!?」

「キース様! それに……サーラ様にセドリック様!? どういう組み合わせですの!?」

砂浜に立っていたバアルもその横に並んでいたアレスも、ひとかたまりになっていたオーギュスト達生徒会メンバーも、セレナも、グレイス達から一斉に視線を動かす。

真っ先にキースが海に静かに着地した竜から飛び降り、ざばざばと海をかきわけてクロードのもとへとやってきた。

「おとなしいってことは正気ですね。私めがわかりますね?」

「……ギャウ……」

「なんですかその態度は。何かしましたね? 魔物になったとか自爆したとか大体の流れは聞きましたけど、その姿はなんですか」

「ギャオギャ……」

「言い訳しない!」

「なんで会話できるんですの、キース様……」

キースにクロードが怒鳴られている間に、アイリーンはそっとクロードの体をつたって降りる。

グレイスが『ばばっとしてえーい』とやってくれたからか、足は痛まず動いた。見た目はおかしい気がするが、気づかないことにして、皆が半円を描いて見守っているところへ向かう。

「セレナさん、手を」

「わかってる、頑張りなさいよサーラ! レイチェル、ハウゼルから持ち出した聖石、全部置いて!」

「わ、わかりました……!」

砂浜の上に置いたリリアの遺体のまわりにレイチェルが聖石を並べ、セレナとサーラが手をつなぐ。光の輪ができて、三人のヒロインの周囲を囲んだ。

ばりんばりんと聖石を一つずつわりながら、リリアの裂傷だらけの体が、穴のあいた左胸が、ふさがっていく。

その光景を一歩離れたところでアイリーンは見守っていた。

リリアが死ぬエンディングはある。でも、リリアが生き返る展開はゲームではない。アメリアが死ぬエンディングがあっても、生き返る展開がないように。

方法も何も示されていない。フラグすらない。

起こったらそれはもう、奇跡だ。

すべての聖石が壊れて、光がやんだ。

リリアの体は綺麗になっていた。傷ひとつ見当たらない。神の娘が救済の聖女の力を借りて力を使ったのだ、完璧に修復できただろう。

だがどれだけ固唾を呑んで皆が見ていても、その胸は上下しない。

死者は、生き返らない。

「そ、んな……」

サーラが泣き出し、セレナが拳を砂浜にたたきつけた。

『ルシェル。助けてやれないのか』

「だめだよ。奇跡は起こらないから、奇跡だ」

遠巻きに見守っていたグレイスとルシェルが背後でそう断定する。

「リ……リア……?」

ふらりとうしろから歩いてきたのは、セドリックだった。