作品タイトル不明
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アイリーンは寝覚めがいい方だ。
病気で寝込んだ場合でもない限り、侍女の手を煩わせたことなどない。まして結婚してからは、夫が朝に弱いので、むしろ起こすほうだった。
だから、起きなさい、とゆさぶられることに、現実味がなかった。
(小さい頃みたいだわ……お父様もお兄様も、わたくしが子どもでも、レディの部屋だからって、起こしにはこないから……こういうのは……)
――母親に剣の稽古で叩きのめされて気絶したときくらいしか。
「はい、まだいけますお母様!」
『おお、よかった。元気だな』
訓練された軍人のごとく飛び起きたアイリーンの前に、グレイスがいた。
しかも光でできているのか、かすんで見える。
「……夢ですか? グレイス様?」
『お義母さまと呼んで欲しいな。もう魂だけだけど』
「魂……ッアメリア様は!?」
ああ、と言って、しゃがんでいたグレイスが立ちあがる。
『我が妹ながら、あっぱれというか。何にも遺さずに、逝ったよ。魂もすべて使い切って、消滅した。私とルシェルが怒る暇も、謝罪の機会も与えない、完璧な勝ち逃げだ』
「そう、ですか……」
『私の妹は、すごかっただろう?』
立ちあがって空を見たグレイスの顔は、分かり合うことなどもうない、姉の哀愁が浮かんでいた。
地面に手をついたまま、アイリーンはじっとそれを見て、わざと大きく息を吐く。
「二度とお会いしたくありません」
『はは、言うなあ』
「で、今はいったいどういう状況で――ぃたっ」
立ちあがろうとしたアイリーンは、右足がちょっと変な方向を向いていることに気づく。
グレイスもそれに気づいて視線を落とした。
「……折れてません?」
『折れてるな』
自覚するとものすごく痛くなってきた。
(っていうか、今更、全身に痛みと、疲労感が……!)
青くなってきたアイリーンに、グレイスが首をかしげる。
『大丈夫か? こう、聖なる力をばばっとしてえーいってすると立ちがれるぞ』
「説明になってません! それにやれば誰でもなんでもできると考えるのは、グレイス様の悪い癖だと思いますわよ!」
『そうだなあ。でも立てないと困るぞ。たぶん、ここが崩壊すると思う』
「え」
ざあっと血の気が引いたあと、我に返る。
「そ、そうですわ、魔物! 魔物を呼んで、そう影から――」
そう自分に説明しながら足下の影を、さらに大きな影が覆った。同時に響いたのは、地面をゆるがすような咆哮だ。上空を見あげたアイリーンは、その影の姿に絶句する。
白銀の竜と、それを追う――漆黒の竜。
「る、ルシェル様と、まさか……っクロード様!?」
クロードが吐き出した魔力の光線に、ルシェルも口を開けた。
黒と白の魔力が上空でぶつかり合った。地面に伏せたアイリーンの頭上を横切り、光線が壊れかけた宮殿を斜めに切り取る。われた地面が海に落ちていく。
「な、ななな、どうしてこんな怪獣戦争に……っ」
顔をあげたアイリーンは、はっと瞠目した。
遠くと言えど、目視できる程度に、陸地が見える。誰も巻きこまないようにと選んだ、アシュメイルの落下予定地点ではない。
(――エルメイアに向かってる!? ふたりがあの速度で進んだら……!)
十分とかからず皇都までたどり着くだろう。
というか、その前にルシェルとクロードのはた迷惑な戦いに巻きこまれること必須だ。
『まったく最後まで何をやっているんだ、あいつは。――しかたない』
ふっと視線をさげたグレイスと目が合った。
『すまないが、君の体を借りる』
「は?」
ふわり、とアイリーンの体が浮いた。なぜか痛みも疲労も引いていく。いや、感じなくなっていく。
(え、え)
指先が動かせない。だが聖剣をしっかりと握り直している。
砂のように溶け出したグレイスの光の粒が、アイリーンの体に流れこんでくる。
ぐんっと突然体が起きあがった。アイリーンの意思ではない。グレイスの意思だ。
降り注ぐ光線の間をくぐり抜けながら、アイリーンの体が上空に駆け上がっていく。
『いくらなんでも、あれの責任くらいはわたしが取らねば』
「ど、どうやってですか!?」
『決まっている、殴るんだ』
やっぱり、という言葉はもう声にならなかった。
それは空を駆け抜ける流星のようだった。
背後から迫るそれを真っ先に感知したバアルが振り向く。そして瞠目した。
「アイリーン!?」
「聖王か、これからも息子の友達でいてくれ」
「バアル様、前、きます!」
「君も、頑張りすぎるなよ」
少し先にいたエレファスを追いこし、飛んできた神竜の光線を聖剣で真っ二つにしながら、さらに加速する。
「アイリちゃん!?」
「息子と夫が迷惑をかけてすまない」
「えっ誰!?」
ウォルトやカイルや、ぽかんとしているアレスや、途中で加勢にきたゼームスとオーギュストを追い越し、前方で争っている神竜と黒竜から飛んでくる攻撃をすべて聖剣で叩き落とし、いちばん危険なクロードのもっとも近くにいる魔物にまでたどり着く。
「よくやった、ベルゼビュート」
「おまっ……い、や、あなたは」
「クロードも」
血で汚れた黒鱗を優しくなで、深紫の瞳に微笑みかける。
「頑張ったな、さすが私の息子だ」
さらにその先、赤と紫の目をした白銀の竜が咆哮した。
まっすぐに放たれるのは、悲鳴のような攻撃だ。真っ白で、何もかもをなかったことにするだけの力。
聖剣を下から上に振り上げ、その攻撃を蒸発させてやった。
息子を守ってやれる機会がもててよかったと思う。
だから許してやろう。置き去りにしてしまった憐れな神。
赤と菫の瞳は、怒りと悲しみしかうつしていない。現に、こりもせずもう一度口をあける。
「グ、グレイス様。待っ……」
おびえた顔のベルゼビュートの声を振り切って、正面から向かっていく。
正面からもう一度、攻撃がきた。すべてを呑みこむ光の真ん中を聖剣で切り開き、海を空をわって、まっすぐに進む。
自分がわからないのだろう。何せ、この体は義娘の体だ。だがしかし。
「妻がわからないとか許されるはずがないだろう、馬鹿かお前は!!」
振りあげた右の拳を、渾身の力でその顎に叩きこむ。
これをくらって生きられるのは、自分の夫しかいない。