作品タイトル不明
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時間の流れがわからない。まだそう経っていないはずだが、この間の例もある。
(お願い、早く着いて――グレイス様、サーラ様!)
突然見えない壁にぶつかった。もろに顔面を打ちつけたアイリーンは、顔を押さえて、何もないはずのそこに、そっと触れてみる。
やはり、壁がある。
「……サーラ様の声は、この向こうからね……でもこれじゃあ……」
たぶん、何かのしかけがある。だが、聖剣がなければどうにもと弱気になりかけて、首を振った。
(落ち着いて。何かない? ハウゼル女王国の地下……隠された……)
「――わかった、女王継承の儀で使う祭殿! なら、確か、ええと……合言葉を唱えるだけでよかったはず。確か」
――聞け過去よ、開け未来よ、我は聖と魔のレガリアを継ぐ乙女なりってね!
リリアの言葉が思い浮かんだ。彼女があれを口にしたのは、偶然だろうか。
(リリア様なら、わたくしと同じ推論――いえ、もっと先まで読んでもおかしくない……)
どうしてだか嫌な予感がする。だが、意識を切り替えて、目をつぶった。嫌な予感なんてものにひるんでいる時間はない。
「聞け過去よ、開け未来よ、我は聖と魔のレガリアを継ぐ乙女なり」
りん、とひときわ大きく音が鳴った。途端に開けた視界に、アイリーンはまばたく。
(開いた……やっぱり、祭殿……)
踏み出した石畳の床が、高い天井に響く。首を上に折り曲げても見えない高さから、滝のように水が流れ、通路の両脇を飾るカーテンになっていた。
少し進んだ先に、祭壇があった。五段ほどの階段があり、その上に天鵞絨の布を下敷きにした台座と――胸の下で手を組んで眠る少女がいる。
見覚えのある顔だった。スチルで、見た。
「アメリア・ダルク……!」
急いでかけよったアイリーンは、その体をまっすぐ貫いている古びた剣に眉をひそめる。
「これ……聖剣?」
つらぬかれているアメリアの胸が、かすかに上下している。肌の血色も悪くない。――生きているのだ。
「……でもこれは誰の……」
柄の錆を払い、指先で触れて目を見開いた。長い黒髪が一本、からまって落ちる。
「まさか、グレイス様の……?」
だとしたら、これはグレイスの魂を解放する鍵だ。
アイリーンは柄を握る。そしてゆっくりと引き抜いた。
柄も刀身も錆だらけだったが、アメリアの体に刺さっていた部分は綺麗だった。日の光もない地下でも輝きを失わないそれに、思わず感嘆の息が出かけたそのとき、本当に光り出した。
「えっえ、なっ――!?」
『早く逃げて!』
頭に直接響いた声に問い返すより先に、勝手に剣が動いた。ぐんと引っ張られて階段の下に転がり落とされたところに、祭壇から四方八方に光が飛び散る。
(何、何!? なにか復活させた!?)
アメリアの体が浮かびあがり、ゆっくりと縦向きになる――その両眼がかっと見開かれたと思ったら、消えた。
「……な、なんなの、今のは。まさか……ってこっちも光ってるし!」
アイリーンが手にしたままだった聖剣の錆が、はがれて、光の粒子にほどけていく。
「え、聖剣が消えてっ……ちょっと待って、これでいいの!?」
『ち、違います、転移です。さっきの体に魂が一部融合しちゃってるから、引きずられて』
「だからさっきから頭の中で喋ってるのは――まさかサーラ様?」
そうです、という声と一緒に、光の粒子が今度はアイリーンの体について輝き始めた。
「だからさっきからなんなの、何にもまだわかってないのに!」
『あの、急いでって言ってました。あ、わ、私もちゃんと帰すから心配しないでって』
「まさか転移するの、どこに!?」
『わ、わかりませんすみませぇん……あ、でもあの、頼むって言われて』
「だから誰が!? もっと簡潔にわかりやすくしゃべりなさい、あなた!」
『えっとえっと、妹さんをもう解放してやってくれって。そうしたら会えるって』
「そういう重要なことは先に伝えなさい!」
最後にごめんなさぁいと情けない声だけ残して、頭の中の声が遠のく。
同時に視界が真っ白になった。
(妹を解放……じゃあやっぱりさっきの聖剣にグレイス様の魂が……転移ってまさかまた過去だったりしないでしょうね!? そんな時間ないわよ!)
風が頬を撫でていく。はっとアイリーンは目を見開いた、と同時に叫んだ。
「また空!!」
どうして自分はこう、上空からの落下と縁があるのか。下には宮殿が見えるので、場所だけは間違ってないが高度がまずい。
だがすぐにいつもと違うことに気づいて目を見開く。空が――雲が、黒い。それに宮殿を覆っていた結界も壊れている。それに、なんとも言えない生ぬるい空気と、それに運ばれてくる血のにおいは。
「ああ、いきなり空から何が落ちてきたかと思えば」
ふわっと抱き上げられて、アイリーンはまばたく。
「クロード、さ……」
「さて、これでゴミ掃除は終わったな」
そう酷薄に笑う男の胸を突き飛ばす。
幸いにも地面までほとんど距離はなかった。
降り立ったのは庭園だろうか。だが植物はほとんど焼かれ、瓦礫に埋もれ、廃園よりもひどい有様だ。
「勝手に動かれては困るのだが」
上空から声をかけてくるクロードの声を無視して、走る。確か王座で戦っていたはずだ。だったら、このあたりに――そう思って曲がり角をまがり、叫んだ。
「ウォルト、カイル……っルシェル様!」
ほとんど焼け野原と化している瓦礫の上で、ルシェルと、それに覆い被さるようにしてウォルトとカイルが倒れている。
「死んではいない。殺さなければいいわけだからな」
「……アイ、リーン……?」
「ルシェル様!」
「おっと」
駆けよろうとしたアイリーンの腰をクロードがつかんで、引きよせる。
「お前だけは駄目だ。傷ひとつでもつけようものなら、息子が暴れ出す――大事に大事に飼ってやろう。そうすれば息子も満足するに違いない」
「そんなことを言う男とは今すぐ、離婚します!!」
腕の力が一瞬ゆるんだ。
その隙に逃げ出したアイリーンは、なんとか起き上がったルシェルと、肩で息をして転がっているウォルト、起き上がろうとしているカイルを見る。
「全員、まだ生きてるわね!」
「いや、でもだいぶ、無理だけど、もう……っ」
「しっかりして! お義父さま、グレイス様が見つかりましたわ!」
目をまん丸にしたルシェルが顔をあげる。その顔をしっかり見つめながら、アイリーンは続ける。
「でも、おそらくアメリア様のほうをなんとかしないと……っちょっと!」
話の途中でふわりと体が浮いた。クロードの魔力だ。
そのまま歩いて近寄ってきたクロードの片腕にまた捕らえられてしまう。
「まったく、息子は繊細なのか?」
「いやあ、激怒、してんでしょ……アイリちゃんに、離婚なんて言われたら」
なんとか体を起こしたウォルトとカイルが、汚れて血がこびりついている頬で笑う。
「……もっと、言ってやれ、アイリ……クロード様を、怒らせるような、ことを」
「そう、そうしたらクロードが――ッ!!」
「ルシェル様!」
クロードが靴底でルシェルの頭を踏みつけ、瓦礫の下に沈ませる。
「静かにしてくれるな? 余計なことをしたら、この男を殺す」
「……っ!」
「はっ……どうせ、僕は殺すつもりだろうに」
踏みつけられたまま、ルシェルが答える。両手で起き上がろうとしているその姿を不愉快そうに見おろしたクロードが、もう一度足を振り上げて、その頭を踏みつけた。
「なら、その護衛共に死んだほうがましな苦痛を与えてやる」
「やめなさい! あなたも聞いて、あなたの奥さんは生きて――」
話の途中で口を塞がれ、そのまま持ちあげられた。
「黙れ。もう私はだまされない。だまされない。二度と、だまされない」
完全に見開かれたクロードの赤い目が、まるで人形のように繰り返す。まさに呪いにかかったように。
(やっぱりアメリア様からグレイス様を解放しないと、誓約がとけない……っ!)
「……アイリーン。さっきの話、信じて、いいかな」
クロードの足首をつかんで、ルシェルが体を起こそうとしている。目を向けたアイリーンに、一瞬だけその顔が見えた。
泣き出しそうな、嬉しそうな、でもまだ脅えてるような、神とは思わない弱々しい笑顔。
「本当に、奥さんは、いた?」
「まだ戯れ言を――っ」
蹴ってやろうと足を動かしたら、クロードが顔をしかめる。同時に飛び起きたウォルトとカイルに躍りかかられて、舌打ちしたクロードはアイリーンを離し、身を引いて距離をとった。
ルシェルに抱きかかえられたアイリーンは、頷く。
「ええ、いました。グレイス様でした」
「そっか……そっかあ。うん、そっか。……よかった。なら、もう、信じて、クロードを君に返してあげるよ」
「お義父さま?」
この状況に不似合いなほど、ふんわり優しく微笑まれて、まばたく。
だがルシェルは懐かしむような目で、クロードに――自分に、向き直ってしまった。