作品タイトル不明
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遠くでもはっきり感じる巨大な結界の変化に、バアルは目を細めた。
(宮殿の結界がもう限界そうだな。さて、どう戦況が転ぶか……)
魔道士の魔力も戻るが、魔王の魔力も全開になる。自分が行ければいいのだが、国境ぎりぎり、海の見えるこの無人の砂漠が出て行ける限界だ。
これ以上は、もしエルメイア皇国が負けた際の保険を失うことになる。
そもそも、不幸な事故でアシュメイルに空中宮殿が落ちてきてしまったのでそれを処理するという建前にも無理があるのだ。国内でもバアルが自ら出て行くことに反対の声があがった。バアル自身もあまりに白々しい話に、最初は突っぱねる気だった。
だが、たまたま最初の連絡の場に同席していた、寵愛する正妃が平然と答えたのだ。
「落ちてくるのだからしかたないでしょう、か。……かなわんわ」
国を守るのは聖王の仕事です。いってらっしゃいませ。
淡々とそう言ったロクサネは、本当はバアルがどうしたいのかよくわかっている。
「もう少し、余に厳しい女かと思っていたのだが。甘やかされている気がするぞ」
だからこそ、ここまでだ。両腕を組んで、そう言い聞かせる。
「余を行かせまいとする家臣まで黙らせおったわ。お前はいい女を余に差し出してくれた。その点だけは礼を言おう、アレス」
エルメイア皇国がよこした戦力という名の人質――左足を引きずった聖将軍に、バアルは目を向けた。気まずいのかアレスは顔をそらし、ぶっきらぼうに答える。
「……あなたが死んでもいいと思っているだけではないですか? あれは冷たい女ですよ」
「なんだ、エルメイアの小賢しい参謀に『これやるから』と差し出されてロクサネに『使えません』と言われたことを恨んでいるのか。はっはっはざまあみろ」
「子どもですか」
「失礼だな。もうすぐ余はお父さんになるのだぞ」
「――ま、まさか懐妊ですか、ロクサネが!?」
ぎょっとした顔のアレスに、意外にも気分がよくなった。ふんと鼻で笑い返す。
「正妃が聖王の子どもを身ごもるのに何か問題があるか」
「い、いえ……お、驚いただけです」
「ということにして、家臣共を黙らせおった。下級妃にも何人かそう偽らせたのはどうかと思うが……権力に目のくらみやすい馬鹿共はどの妃の子を推すかで頭がいっぱいだ」
――偽証だとわかればわたくしも下級妃たちも処刑されますので、そのおつもりで。
帰ってこいという激励にしてはあんまりではないかと少しだけ思う。何より、「だからさっさと子を作れと言いました」とため息をつかれたのは、納得がいかない。生きて戻って話し合う必要があるだろう。
「ということは……まだ……」
「生きて戻り、ロクサネだけは事実にするが」
「……」
「ふん、今頃謝罪など考えても、余はお前とロクサネを絶対会わせんぞ。お前とサーラが余の役に立たないのなら、アシュメイルの国土を踏むことも許さん」
はっとアレスが顔をあげる。それをまっすぐバアルは見返した。
「その左足を動かしてやれるのは余だけらしいな。せいぜい、励め」
「――……あなたは相変わらず、大変に甘くてらっしゃる」
「そんなことはないぞ。ロクサネに器が大きいと思って欲しいだけだからな!」
アレスが両眼を見開き、それから何かを懐かしむような苦笑いを浮かべた。
「そう……ですか。……俺もそうだった。サーラがよく、あなたを素敵な王様だと、ほめていたので。それを守っている俺もすごいと」
「だったらお前、馬鹿なことをしたな」
「ええ、そうですね。……本当に、馬鹿な真似をした」
アレスが、不自由な足でその場に跪いた。頭をたれるその姿を、バアルは見おろす。
「命をかけてあなたをお守りする、聖王。――妻が望んだ、そのとおりに」
「それならまだ信じてやってもよい。……剣を構えろ。魔王は強いぞ」
やっと豆粒くらいの大きさで目視できるようになったあれが、世界中を脅かしているハウゼル女王国の空中宮殿だ。ふわりと浮きあがるついでに、アレスの左足に埋めこまれた聖石に少し力を注いでやる。体が楽になったのか、アレスがまばたいたが、すぐに険しい顔になった。
「バアル様、宮殿の向きが……!」
「おい、聞こえているかアイリーンの参謀! どうなっている、宮殿の向きが予定と違う!」
『わかってるよ! リリア・レインワーズが勝手に――』
ぶちっと何か引きちぎられたように、指輪からの声が断ち切られた。
その原因は、目視できた。
遠く見える宮殿の上空にかけあがっていく、白銀の竜。
想定はされていたことだ。最悪と前置きをして、あの参謀も言っていた。
「神の復活か……!」