作品タイトル不明
59
日付が変わる。
(これで、ハウゼル女王国が言う期限まであと五日……)
星がまたたく夜空を見あげながら、アイリーンはガウンを羽織り直す。吐き出す息の色はまだ白くはないが、それも時間の問題だろう。
古城の中庭には、誰もいない。ウォルトやカイルはもちろん、ゼームスやオーギュスト、果てはマークスやレスターまで護衛を、せめて付き添いをと申し出てくれたが、すべて断った。
魔物達もいない。ひとりきりだ。
それがいちばんいいと、そう思ったから、そうした。
深呼吸をする。落ち着いて話しかけた。
「お義父さま。……聞こえてらっしゃいますわね?」
返ってくるのは、ほんの少しの風の音だけだ。
それでもきっと、聞こえている。今、古城の結界を維持しているのはルシェルだ。
「お義母さまに会って、いいことを聞いてしまいました。どこで何をしていようが、絶対にルシェル様が飛んでくる魔法の呪文」
ざわりと、戸惑いのように木々がゆれる。本体と分離したルシェルにはクロードのような自然に影響する力はないと言っていたが、うかがうような静寂が返事のようだ。
「お義父さまったら、初夜のとき緊張のあまり――」
「わーわーわーわーわーわー!! な、なん、なんの話かな!?」
本当にあっさりルシェルが出てきた。
一方でやっぱり聞き耳を立てていたのかと、アイリーンは両腕を組んで呆れる。
「さがす手間が省けたのはいいですが……ほんとに飛んできましたわね」
「うぐっ……そ、そういうこと言うと消えるよ!?」
「いいですわよ? そのかわり続けますわね。何をすればいいか混乱したお義父さまは」
「アーアーアーアー聞こえナーイ! っていうかなんなの君、どっから仕入れたのそれ! 魔物だって殺されても言わない魔界のトップシークレットだよ!?」
「ですから、お義母さま本人から」
ルシェルは何か言いかけたが、ふてくされたような顔でそっぽを向いてしまった。
「信じられるわけがないでしょ。でも、なんか君は本当かもしれないと思わせちゃうから、厄介だよね」
「怪我は大丈夫ですか? ご飯はきちんと食べて、眠ってらっしゃいます?」
「えっ何、突然。まさかそんなこと聞くために呼び出したの?」
「違います。違いますが……お義母さまが心配してらっしゃるんじゃないかと思うと、気にかけてしまうというか、義娘の使命感っていうんですの?」
はあっと頬に手を当てて、アイリーンは嘆息する。
「クロード様のことしか頼まれていないんですけれども、つい」
「……なんか、僕のためじゃないってことだけはわかったよ」
「ですが、こちらの事情は把握してらっしゃるんでしょう? 呼び出した理由はおわかりなのではなくて」
「僕を連れてこいってやつ? 悪いけど人間に利用されるほど落ちぶれてない」
皮肉っぽくルシェルが笑い返す。だがアイリーンはあくまで笑顔を崩さず、提案した。
「一緒にハウゼルに殴りこみにまいりません?」
「――君、まだ諦めてないの。クロードが、あんな……聖剣だってなくして」
「お義母さまって不思議な方ですわね。わたくしなら大丈夫だ、息子が待っているって言われて、わたくしその気になってしまいました」
むんと胸をはって見せると、ルシェルは目を瞠ったあと、苦笑いを浮かべた。
「君は、本当は……どっちかっていうと、僕似なのかな」
「まあ、いったいどこがですの?」
「本当は怖いし、逃げたいし、なのに諦めることが一番できなくて、全部欲しいと、世界を滅ぼしそうになってもまだあがくあたりが」
「それのどこが悪いんですの」
「そうやって、開き直るあたりまで」
わかっていると言わんばかりの目は、アイリーンをとおして自分を見ている。
言い返さず、アイリーンは一度目をふせ、まっすぐに見返した。
「だったら協力してくださいな、お義父さま。クロード様を助けましょう」
「クロードは……」
「そして、そのあとみんなで、お義母さまをさがしましょう」
ルシェルが瞠目した。
「クロード様を助けたいお義父さまの気持ちは、本物だとわたくしも思います。でも、一番したいことは違いますわよね。一番の願いは、本体と同じはずですわ」
――会いたい、君に、もう一度。
「……できるわけない」
「そんなことありませんわ」
「本体が夢見てるだけだ。もう彼女はどこにもいない。二度と会えない」
「どうしてそんなことをおっしゃるの」
「だって僕は、守れなかった!」
怒鳴り声と一緒に涙が散った。
顔を片手で覆ったルシェルが、子どものように顔をゆがませてあとずさる。
「神のくせに助けられなかった、何もかも壊すことしかできなかった、あんなに彼女から頼むと言われたのに! まごうことなき聖剣の乙女だった彼女が魔剣の乙女と呼ばれて貶められていくのも止められなかった、僕と出会わなければ、魔王なんかと結ばれなければ、彼女はもっとたくさん、色んな幸せを手に入れられたんだ!」
ずっと不思議だった。
クロードの運命の相手と言うが、それは自分が愛した妻の生まれ変わりだ。たとえ姿形が変わっていても会いたいだろうに、ルシェルは決して自分自身でさがそうとはせず、常に一歩引いていた。
それはなぜなのか。
その悲しい答えを、痛いばかりの後悔を、どうしようもない過去を、ルシェルは叫ぶ。
「僕ばかり幸せで、わかっているくせに手放せなくて、今だって名前も呼べないくせに、息子を犠牲にしてまで――こんな僕が、会えるわけがない!」
「それでも会いたいんでしょう」
ルシェルがくしゃりと、泣き出しそうな顔で嘲笑を浮かべる。愛したことを間違いだと、嘲っているようだった。
ゆっくりとアイリーンは指を伸ばして、その手に触れた。ひんやりした手だ。
きっとアイリーンがあたためることは無理だろう。それでも、ぎゅっとその手をつかんで、言い切る。
「大丈夫です、お義父さま。それはただの、女冥利に尽きるというお話です」