作品タイトル不明
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目の前に立っているその女のその黒髪も顔立ちも、そっくり悪役令嬢グレイス・ダルクのものだ。
(彼女がアメリア・ダルク……?)
眉をひそめたアイリーンの考えを見透かしたように、リリアが前を見据えたまま答えた。
「アイリーン様。私ね、前世の記憶がないの」
「は?」
「聖剣の乙女の生まれ変わりのはずなのに、アメリア・ダルクの記憶を受け継がなかった。戻ったのはあなたと同じ、ゲームの記憶だけ。どうしてこんなことになったと思う?」
息を呑んで、アイリーンは改めて女を見た。
「アメリア・ダルクが生きているから。そう考えるべきじゃない?」
「まさか……じゃあ、あれは」
「グレイス・ダルクそっくりに化けてる――ううん、さっきの魔王様の反応からして、グレイス・ダルクの遺体でも動かしてるんじゃないかしら」
血を流さず、すべて聖なる力で補うことのできる体。
とても生きている人間とは思えない、その存在。
「じゃあ、アメリアは女王エンディングを迎えた……」
「そう。ゲームでは雰囲気で流されていたからどんな方法を使ったかはわからないけど、何百年も生き続けてきたのよきっと。ルシェルの復活を予知夢で見て、その日を迎えるために」
「待って、でもエルメイア皇国の聖剣の乙女の名前はアメリアよ!」
「そのあたりはわからないわ。でも歴史の改ざんくらい、ハウゼル女王国ならできるはず」
そんなに簡単なことではないと言おうとして、気づいた。
統一言語だ。ハウゼル女王国の提案で、各国の言葉は古語として残しつつ、言語も測量地もすべて統一された。そうやって少しずつ、何百年もかければ、できないことではない。
「でも……じゃあ、魔王の本体は何に怒っているの。どうして彼女は、よりによってグレイスに化けたの?」
「アイリーン様って変なところ、にぶいわね。……ねえセレナ」
意識を失っているサーラをマークスに預けたセレナが、オーギュストのうしろでまばたく。
「何よ」
「もんだーい。昔々、姉妹で男をひとり、取り合ってました。そして見事、姉が男のハートを射止めました! 相思相愛だったふたりですが、不幸な結末をむかえます。でもきっと来世でも結ばれようと約束しました! 諦めきれない妹はどうしますか?」
「どうするって。意地でも阻止するでしょ、その来世の約束とやらを」
――憎い姉に、なりかわってでも。
「本当は何があったか、それはわからないわ。でもハウゼル女王の予知夢や過去視はゲーム準拠。だから女王になってその能力を引き継いだ時に知っちゃったんでしょうね。本当なら自分が 魔王様(ルシェル) と結ばれる運命だったって」
「じゃあ――じゃあ、あの女の目的は」
「自分と結ばれる正しい未来に導きたい。……あるいは決して、姉と会わせたくない」
ただ、それだけ。
それだけのために、何百年もかけて、ここまできた。
「……何をこそこそ話しているのかわかりませんが、私の名前はグレイス・ダルクですよ」
そう笑う女の顔の、なんて滑稽で、恐ろしいことか。
「聖剣の乙女ですか。いいでしょう、この世界に聖剣の乙女はたったひとりでいい!」
菫色の瞳を見開いた女の右手から今度は聖剣が現れ出た。
思わずアイリーンはリリアに怒鳴る。
「どうするのあなた、勝てるの!?」
「わっかんない★」
「わからないなら戦うなんて無謀――」
首根っこをつかまれて、うしろに投げ捨てられた。姿勢を低くしたリリアが答える。
「でも私がやらなきゃ攻略法がわからないでしょ? 邪魔しないで」
「……!」
そのまま聖剣同士で撃ち合いを始めたふたりに、アイリーンは唇を噛む。今の自分は足手まといだ。わかっている。
だがアイリーンが負けたのは、リリアから奪った聖剣だ。
リリアの聖剣がどこまで通用するのか。そう思った目の前で、リリアの聖剣が鉄が溶けるような音を立てて、とけだした。
「リリア様、聖剣をとられるだけよ! さがって!」
「ふうん、やっぱり私相手でも吸い取れちゃうの? やっぱり聖剣の乙女はアメリアだっていうのは設定どおりなのかしら――でも、実は魔王様の自爆のせいで満身創痍でしょ?」
リリアは消えていく聖剣を聖なる力で補って、一回転させる。そのまま女が、森林を削りながら吹き飛ばされていった。
それを追撃すべく、リリアが聖剣をかざして笑う。
「それにもう人間じゃないなら、この聖剣でも殺せちゃうわよね?」
天を貫くほど巨大化したリリアの聖剣が振り下ろされた。爆音と爆風で森の木々がなぎ倒されていく。
まさかやったのかと崖から下を見おろそうとしたそのとき、風を切り裂くようにして、一閃が走った。
リリアのかたわらをすり抜け、アイリーンの頭上をかすめ、飛んできたのは――水晶だ。誰かを捕らえるための神具。
「――セドリック様!?」
リリアが振り向く。
その背後から半分体を失った女が現れ出て、聖剣を振りかざした。もろに攻撃をくらったリリアが地面に沈む。
「リリア様!」
「素晴らしい力です。さすが、聖剣の乙女になる運命の少女」
体を聖なる力で修復しながら、女が浮かびあがってくる。その指先には、セドリックを呑みこんだ小さな水晶があった。
「ですがこれがなくては、あなたは聖剣の乙女になれない。そうでしょう?」
「――どういう、意味かしら」
「わかりませんか? こういうことですよ」
女がセドリックを呑みこんだ水晶を握る。
内側から光った水晶が、ぴしりとぴしりと音を立て始めた。
セドリックが囚われたままその水晶が壊れたら――リリアが両眼を開くと同時に、形相を変える。
「このババア――ッ!」
「やめないか、アメリア。もういいだろう」
静かな声が響いた。
アイリーンにとっては聞き慣れた声だ。目を閉じればそのまま名前を呼ぶ声が聞こえるほどに、慈しみをこめられた、その声の主は。
「クロード、様……」
無事だったのかと駆けよる前に、何かが降ってきた。
どさりとアイリーンの前に落ちたのは、ぐたりとしたルシェルだ。さきほどクロードを心配して真っ先に転移していったはずの彼が、どうしてこんな姿になるのか。
それを問おうと顔をあげて気づいた。
クロードの髪の色が、違う。つややかな黒の髪が、銀に変わっていた。
「放っておいても害はないだろう。息子がかわいがっていたんだ。解放してやってくれ」
「……クロード様?」
「息子から奪うのは、体だけですませてやりたい」
そう言ってクロードが自身の胸に手を当てて、そっと痛ましげに目を閉じる。
アイリーン達と同じように呆然としていた女が、口を動かした。
「……ルシェルお義兄さま……?」
「義兄だなんて呼ばないでくれ。君の運命の相手だ、アメリア」
息を呑んだのは女だけではない。アイリーンだって同じだ。
「本当、に……本当に?」
「本当だ。こうして人間の体を得て再び目覚めたことで、私の魔法は成就した。間違った運命を排除し、もう一度、正しい未来を願った私の魔法がやっと、成就したのだ」
「ルシェル様……ああ、やっと、やっと!」
感極まった声で抱きついてきたアメリアを、クロードが優しく抱き留めていた。
呆然としながら、アイリーンは麻痺しかかった頭でかろうじて考える。
(間違った運命を正してもう一度って……まさか、グレイスとの悲劇を乗り越えて、アメリアと結ばれることだっていうの……!?)
「ち、が……う……違う、僕が願ったのはそうじゃない、そんなはずない!」
アイリーンの疑問を真っ先に本人が否定した。
「何をした。僕がもう一度と願ったあのときに何をした、アメリア!」
「……ああ、なんだ。まだ生きているのか、私の残りカスが」
「ちがう」
震える手をクロードにまっすぐ伸ばしたルシェルを、慌ててアイリーンは支える。
「ルシェルは、僕だ。お前じゃない、お前は僕じゃないんだ、クロード……!」
「何もかも私に押しつけた臆病者が、よく言う」
人差し指を立てたクロードの魔力が膨れ上がり、球体に変わる。
とっさにアイリーンはルシェルをかばって両手を広げた。
「やめてくださいませ、クロード様!」
眉を動かしたクロードがアイリーンを見ると同時に、魔力の球体が消えた。
そのことにアイリーンが驚いてしまう。やめろと言われてやめるなんて。
だが、嘆息したクロードの口調は素っ気ない。
「まあいい、後回しだ――ハウゼルに戻ろう、アメリア」
「……ええ、ええ……!」
幸せそうに笑った女が何度も頷き返す。
その手からまるでごみか何かのように、セドリックを閉じこめた水晶がこぼれ落ちた。それをマークスが受けとめる。
「クロード様!」
背を向けようとしたクロードが、こちらを一瞥した。
赤い瞳は確かにアイリーンを映している。アイリーンのことを覚えていないとか、わからないわけではないのだろう。
だが、そこから感情が何も読み取ることができない。
そのままふっと女と一緒に、クロードがかき消える。
あとは雲ひとつない、青天井が残るのみだった。