作品タイトル不明
31
その瞬間、アイリーンがまずやったのは、足下に広がる鏡をたたき割ることだった。振り下ろした聖剣が突き刺さった場所から、ひびが入る。そのまま力をこめると、浮き上がった鏡が光になって蒸発した。
けれど、クロードの変化は止まらない。
名前を呼ぼうとしたその瞬間、口をふさがれてそのまま観客席まで一瞬で移動した。
「アイリちゃん、無事だね」
「ウォルト! 戻しなさい、クロード様が!」
「だめ、ちょっと頭ひやして。カイル、キース様は?」
はっとその言葉に我に返る。
ウォルトがアイリーンを担いだように、キースをかついだカイルが制服の袖を破いて、止血を始めた。
「まだ息はあるが、血が止まらない。早くきちんと治療しないとあぶない」
「リュック様のところへ俺が転移します。これはどうしますか」
気絶したままのアレスを運んできたエレファスに、ウォルトが目を細める。
「さっきの鏡の召喚魔法の媒介に使われたみたいだね。ああ、聖石が左足に埋めこめられてたのか。えっぐいことするなあ。もう左足は動かないだろうし、キース様と一緒に放りこんで大丈夫だと思うよ」
「念のため拘束はしておいたほうがいいとは思う。……ルシェル様はどうなったんだ」
「クロード様を押さえていらっしゃいます」
エレファスの言葉に、アイリーンは身を乗り出した。
遠く、祭場の真ん中、クロードがいたはずのそこは、濃すぎる魔力が黒く渦を巻いていた。ときたま、びきり、と音がして異形の腕や、足が垣間見える。
その渦に赤の瞳を輝かせて正面から立ち向かっているのは、他でもないルシェルだ。黒い渦が膨らむたびに、それを魔力の網で押さえこんでいる。
「お義父さま……」
「ですが、そんなにもたないと思います。どうしますか、アイリーン様」
尋ねられて初めて、自分が混乱していることに気づいた。額に手を当てて、深呼吸する。
落ち着け、と胸の中で繰り返す。
自分は魔王の妻だ。
「……エレファスはキース様とアレス様をリュック達のところへ。アイザックやゼームスとも連絡をとって、指示をあおいで。ウォルトとカイルはわたくしと一緒に――かまえなさい、何かくる!」
空に、黒い穴があいた。そこから彗星のように輝きながら、神剣が何本も落ちてくる。
両眼を開いたアイリーンの目の前で、祭場目がけて光の刃が降り注いだ。すさまじい爆音とクロードの悲鳴があがる。
それが、きっかけだった。
魔王の魔力が一気に膨れあがる。人間への憎しみ、絶望、恨み、それらをすべて飲みこんで。
ぶちりと縄が切れたような音は、ルシェルがおさえこんでいた魔力の網か。
「クロード様!」
また上空に現れた神剣目がけて、魔力が放たれた。
神剣は厳密には聖剣と違う。使い手を選ばず、人間も傷つける――だから聖剣と違って魔力の威力こそ弱めるが、すべて無効にしたりはしない。
圧倒的な魔力に押しまけて、神剣がすべてなぎ払われた。爆音が青い空を赤く焼きつくし、焼けるような風が黒い霧を広げていく。
漆黒に染まった中心から、咆吼があがった。
「クロード、さま……」
大きさがいつか見たときと比較にならなかった。あれは本当に『なりかけ』だったのだ。
黒光りする竜鱗、吐き出す息はまるで噴火前の火口のよう。
まっすぐにアイリーンをとらえた瞳の色は、血に濡れた紅玉。
こちらに向けられたのは、身震いするほどの憎しみと、殺気。
「エレファス、早く行きなさい!」
怒鳴ると、頷いたエレファスがキースとアレスを連れて消える。
横になぎ払われた魔王の尻尾で、観客席が真っ二つにわれた。
横に飛んで回避したアイリーンは、唇を噛む。
今、確かに目が合った。そして攻撃された。つまりクロードはアイリーンを敵として認識している。
(殴ってでも正気に戻す!)
決意を聖剣に変えて握り直す。このままではだめだ、殺してしまうから魔力を――と思ったとき、まだ自分の認識が甘かったことに気づいた。
クロードの魔力が消えている。指輪からも影からも、何も反応がない。
「ウォルト、カイル! 気をつけて、クロード様の魔力が使えない!」
警告を発すると同時に上からまた神剣が現れ、降り注いだ。
今度は範囲が広い。舌打ちしてアイリーンは自分目がけて落ちてきたものを叩き落とす。
このしつこい攻撃をどうにかしなければ、クロードにまず近づけない。何よりますますクロードの怒りをあおって、収拾がつかなくなる。
(どこから、誰がやってるの!? でも今ここで、クロード様を放っておくわけには)
今度は違う方向の空が輝いた。またかとみがまえたが、今度は目標が違うことに気づく。
古城だ。
クロードが守る、大事な魔物達の城。
クロードが吠えて、口から膨大な魔力を吐き出した。それが古城目がけて降り注ごうとしていた攻撃をすべて燃やし尽くす。
だがその攻撃は、一度で終わらない。怒りに目を燃やしたクロードが、古城に向けて方向転換する。
「クロード様、待って! 罠かも――っ」
アイリーンの声を遮って古城に狙いをさだめた攻撃が続く。
一撃でも許せば、それこそアーモンドのような弱い魔物は一瞬で蒸発してしまうだろう。聖剣ほどの威力はなくても、使われているのは神剣だ。それを遠慮なく使い捨ててくるなんて。
だが、サーラもセレナもいるなら神剣の補充もできる。恐ろしいまでに正しい物量作戦だ。しかもクロードの行動を見越されている。あの女が考えたのではないだろう、今までと攻撃のしかけかたがまったく違う。一体誰が指示を出しているのかと、歯ぎしりしたくなった。
考えている間に、ばさりとクロードが翼を使い、空を移動し始めてしまう。
「追うわよ、ウォルト、カイル!」
「やめるんだ、殺される」
走り出そうとしたアイリーン達の前に、ルシェルが立ちはだかった。
その赤い瞳から一筋、涙のように血が流れている。
「もうあの子には聞こえない。君達のことなんて、わからない。わかるだろう。クロードの魔力を借りていた君達なら。あの子はもう、君達を味方だと……守ろうと、思ってない」
ウォルトとカイルが息を呑む。アイリーンは拳を握った。
「……そこをどいてくださいませ、お義父さま」
「あの子は魔界に連れて帰る。……せめてそれくらいは、僕がやる」
「聞こえませんの」
「あの子はもうあの子じゃないんだ! 本体の意識に飲まれた。あれは」
その余計なことを喋る口に、拳を叩きこんだ。
渾身の力をこめたそれは、純粋な暴力でルシェルを地面にめりこませる。じんと痛んだ手の甲をはらって、アイリーンは冷たく告げる。
「急いでおりますので、これで失礼致しますわね」
「ちょっ……本気で殴った!? 本気で殴ったよね、本当になんて嫁」
「わたくしは今まで一度だって、クロード様に守ってもらいたいだなんて思ったことはありません!!」
クロードはいつだってアイリーンを守ってくれた。嬉しかった。幸せだった。
けれど、守ってもらいたいなんて願ったことはない。
「わたくしのことがわからない? ええそうなのでしょうね、既に経験済みですわ。二度目ですわよ、もはやまたかとしか思いません」
「ま、またかって」
「あまりなめないでいただけますか、魔王の妻を」
地面に尻餅をついてルシェルがぽかんとしている。うしろでウォルトが苦笑した。
「……ま、そうなるよね」
「だが、実際どうする。冗談抜きに何か策がなければ殺されるぞ」
「策なんて、愛の力に決まってるでしょう。チートでもなんでも使うわよ」
本当は、怖じ気づいている。
だってあのクロードがアイリーンを攻撃してきたのだ。今までどんなに呆れても、怒っても、記憶を失っても、まるで飛んできた虫を振り払うように扱われたことはなかった。まだ出会った頃だって、あのひとは優しかった。
ルシェルの言うとおり、あれはもうクロードではないのだろう。愛しているから、それを知っている。
でも愛しているから、立ち向かえるのだ。
一歩踏み出すと、また地面がうごめいた。ちょうど、祭場の出入り口にあたる部分だ。
もぞりと現れたのは、もう見飽きた白い兵隊。足止めだろう。
まったく、大胆で、緻密な対策をとってくれる。
「いくわよ、ウォルト、カイル」
聖剣を握り直したアイリーンに続いて、ウォルトとカイルがそれぞれ武器を構えた。