作品タイトル不明
22
水晶の中は、まるで水の中のようだった。
空気のある水だ。だがゆらぐ水面の向こうははっきり見えず、耳も聞こえず、声も届かない。何か言おうとしても、それこそ水の中にいるようにごぽごぽと泡のようなものがのぼっていくだけで、ただただ沈んでいく。
(クロード様の魔力もまだ残ってる。壊せるわ。……でも)
どこに連れて行かれるのか。
アイリーンの関心はそこに移っていた。
振動だけは現実と連動しているのか、ゆらゆらとゆれることで自分が運ばれているとわかる。
(あまりエルメイアから離れないでいてくれると助かるのだけれど……)
なにせ、アイリーンは転移魔法が使えない。聖剣ができるのは魔を斃すこと。魔力が通じるところならば魔物を呼び出してすぐクロードにむかえにきてもらえばいいが、そうでない場合、遠方だとそれだけで帰りづらくなる。
だが、魔力が通じないところへ連れて行かれるのが定石だろう。
――やがて、振動が止まった。
しばらくじっと待っていたが、動く気配はない。振動が止まったことでゆれが少なくなった水面の向こうに目をこらす。人影は見当たらない。そのかわりやたら物が多く見えた。物置部屋だろうか。
よしと意識を集中すると、やはり魔力が使えないことに気づいた。
場所については大体予想はついたが、意識を切り替える。使うべきは聖剣だ。
聖具だろうが神具だろうが、結局、聖剣の圧倒的な力の前にはかなわない。
ぱりんと音が聞こえたと思ったら、視界が開けた。ふうっとアイリーンは息を吐き出す。
思ったとおり、空き部屋だった。どこかの物置部屋――というか。
「ふふ。まさかの4のスチルにあった宝物庫じゃないの……ここまでくると笑えるわ」
つまり、ここは4の舞台――ハウゼル女王国だ。しかも学園都市のほうではない。魔力が使えないことを考えると、聖石の結界で守護されているハウゼル女王国の王宮内のほうだろう。
さらにこの宝物庫は、4でヒロインが王宮でいざ女王に謁見となったそのとき、嫌がらせで閉じこめられてしまうイベントの発生場所だ。
空気を吸って、吐き出す。
ほこりっぽいのは、こちらがもはやガラクタ置き場になっている宝物庫だからだ。六百年以上たっても同じとは惰性がすぎるのではないか。
とりあえず自分をさらおうとしたのはハウゼル女王国の関係者だ。それはわかった。だが、それだけですませるつもりはない。
(やたら4の気配がするけど、わたくしをこんなところに放りこんだってことは、ゲームの知識がある相手じゃないわね。だってこの宝物庫、秘密があるんだもの)
閉じこめられたヒロインは、偶然、宝物庫にある使われていない通路を見つける。その先にあるのは、女王の私室だ。
そこで初めてヒロインは、自分の実の母親である女王と対面する。
ぐるりと入り口に背を向けたアイリーンは、確かここら辺と壁をまさぐり、ヒロインと同じように古語で書かれた文字をみつける。そっと聖なる力を流しこむと、文字が光り出して、そのまま壁が奥にへこんだと思ったら、消えた。
惑わされず通り抜けるための条件は、聖なる力の強さ。たとえ中途半端な聖剣とも言われようとも、それが障害にならないことはアシュメイルで証明済みである。
大体、このイベント時のヒロインはまだ聖剣を手に入れていない。
それでも六百年以上の月日がたっている。すべてが同じとは限らない。
慎重に進むべく、ゆっくりとアイリーンは足を踏み出し、その瞬間に年月を悟った。足下が突然抜けたように、体が落ちていく。
(罠!? ……聖剣!)
聖剣で足の下に壁を作り、体勢を整える。目をこらすと、聖なる力が熾火のように灯り、続いているのは見えた。ゲームと同じ出口への目印だ。だが、どうもそこまでにあちこち罠がしかけられているようだ。
「まあ、何百年もそのままほっとかないわよね、普通」
嘆息すると、今度は土砂崩れのような、何かがこちらに向かってくる激しい音が聞こえた。
構えて、こちらに一目散に走ってくる姿に目を丸くする。全力疾走でこちらに向かってくる人物は。
「お、お義父さま!?」
■
猫の手を借りたい忙しさだ。魔物の手を借りて連絡を受け取ったゼームスは、持っている懐中時計を見る。十分くらいなら、時間がありそうだ。しかも、相手は廊下を曲がればすぐの部屋で寝ているはずである。
返事を期待せず、一度だけノックして扉をあけると、寝台の主は起き上がっていた。瞠目すると同時に、顔をしかめる。
「オーギュスト。お前、起きていて大丈夫なのか」
「あ、うん。ごめんな、心配かけて」
昨日、血だまりの草むらに倒れていた人間だ。えっさほっさと古城に運びこんできた魔物達は死ぬかも死ぬかもと大騒ぎして、なだめるのが大変だった。
実際は血まみれで気絶していただけで、貧血を起こしているだけだと診断された。皇太子妃をまんまとさらわれてこの体たらくは失態にあたるのだが、魔物達の証言を信じるならば、運びこまれたときのオーギュストは腹に穴があいていたらしい。
寝台のかたわらにある木目の椅子を引きよせて、座る。窓から風が吹きこんできた。
「……アイリは? 見つかった?」
「いや。ただ、この一件に関してはクロード様が箝口令を敷いている。むやみに動くなよ」
「セレナは?」
いちばんはそれが聞きたかったのではないかと疑いたくなる切実な声音で、尋ねられた。
「逃げおおせた。まだ見つかっていない。それなりのバックがついているんだろうな」
「そっか……」
「だが次は逃がさない。ウォルトもカイルも同意見だ」
オーギュストは顔をあげようとして、すぐうつむいた。
そして寝間着のうえから腹のあたりを手の平で押さえる。
「――刺されたんだ、俺。血が止まらなかった」
「魔物達もそう言っていた。だが、幻覚を使われたという線も」
「こんなに早く治るわけない。……セレナが、助けてくれたんだ」
報告にあったとおりの能力がセレナにあるのなら、可能性はある。だが信じるかは別だ。
「だから、刺されたこと自体が幻覚だった可能性があると言っている」
「血まみれだったんだろ俺!? だったら」
「いいか、オーギュスト。あの女は敵だ」
「何か事情があるのかもしれない!」
すかさず反論が飛んできた。
ゼームスは怒鳴り返すのをこらえて、苦々しい気持ちを説得に変える。
「あの女は皇太子妃をさらい、第二皇子とその婚約者もさらおうとした。アシュメイル王国の神の娘の誘拐にもかかわっていた可能性があるんだぞ」
「セレナは命令されてやってるんだ、きっとハウゼル女王国に。だから、しかたなく」
「しかたなく? あの女がそんなタマか、何か取引したに決まってる。金かハウゼル女王国での地位か、あの女にはしかたなく従う理由などないんだからな。そもそも、しかたなくと言うならこちらに何かあってしかるべきで」
「理由も相談もないのは、俺達のせいじゃないか!」
ジルベール伯爵家を取り潰し、彼女から何もかも奪って、話も聞かず切り捨てた。そのあとも便利な駒だと使い続けて――それで彼女がこちらに義理立てする必要などどこにもない。裏切ったなどと非難するのもおこがましい。こちらだって自業自得だと笑えばいい。
そうしてもう一度、切り捨ててやれば、それでいいのだ。
だがオーギュストはそれを是としない。
「なにかあるんだ、絶対! ゼームス、魔王様に話、させてくれ。アイリがさらわれたのは俺の責任だ、でもセレナにひどいことしないでくれ。俺が話すから――」
「いい加減にしろ!」
オーギュストの胸ぐらをつかんで、鼻先を突きつける。
「お前、まさか裏切る気か」
「そっ、そんな難しいことじゃなくてさ……!」
「ならなんだ。あの女の立場は自業自得、魔王とその妻の裁定だ。それに今更ケチをつけて助けろ? 思うところがあるとみなされてもおかしくない言動だぞ」
両眼を開くオーギュストには聖騎士団という肩書きがある。皇太子妃の誘拐自体を伏せているので問題にならないだろうが、今回の失態は本来なら退団ものだ。
そのうえで誘拐犯をかばう発言をするのは、考えなしにもほどがある。
「それとも、俺がミーシャ学園であの女に魔物として斃されていればよかったか」
そう告げれば、みるみるうちにオーギュストは肩を落としてしょげかえった。
「……ごめん……」
「まったくだ。しばらくここで頭を冷やしていろ」
「あっ……でも、ほんとにアイリは? 全然、見つかってないのか?」
今更とってつけたように、とは思ったがその目は真剣だったので、答えてやる。
「見つかっていない。だが、クロード様が動いてらっしゃる」
「そっか。……なら、大丈夫だよな。天気もいいし……」
「……。俺はとても大丈夫に思えないんだが」
「え。何それ、どういう意味」
「とにかく今は忙しい。お前はおとなしくしていろ。俺は仕事に戻る」
「でも俺、やっぱ魔王様と話したいんだけど、いつ頃ならあくかな」
諦めの悪いオーギュストに、立ちあがったゼームスは嘆息する。
「さあ。二回目の結婚式が終わった頃じゃないか」
「は?」
じゃあな、と言い置いてゼームスはきびすを返す。
一拍あいて、穏やかな秋晴れの空にオーギュストの絶叫が響いたが、放っておいた。