軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

16

「エルメイアに魔香の中毒症状を緩和するための試薬品があったので、それをわけていただきましたが、症状は思わしくないようです。捕縛の際に何か飲んだようで、それが作用して一気に中毒症状が進んだようです。長くはもたないでしょう」

さあっとサーラの体が真ん中から冷えていく。てっきり牢の中で恨んでいるだろう、怒っているだろうとばかり思っていた。

いつだって自分はそうだ。ありもしない恐怖にとらわれて、現実から逃げてしまう。

「あ……会わせてください」

「会ってどうするのですか。治すのですか? 神の娘として」

「そ、そんなの、わからないけど!」

「考えなさい」

厳しく、ロクサネは言い切った。

サーラがアレスの妻になる前、まだ神の娘と呼ばれ出した頃と変わらず、背筋を伸ばして。

「時間はあります。多くはありませんが……だから、考えなさい。神の娘。今度は誰にも利用されないように」

そっと拳を握った手に、ロクサネが手を重ねてくれた。思わず、その瞳を見返す。

「ど……どうして、私を神の娘だって、まだ言うんですか」

「アレス様をまだ助けようとするからです。それでこそ、神の娘だと思うからです」

わたくしは助けようと思いませんので、とロクサネは無情に言い切った。それがなんだかおかしくて、サーラは泣き笑いのような顔になってしまう。

「そう、ですね。でも、アレスが最初は私を守ろうとしてくれたみたいに、アレスだけは、私が守ってあげなきゃいけなかったんじゃないかな……」

もらうばかりだった。途中から欲に目がくらんだ行動だったとしても、ただサーラは守られただけで、何か返すどころか、肝心なところで逃げた。

一度だって、夫をとがめようとはしなかったくせに。

「だから、やり直すなら、そこからかも、しれません」

「酔狂ですね」

「神の娘ですから」

自分でそう言って、初めて、それが正しい姿な気がした。ロクサネが嘆息する。

「……アレス様と会うには、バアル様の許可がいります。バアル様はなんだかんだあなたにお優しいでしょうから、なんとなくふわっと許可を出してしまわれるでしょう」

「だ、だったら……!」

「ですがわたくしは反対です。バアル様がそれでも強行なさろうとしたら、実家に帰ります。……もう実家に帰る準備をしておいたほうがいいかもしれませんね。今から支度をします」

「だ、だめです! わかりました、私がロクサネ様を説得すればいいんですね!」

「そのとおりです」

頷かれて、ほっとした。そして考える。きっと、初めて。

「……ええと……アレス様を、説得したい、です」

「何をどう説得するのですか」

「ロクサネさんとバアル様を応援しようって! 聖王様を守る将軍のアレスはかっこよかったって言います」

ロクサネが両眼を開いた後、額に手を当てて深く息を吐き出した。

「……内乱まで起こしてそれですむのかという疑問と同時に、それですむような気もして、わたくしはちょっと……やはりあなたとは合いません」

「えっそうですか? その、私は、ロクサネさんとこうしてると、お姉さんってこんな感じなのかなあなんて思ったんですけど……」

「あなたのような出来の悪い妹がいたら、わたくしの沽券にかけて教育し直します!」

ばんと手の平でテーブルを叩いてロクサネが怒鳴った。サーラは急いで背筋を正す。

「よろしくお願いします!」

「どうしてそうなるのです。いいですか、そのようなふざけた理由ではアレス様に会わせませんので、そのつもりで」

「わかりました、考えてきますね。あの、明日もきていいですか」

「そんなに簡単に正妃の宮にこられるわけがないでしょう。……わかりました、わたくしがそちらに参ります。アレス様の屋敷の使用人の顔も見ておきたいので」

「掃除して待ってます!」

「なぜ屋敷の女主人であるあなたが掃除をするのです」

「誰もしてくれないので」

片手で顔を覆ったロクサネにため息を吐かれた。何かおかしなことを言ったらしい。

「もういいです。ではまた明日。聖竜妃への挨拶だけは欠かしてはなりませんよ」

「はい……」

サーラを見るだけで牙をむく竜の姿を思うと、気持ちがさがった。アレスが魔竜――水竜を閉じこめていたせいで、その妻であるサーラも嫌われている。原因は知らずとも神の娘が拒まれているのは周知の事実でもあった。

だが水を水竜に頼るようになったこの国で、嫌われたままでいるのは非常にまずい。水竜は聖竜妃というこの国で一番高貴な女性でもある。謝意を示し続けることが、バアルがサーラに課した唯一の日課だった。

「頑張りなさい。聖竜妃の許しが得られれば、アレス様を含め、周囲のあなたへの当たりも少しは柔らかくなるでしょう」

「……え、ひょっとしてそのために……?」

「どういうことだと思っていたのです」

「悪いことをしたから、謝りに行きなさいっていうことだと」

ロクサネが沈黙したのち、やっぱりため息を吐いた。

「……打算がなくてとても正しいのですが……あなたはやはり、もう少し考えて行動なさい」

「う……はい。頑張ります」

「よろしい。では、帰りなさい。誰か、サーラ夫人のお帰りです。見送りを――」

がん、と大きな音が出入り口で響いた。そのままずるずると足を引きずるような、足音が聞こえる。

その音以外、恐ろしく静かだ。まるで、誰もいないみたいに――はっと、サーラは菫色の瞳を持ちあげた。

「聖なる結界……? ど、どうして」

「バアル様の結界では?」

「違います、バアル様以外の誰かです。と、閉じこめられてます、私たち……!」

ロクサネの腕をつかむと、ロクサネが左手の薬指を見た。とたん、ばちりと薬指の指輪から光が弾ける。

「……バアル様と連絡は……とれないようですね」

その指輪にバアルの力がこめられているのは、サーラでも見て取れた。それが遮断されているということは、相手の力が聖王の力と同等か、それ以上であることを意味する。

そんな人間がこの世界にいるとしたら、それは神の娘か、聖剣の乙女か――それ以上に、ずるりずるりと、ゆっくりこちらへ向かってくるその音は、なんなのか。

「サーラ」

扉が開いた。知らず身を寄せ合っていたロクサネが、サーラの肩を抱く。

そこにいたのは、変わり果てた夫の姿だった。

「そこにいる、のか。俺の――神の娘」

焦点の合わない目で、アレスが虚空に手を伸ばす。目が見えていないのだ、とわかった。うまく体が動かないのか、左足を引きずって、出入り口から壁をつたい、手を動かす。

「どこに、いるんだ。返事を、してくれ。サーラ」

「……!」

ロクサネに口を覆われた。同時に、ロクサネがゆっくりと音を立てないよう、アレスをさけながら出入り口を見る。

「ここから、逃げられるんだ。逃げよう。一緒に」

「……」

「やり直そう。俺を、捨てないでくれ。いるんだろう、治してくれ。お前なら、できる。ここから逃げて、いや、違う」

返事をしてはなりません、耳元でロクサネにささやかれた。ごくりと唾を飲んで、頷こうとして――見てしまう。何も見えていないアレスの目から、一筋、落ちたもの。

「俺を、捨ててくれ」

足を止めてしまった。きっとロクサネも、振り向いてしまった。

「答え、ないでくれ。だめだ。俺を助け、助けるな。悪かった。悪いことなどあるものか、俺は、正しい。負けたのなら、それでいい。殺せ。神の娘。お前は妻だ。神の娘になった。正妃にする。ロクサネ、お前ではない。ふさわしい、神の娘に、ふさわしい俺に」

壊れた機械のように単語だけを羅列するアレスに、体が震えた。

「お前が神の娘なのに、俺はどうして、王に、なれない」

ロクサネも息を殺したまま、身動きできないでいる。

「助けてくれ、助けるな、声を出すな、つかまるな! それだけは、それだけはだめだ、違うそうじゃない、これ以上、サーラ、助け、一緒に行こう、違う、さあ」

手を伸ばしたアレスがぐるりとこちらを見た。目が、合った。

「逃げろサーラ、俺から!」

ロクサネを突き飛ばして、アレスに向けて駆けた。その胸に抱きつく。突き飛ばされて壁にもたれかかったロクサネが叫んだ。

「サーラ! 戻りなさい……っあなたはまた!」

「裏切りません!」

アレスの左足が輝く。転送魔法だ。どこかへ連れて行かれる。やはり、狙いは自分だ。ぐっと拳を握って、ロクサネにもう一度叫ぶ。

「待っててください! 助けて、戻ってきます。説得します!」

「何を……! その男は正気ではありません!」

わかっている。わかっているけれど、涙を流し、呆然としているその目に向けて、サーラは微笑む。

「守ろうとしてくれて、ありがとう」

今度は自分の番だ。

世界は救えなかったけれど命は賭けられないけれど、きっと。

すまないとその唇が動いたのはきっと嘘じゃない。

「戻りなさい! あなた達がふたりして消えたら、もうかばえない――」

「書斎の引き出しの、二重底。バアル様ならきっと、あけられます」

あとはお願いします――光の濁流に呑まれる前に、その言葉は届いただろうか。

光がやむと、そこはもういつもの自分の宮だった。

「ロクサネ様? 先ほど、何か物音が……転ばれたのですか!?」

「――なんでもありません、さがりなさい」

ぐっと唇を噛んだロクサネは壁によりかかっていた姿勢を正し、渋る女官達を追い払って深呼吸する。

何もなかったように部屋は静まりかえっていた。けれど、夢であるはずがない。

ぐっと拳を握って、ロクサネは左手の薬指に触れる。

(あの子は、本当に考えなしに……どうしてあんなときだけ)

神の娘の顔だった。清々しいほどまっすぐに、夫に手を伸ばすその横顔が。

『あ、あー……ロクサネ』

でも自分も人のことは言えないだろう。夫の声を聞いた途端、安堵する自分には。

「今すぐわたくしの所へおいでいただけますか。大至急です」

『いいか、余は決してさぼっていたわけでは』

「サーラが連れて行かれました」

一拍あいて、バアルの声が王になる。それにつられて、ロクサネは正妃になるのだ。アレスがサーラを神の娘にするように。