作品タイトル不明
13
セレナがセドリックのもとを訪ねる日時はいつも決まっている。週に一度、皇城が寝静まった深夜だ。監禁場所である西の塔へと向かう道は、驚くほど誰もいない。
その日その時間だけ見逃されているのだと気づいたのは、いつだったか。
ため息が出た。第二皇子に接触する者をあぶり出すだけの道は静かで、いつも物思いに耽ってしまう。
たとえばこれからのこととか、よくない方向に。
(あの第二皇子、本当にもう皇帝になる気がないのね……いつまでこの仕事すべきかしら)
引き際は大事だ。
少しも嬉しくないが、今のセレナはアイリーンという次期皇帝側にも使い勝手を見こまれている。身の振り方を選べる時期を見誤るわけにはいかない。
だが、アイリーンはセレナをこの状況に叩き落とした本人である。
その下でこのまま働くのは癪だった。今だっていいように使われて腹立たしいのだ。
だが――潮時なのではないか、と、ふと思うときがある。
ここまでだろうという自分の限界の現実的な見極めであり、諦めだ。上でも下でもない、中の中くらいの男性を若いうちにつかまえて、それなりの生活を送る。それが幸せだと大体の女達は笑うけれど、大半がただの慰めだ。もしもっと金があって、時間もあって、それだけの能力があって、環境もあって、それでもその男を選んだのかと問われて、頷く女などおそらくいないだろうに。
(でも、あの女なら頷くかも)
一番嫌っている女が一番自分が憧れた生き方をしているなんて、皮肉だ。それに、その女につかえているあの侍女も、それでもその男がいいと頷くかもしれない。
肩の上で切りそろえてしまった髪の先に指を伸ばす。短くなってしまってから、長さを確かめるようにそうする癖がついてしまった。
本当は、ここまでばっさりいかなくてもよかった。短くなってしまったのは一部だけで、うまく隠して伸ばしていく方法もあったのだ。でも、ごめんと真剣に謝るどこかの馬鹿がうっとうしかったので、目の前で潔く切ってやった。
(あのときの、あの顔)
この世の終わりを見たような表情を思い出して、ひとりで噴き出してしまう。長い髪の女が好みだったならざまあみろだ。よほどショックだったのか、「友達を作れ」とか「悪さをしてないか」とか散々つきまとっていたオーギュストは、ここ最近、さっぱりつきまとわなくなった。何か言いたげによくこっちを見ているが、それだけだ。
この間、やっと話しかけてきたと思ったら、今日はいい天気だなと言われた。抱き締めた女に言うことがそれかと冷たい目で無言をつらぬいたら、すごすご帰って行った。
やればできるかと思ったのだが、勘違いだったらしい。少し頑張った程度でこちらが甘くなると思ったら大間違いだ。
思いどおりになってなるものか。――不思議なことに、オーギュストのことを考えると、気持ちを立て直せる。あの男に好かれようとして、惨めな思いをして、そして二度と同じ思いをするものかと歯を食いしばった、そのことを思い出すのだ。
つかみとれ。選ばれるのではない。選ぶのだ。自分の未来を、自分で。
「セレナ・ジルベール様」
もう誰も呼ばない伯爵家の名前を告げられて、足を止めた。
燭台の蝋燭が、石畳の長い回廊の奥を照らす。女だ。――今、エルメイア皇国を騒がせている女王試験で、アイリーンの罠にはまらず残った候補生。
次のハウゼル女王に、いちばん近い少女。
「グレイス・ダルク様」
「私をご存じなのですか?」
「――それは、ええ。私は皇城に勤める召使いです。クロード様の愛妾候補としておつかえするよう、申しつけられておりますので」
無難な返事をすると、近くまでやってきた女が眉をひそめた。影が濃くて細かい動きは見えないが、憐憫を感じる。
「ジルベール伯爵家のご令嬢が、そんなふうにおっしゃるなんて……」
なぜこの女は、セレナの出生を知っている。
調べるのはそう難しいことではないかもしれないが、それを調べたことが不気味だった。ミルチェッタを騒がせたアシュタルトの事件を把握しているのは不思議ではないが、そうであるならばどうして自分なんかに話しかけるのか。
「いえ――過去の話をしてもしかたないですね。実は、女王陛下からあなたに伝言を言付かっています」
「女王……陛下……ハウゼル女王国の?」
「ええ。あなたの力を見込んで」
違う、調べたのはアシュメイルの事件のほうだ。
そう直感して、あとずさった。
それを見て、グレイスが悲しげに眉をよせる。
「警戒するのは当然です。ですが、私たちはあなたの敵ではありません。ただ、あなたを迎え入れたいのです。ハウゼル女王国に」
「は? 何言ってんの?」
突拍子もない話に、召使いという立場を忘れて言い返してしまった。
だが相手は不快に思った様子もなく、話を続ける。
「あなたの他人の力を増幅させるというその能力。正しく使えば皆にすばらしい未来をもたらします。まさに聖女と呼ぶにふさわしいでしょう。あなたが望むのであれば、女王候補にすることもできます。あなたには十分に女王の資格があると、女王陛下はお考えなのです」
「……じょ、女王って。冗談でしょ。私、ハウゼル女王国なんて行ったこともないのよ」
「出身や出生は関係ありません。大切なのは世界を愛する心です」
「あんた、女王になりたいんでしょ? なのに私に声かけて、わざわざライバル増やそうなんて、どう考えてもおかしいじゃない」
「いえ。私は女王になりたいのではありません。運命がそうするだけなのです」
うさんくさい。そう思っているのだが、その場から足は動かなかった。
「それに女王になれずとも、候補生の中から女王の補佐が選ばれます。もし私が女王になれたら、私はあなたを補佐に選びたい。そう思って、誘っているのです」
「……」
「もちろん、無理にとはいいません。ですが……あなたはきっと、これからひとりでは生きていきにくくなるでしょう」
「どういう意味」
乾いた声でそれを問い返すと、グレイスは痛ましそうな顔をした。
「あなたの力を無理強いしてでも欲しがる輩がこれから大勢、現れるでしょう。もう時間の問題です。まして体液だけでも効果が見込めると知られれば――口にしたくありませんが、どんな目に遭うか想像はつくでしょう?」
「……」
「あなたを殺してでも消したい輩も出てくるでしょう。そのとき、あなたを守れる環境がここにはあるとは思いません。魔物の力を強大化させる存在だと危険視され、消される可能性もあります。それとも……ここに何か未練はありますか?」
「未練なんて……」
口ごもっていると、そっとグレイスに手を取られた。
それだけでなぜか何かを盗み取られたような、そんな気持ちになる。
「……ああ、やっぱりそうです。あなたの今は正しくない」
「なんの話よ」
「あなたは、聖剣の乙女に見初められ、ミルチェッタを半魔の魔物から救う、救済の聖女になるはずだった」
息を呑んだ。
「聖騎士となる彼と結ばれて、叔父一家からジルベール伯爵家を取り戻し、幸せになるはずだった」
それは――一度は夢見た、最高の未来。
「大丈夫です。まだ間に合います。彼のためにも、今度こそ正しい選択をしましょう」
その菫色の瞳は確信に満ちていた。アイリーンやリリアのように、未来を見透かす目だ。
(そういえばハウゼル女王国の女王は未来が見えるとか聞いたけど……でも、こいつはまだ女王候補でしょ?)
だが選択肢は、いつだって思いもよらないところからくる。そしてそのときにつかまなければ、逃す。
それに目の前のこの女は、ただの女王候補生ではない。それはアイリーンやリリアを見てきたセレナの直感だった。
「……私に、何をさせたいの」
にこりとグレイスが笑う。親しみがこめられた笑顔だ。
「まずはアシュメイル王国のサーラ様を救いましょう」
「……サーラって、あの、神の娘のなりそこない?」
「彼女はなりそこないなどではありません。間違いなく、神の娘です。運命がねじまがってしまっただけです。そして魔王を斃しましょう。正しい運命に導くために」
穏やかな口調なのに、どうしてだか背筋に冷や汗が浮かぶ。片頬だけでどうにか笑い返したのは、意地だった。
「魔王を斃す? エルメイア皇国と戦争でもするつもりなの」
「心配しないでください。もうすぐこの国は、それどころではなくなります」
魔王は魔物になるでしょう、とこともなげにその女は言った。
「大丈夫です。クロード・ジャンヌ・エルメイアの運命は正しく動いています。私を拒んだのがその証です。ふふ、そう。グレイス・ダルクを選ばないのは正しい運命なのです」
女王試験の話ならばおかしいのではないか。だが女の顔は、これ以上ない愉悦にゆがんでいた。
「呪いはこれ以上なく正しく、魔王を縛っている。魔王はもう一度目覚めたそのとき、運命を理解するでしょう。聖剣の乙女がこの国を作ったことを祝う、建国祭で」
ふたつ、蝋燭にゆらされて重なった影が濃くなる。
あとずさろうにも、手をつかまれてもう動けなかった。
「さあ、正しい未来をつかみましょう。神の娘が選んだ英雄が神王になり、あなたの愛を得た聖騎士が生まれ、聖剣の乙女が魔王を斃す世界に。私たちならきっとできます」
戻れなくなる、時計塔の上でそうあの女は言った。
だからもう、あともどりはできない。