作品タイトル不明
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王、という呼びかけに意識がふっと浮上した。
「王。起きる時間だ」
「……ベルゼビュートか」
ほっとしてクロードは体を起こす。背もたれになってくれていたフェンリルが気づいて体を起こした。足下でその子ども――リボンがふあっとあくびをする。一緒に寝ていたらしい。
目をこすると、懐中時計を持ったベルゼビュートが顔をしかめる。
「うなされていた。……もう少し寝たほうがいいのではないか、王」
「ああ……大丈夫だ。お前達の顔を見たら安心した」
すりよってきたリボンの頭をなで、まるで周囲を守るように居並んでいる魔物達に微笑みかける。
芝生に木陰を作っている木のひとつから、アーモンドが飛んできた。
「魔王様……オ疲レ、大丈夫?」
「魔力の不調のせいだろう。あと最近、あまりにひどかった……ろくに眠ってない……」
「王。――本当に、大丈夫なのか」
ベルゼビュートが芝生に膝をつく。
「父君の言うとおり一度、魔界に戻られるべきでは」
「大丈夫だ、ベル」
魔物に隠しごとはできない。わかっていて、クロードは言い聞かせる。
「魔界に戻るのは、人間に戻れなくなったときだ。そう決めている」
「……わかっている。だが……だが」
泣き出しそうなベルゼビュートの頭を抱き寄せる。
二度ほどその肩をたたくと、ベルゼビュートは唸るような声で言った。
「――アイリーンには言うべきだ、王」
「ベル。僕の命令がきけないのか?」
「そんなことはない。だが、聖王がこの間の呑み会とやらで、キースにもゼームスにも護衛共にもアイリーンの下僕共にもばらしてしまったんだ。……王はもう、運命の相手が誰か知っているのだろう?」
「やはり聖王は息の根を止めるべきだったな」
安易に不安などこぼしてしまうものではない。反省しよう。
「なのに自分だけそのことを知らないと知ったら……あの女は……」
ぶるっとベルゼビュートの身震いが伝わった。
「何をしでかすかわからないぞ、王……! 魔界を滅ぼしにくるかもしれない」
「……。変な信頼があるな、アイリーンは」
感心していると、他の魔物まで必死に言いつのり始めた。
「オ菓子、オ預ケサレル」
「家、作ッテモラエナイ……!」
「ハゲニサレルヤモシレヌ、王!」
「ああ――わかった、わかった。大丈夫だ。アイリーンには早いうちに僕から言う」
そう言うとほっとしたように魔物達が顔を見合わせた。心配していたらしい。
(とはいえ、言うとしてもどこから言えばいいか)
魔王である自分には、運命の相手がいる。それはアイリーンではない。彼女はかつての自分――ルシェルの妻だった人間と、同じ魂を持っていないから。
それだけの話なのだが、厄介な誓約のせいで気が重い。
そもそも誓約をたてたのは自分ではない。過去の魔王だ。だから会いたいとも思わない。さいわいにも、あの聖王様の耳飾りのおかげで魔力も安定し、本体からの干渉も激減した。
怒りは感じるが、かといって本体が求める魂を持つ女性に出会いでもしたら、何が起こるかわからない――そう考えて、ふと足を止めた。
人間の女がいる。
うしろからついてきていたベルゼビュートがはっと身構えた。
(僕の結界をすり抜けた)
前にも同じことがあった。
リリア・レインワーズ――異母弟の婚約者が結界をすり抜けてやってきたときだ。それと原因が同じならば、魔に対する抵抗力が強い聖なる力の持ち主だ。聖王などそのせいで好き勝手に古城に出入りしている。
嘆息すると、それが聞こえたのか、人間の女が振り向いた。
黒髪が、木陰に差しこんだ夕日の光のなかで、さらりと流れる。
どこかで見たような郷愁の光景――ぐわんと頭の中がまざった。
耳の中で声が響く。愛しい女の声が呼ぶ。
「すみません、迷いこんでしまって……!」
すまない。迷いこんでしまったようだ。
「あの、ここはどこでしょうか。あなたは?」
ここはどこだ? 君は?
「……僕、は」
誰だ。
「王!」
ベルゼビュートの呼びかけにはっと我に返った。それで自分がその女の頬に手を伸ばしかけていたことに気づく。
クロードが手を拳に変えた先で、少女が大きな菫色の瞳を見開いた。
「王……ひょっとして……クロード様ですか……?」
「――君は……ハウゼル女王国の、女王候補生だな」
「はい……! ああ、よかった……お会いできて。きっと、運命ですね」
運命。愛しい女との約束。
いつか未来で結ばれよう。そう賭けた。だから見つけろ、さがせ、彼女の魂を。
その誓約を果たすように、その左手がクロードの手に触れる。
その途端に――どくどくと脈打っていた心臓が、静まった。自分でも驚くほどに、冷めた。
「あ、申し遅れました。私――」
「……さわらないでくれないか」
この女ではない。
静かにクロードはその手から自分の手を取り戻す。
「あ……すみません、つい」
「女王試験のことは聞いている。だが、僕はアイリーン以外の女性を妻にしないし、愛妾をもらうつもりもない」
その返答に、少女が困ったように眉をひそめる。だが、心が痛むことはなかった。
「女王にもそのように伝えて、女王試験の内容を変えてもらうつもりだ」
「女王試験の内容を……ですか」
「前例のないことだとわかっている。だが君にとって悪い話でもないだろう。好きでもない男の妻をめざす必要はない」
「わかりました」
思ったよりあっさりと受け入れられてしまい、逆に困惑する。
「反対しないのか?」
「はい。私は、運命を信じてますので。それに、クロード様を困らせるのは本意ではありません。では今日は、これで失礼致しますね。――その、どちらへ行けば皇城につくかだけ、教えていただけますか?」
「アーモンド。案内を」
「ワカッタ!」
ばさっと翼を広げたアーモンドが空を飛ぶ。少女はぺこりと頭をさげて、そのあとを追おうとして、はっと振り返った。
「あの、自己紹介を忘れるところでした。私の名前は」
「知っている。グレイス・ダルクだろう」
それはきっと、彼女が言うところの運命の名前だ。
「あ、ご存じだったのですね。では――また」
また会えると信じて疑わない笑顔で、少女が頭をさげる。
その背中が去ったあとで、息を吐き出そうとして、くらりとめまいがした。よろめいた体をベルゼビュートが受け止めて叫ぶ。
「王! 王、大丈夫か!?」
「――気が抜けただけだ、ベル。そんなに騒がなくても大丈夫」
「だめだ! キースを呼べ、急げ!」
「きゅ、きゅーきゅきゅー!」
「ウォルト、カイル! 何ヲシテイル、コイ、オ助ケシロ!」
「エレファス! 返事、エレファス! スキスキダンス、サセル!」
「……だから大したことはないと言っているのに」
周囲の魔物まで騒ぎ出してしまい、クロードは嘆息する。これは有無を言わさぬ寝台直行コースだ。
(まあ、いいか。アイリーンもきているようだし)
魔物達が大声で人間に助けを呼ぶこの光景が、正しくなくても願った未来そのものだ。まるで夢のようだ――そう思うと、眠気まで出てきた。
あくびをかみ殺し、魔物達をなだめながら古城に入る。
耳元の飾りに、少しひびが入ったことには気づかなかった。