作品タイトル不明
95.皇帝の照れ隠し
「……」
夜、宮殿の「深い」場所にある一室。
俺はテーブルを挟んで、一人の美女と向き合ってソファーに座っていた。
俺の目の前で、女の姿――つまり本来の姿になったイシュタルがわかりやすく絶句していた。
目を見開き、口もぽかーんと開け放って、そんな「信じられない」って顔で固まっている。
後宮の妃だか皇后だかがすんでいるような豪奢な部屋の中に似つかわしくない、めちゃくちゃ間抜けな表情だった。
一方で、そんな表情でも彼女は綺麗だなって思った。
イシュタル、本来は歴史上もっとも美しい女の名前。
俺は彼女に最初にであった時、皇帝の男装をしていたのにも関わらず「美しい」とおもった。
だから彼女に使徒にする時に「イシュタル」の名前をつけた。
そんな彼女が、美しくも間抜けな顔で固まっていた。
しばらくして、彼女は一言。
「信じられない」
と搾り出した。
「わかるよ、僕もイシュタルのように他人からこんな話を聞いたら信じられなかったと思うよ。太陽の代わりにもうひとつの太陽を助けて、夜を取り戻したなんて」
俺は肩をすくめて、笑いながら言った。
「自分でも言っててなんじゃそりゃ、って感じだもん」
「でも……すごい。だって実際に今夜になってる」
イシュタルはそう言い窓の外を見た。
王侯貴族か大商人くらいにしか使えない、透明度の高いガラスの向こうには夜が、なんの変哲もない夜の景色がひろがっていた。
その何の変哲もないが、ここしばらくの騒動から考えてものすごい事なんだと俺も思う。
「念の為にこれは中間報告って言うか、状況報告だから」
「どういうことなの?」
「完全に解決してはいないんだ」
「……そうね、そうだわね」
少し考えて、相づちを打つイシュタル。
口調が完全に女口調で、前はこの姿でも男口調、皇帝口調だったから、かなりすごい変化だと密かに思いながら、続ける。
「それでね、イシュタルの立場だと状況をちゃんと把握しなきゃダメだろうって思ってね」
「私の……ため?」
「うん。あっ、もしかして迷惑だったとか?」
「う、ううん!」
イシュタルは目をパッと見開き、慌てた様子で首を振った。
「たすかる! すごくたすかる!」
「そう?」
「ええ! ……本当に助かるのだ」
イシュタルは途中でいった言葉を切って、深呼吸して、ソファーの背もたれに背中を預けて。
空気を、口調ととも一変させながら、言った。
「天文官どもがまったく当てにならない今、マテオからのその情報は本当に助かっている。知っているかマテオ」
「何を?」
俺はきょとん、と首をかしげつつ聞き返した。
この聞き方じゃ何を聞いてるのかもわからないから、「何を?」以外の返し方はなかった。
「何人かの大臣がな、状況は全て解決した――」
「うわぁ……」
俺はげんなりした。
そんな楽観な話が宮廷内で出てたのか、と心底げんなりした。
が、話には続きがあった。
「――そうなったのは皇帝のおかげ、つまり余の威光が天まで届いて、いや? 威光に天が感動した、だったかな?」
イシュタルは首をひねりながら、思案顔で言い直した。
詳しく覚えてないのはわかる、俺でもそんな話を聞いたら馬鹿らしくて覚えてらんないとおもっただろう。
「ともかく、だ。それで万事うまく収まった――と言うのだよ」
「……うへえ」
さっきよりも更にげんなりした。
途中まででもげんなりしたけど、最後まで聞くともうどうしようもないくらいげんなりした。
「ふっ、よくある話ではあるが、まさか余がそれを体験することになろうとはな」
「よくある話? ああ、そういうごますりのことだね」
「そうだ」
「歴史書にたくさん書かれてたもんね。天候がいいから豊作になったのに、その天候がよかったのは皇帝のおかげとか」
「そう、そうだよ。枚挙に暇がないほど史書に書かれているものだが、まさか余にそれをやってくるとはな」
「ゴマをするのも大変だね、普通にしてたらそんな発想はでてこないよ」
「どうだろうな」
イシュタルは呆れ混じりに笑って、肩をすくめた。
「世の中にはそういう事を考えるのがうまいものもいる、日夜それだけを考えていればパッと出てきもする」
「そうなんだ……で、そういう人が大臣で大丈夫なの?」
「水が清すぎても魚は棲めぬ」
「その言葉はご本で見たことがあるけど、本当にそうなのかな」
「そうだな、わかりやすいところでいえば……」
イシュタルは少し考えて、真顔で続けた。
「もし有能で生真面目な者がいるのなら、多少無能を混ぜてやった方が『自分が頑張らねば』と気を引き締めてくれるものだ」
「おー……」
その発想はなかった。
なかった、けど。
イシュタルの言いたいことはわかる。
たぶんあれと同じだ、「この人は私がいなきゃだめなんだわ」とよく似た状態をわざと作り出してんだろう。
なんというか、さすがだ、と思ってしまった。
「話がそれたな。ともかく、マテオがもたらした情報は非常に助かる。礼を言おう」
「ううん、僕もできる限り、早く完全に解決――」
「そうだ! これは褒美を与えねば!」
「――するように、って、ええ!?」
俺はめちゃくちゃ驚いた。
なんでいきなりそんな話になるのかわからなかった。
「ど、どうして? まだ解決してないんだよ」
「うむ、それは分かっている」
「だったら――」
「大きな戦のまっただ中であっても、それまでの働きに応じて恩賞を与え、士気を維持するのは大事な事なのだ」
「あっ……うん、それは……そうだね」
イシュタルはさすがだった。
短い、簡単なたとえ話だったけど、それだけでめちゃくちゃ納得させられた。
「であろう? だからマテオには何か恩賞を与えねばならんのだ」
「でも! あの、僕が今回のことをやったのは内緒にしてほしいな。さすがにちょっと」
「むろん、それを公言するつもりはない」
「え? でもそれじゃ恩賞を与える理由はないんじゃないの?」
「マテオは少し勘違いしている」
イシュタルはそう言って、ふっ、と笑った。
それは、何度も見たことのある笑みだった。
「帝国の全ては皇帝の一存で決めてよい、そして皇帝とは余のことである」
「そ、そっか」
俺は微苦笑した。
この言い回しを持ち出したらもう何を言っても無駄だな、と思った。
イシュタルはこの言い回しを好んでいて、何回か彼女の口から聞いた事がある。
その割には自分の性別と、自分を縛り付け ていた(、、、) 鎖の事を一存でどうにかしないのはどうしてなんだろうとちょっと思った。
「さて、どうしたものか。余に娘……いや適齢の妹でもいればよかったのだがな」
「妹がいたらどうしてたの?」
「むろん、マテオに降嫁させているところだ」
「えええええ!?」
つまり俺の嫁にするってことか?
「何を驚くことがある。それが皇室からの最高の恩賞であろうが」
「あっ……そうだった……」
イシュタルにそう言われて、俺は本で読んだ知識を思い出した。
王侯貴族にとって、もっとも関係性を強く結びつけるのは政略結婚なんだって、何かで読んだことはある。
それは、ルイザン教の教義にもあるが、結婚というのは神の恩恵だとされているからだ。
だからルイザン教の信徒は本来離婚はしてはいけないけど、庶民ではそれほどきっちり守られていない。
代わりに、権威付けとして利用したい王侯貴族はそれを強く守っている。
つまり、一度結婚してしまえば、両家の関係性はこの上なく強化され、強く強く結ばれるということだ。
その片一方が皇室なら、確かにイシュタルのいうとおり最高の恩賞だろう。
「あれ?」
「どうしたマテオ」
「それは分かったけど……どうして娘じゃだめなの?」
俺は不思議がって、イシュタルをみた。
この話、皇室がやる分には姉妹よりも娘の方がいい。
というのも、姉妹なら「姉」――つまり「義理の兄」となる可能性がある。
それが「娘」なら「義理の息子」にしかならない。
皇室を尊ぶ観点からしたら、むしろ「妹……いや娘でもいれば」の方が合っているとおもった。
だからそれを聞いた。
すると、イシュタルはちょっと眉をひそめて、何故か顔を背けてしまい。
「母になっちゃったら出番なくなるじゃない……」
「え? 母がなんだって?」
なんかつぶやき、顔を赤くしたが、それがものすごく小声だったから、最後の方はかすれてよく聞こえなかった。
「な、何でも無い。そ、そう! 娘より妹の方がより恩賞の重さがあるというだけだ」
「あ、うん。それはそうだけど」
俺は小さく頷いた。
確かにそれはその通りだ、その通りだけど……。
なんかちょっと引っかかりを覚えて、イシュタルを見つめる。
本当に言いたかったのはなんだろうか、と探るような視線を向けた。
「よ、よし、決めたぞ」
「え?」
「表に出せぬ実績ならありきたりに金を使うしかない。ただの金銭なら好きなときに好きに与えても何も不思議はない。よし、ならば金貨五万――いや十万枚だ」
「えええええ!?」
「き、決めたのだ。そもそも夜を取り戻したのだ、表に出せないだけでそれに値する功績なのは間違いない!」
「でも――」
「決めたのだ!」
イシュタルは強い語気で押し切った。
うーん、なんだろう。
イシュタルの言う事は間違ってない。
表に出せないから褒美はお金を使うしかない、そして日照時間を戻したのなら「領主」にとってはかなり大きな事。
それは間違ってないんだけど。
「よし! ならばすぐに運ばせよう。十万なら 内幣(、、) でどうにかなるだろう、うん!」
立ち上がって、真っ赤な顔でそうまくし立てるイシュタル。
なんか、恥ずかしさをごまかす行動にも見えるんだけど。
「まさかね」
恥ずかしさをごまかすために金貨十万枚はないだろうな、と俺は芽生えかけた馬鹿げた考えを頭から追いだしたのだった。