作品タイトル不明
69.皇帝の病
リビングの中、訪ねて来たじいさんが深刻な表情で言い放った。
「小童が倒れたらしい」
「なんだって!?」
いきなりの事に、俺は驚いてパッと立ち上がった。
勢いよく立ち上がったせいで、ソファーがぎぃ、と床を擦ってしまう。
「おじい様、どういう事なの?」
「くわしくは分からん、ただ倒れたのは間違いないらしい」
「……ちょっとみてくる」
「待てマテオよ」
立ち上がったまま、水ワープのためにリビングを出ようとした俺を、じいさんが真顔のまま呼び止めた。
「行ってはならん」
「おじい様? どうしてダメなの?」
「小童の使いの者からの伝言だ。病の詳細が分かるまではマテオに来ないで欲しいとな」
「そうなんだ……」
駆け出そうとした勢いがしぼんだ。
病人を下手に見舞ってはいけない、というのはわかる。
「まあ、さほど気にするほどの事ではないのじゃ。こわっぱは皇帝。腕利きの御典医が山ほどついておる」
「そっか、そうだよね」
俺は頷き、納得した。
じいさんの言うとおりだ。
皇帝のまわりには、世界一と言っていいほどの名医がついているんだ。
どんな病気だろうと大丈夫――。
の、はずだった。
☆
「意識不明!?」
数日後の夜。
深刻そうな顔で「話がある」といって来たじいさんに連れられて、二人っきりで書斎にこもった。
そしてじいさんの口から出てきたのは、皇帝――イシュタルの病状が深刻だという内容だった。
「一体何があったの?」
「アテナイじゃ」
「アテナイ?」
「原因不明の奇病の一つじゃ」
「奇病……どういう病気なの?」
「男にしかかからぬ病気じゃ。かかったものは昏睡状態に陥り、原因不明の汗を流し続ける」
「昏睡……汗……」
「それが約1ヶ月続き、その後けろっと治る」
「そうなんだ、じゃあ大丈夫なのかな」
「……」
「おじい様?」
じいさんの顔は深刻そのものだった。
その表情は、相対する人間に不安しか与えないような深刻さを孕んでいた。
「どうしたの? なにか……まずいの?」
「うむ。赤子の内に発症すれば大したことにはならん。昏睡をしていても、赤子は本能的に乳が口元にあればそれを飲み干す」
「……ッ。大人だとものが食べられない?」
「子供であっても厳しいのじゃ」
「そ、そっか……」
眉間におそらく深い縦皺が出来たのが自分でも分かった。
それは、すごく簡単に想像できた。
同じく昏睡する赤子と大人。
昏睡してても、液体が口にそそがれれば飲み干せるという光景は何となく想像がつく。
そして、赤ん坊なら、それがミルクだったら生きるのに問題はない。
元々赤ん坊の主食はミルクだ。
しかし、大人はそうはいかない。
液体のものしか口にしなかったら完全に栄養が足りなくなる。
一ヶ月もそれが続けば大変な事になるのは火を見るより明らかだ。
「医者どもがどうにかしているが、あまりよくないらしい」
「そんな……」
「それにしても、何故今になって……。大人になっての発症はほとんど無いはずじゃが……」
「……あっ」
「なんじゃマテオ、心当たりがあるのか?」
「う、ううん。なんでもない」
俺は手を振って否定した。
じいさんにそうは言ったが……たぶん俺のせいだ。
アテナイという病気、じいさんは「男にしかかからない病気」っていった。
同時に「ほとんど赤ん坊の時に」で、「何故今になって」っていった。
なぜ今になって。
皇帝の正体は女だった。
国でそれを知っている人間は俺を含めて五指にも満たないほどの超トップシークレットだ。
実は女だった皇帝は、アテナイにかかったことはなかった。
そして最近、俺の使徒になったことで、男の肉体になることができた。
男としてはまだ産まれて間もない――っていう見方ができる。
それで大人なのに、アテナイにかかった……のかもしれない。
つまりは俺のせいなのだ。
だったら、俺が何とかしなきゃいけない。
☆
「ということなんだけど、いい医者をしらないかって思って」
水ワープでやってきた、ヘカテーの屋敷、その応接間。
大聖女のヘカテーが俺と向き合って座っている。
俺を部屋に入れた後、流れるように下座に座ったヘカテーが、俺の話を真顔で傾聴した。
「そのようなことが……」
「そんなに驚いてるってことは、ヘカテーのところには情報が入ってきてないってこと? 陛下が倒れたことに関しての」
「はい。おそらくは……箝口令が敷かれているものだと思われます」
「そっか……そうだよね」
俺は小さく頷いた。
皇帝の奇病――確かにトップシークレットで箝口令が敷かれててもおかしくはない。
それでも俺はヘカテーなら、下手すれば皇帝よりも権力をもつ、ルイザン教の大聖女なら何か掴んでいるのかも――という期待を持った。
ヘカテーに持ってきた頼みごと――名医の紹介、という事に対する期待そのものでもある。
「あっ……大変失礼を致しました。医者ということでしたら、心当たりがございます」
「本当に?」
俺は身を乗り出すほど、ヘカテーの返事に食いついた。
「はい。ダガーという名前の医者です。ただ……」
「ただ?」
いいかけて、難色を示すヘカテー。
俺は眉をひそめて、「ただ……」の先を聞いた。
「性格にすこし……いえ、大分難がある人間です」
「そっか……でも腕は確かなんだよね」
「はい、それは保証します。わたくしが知る限り、間違いなく世界一の名医でございます」
「そんなにすごい人なんだ!?」
これにはさすがに驚いた。
俺がヘカテーのところに来たのは、こと「人」に限れば、彼女は俺が知っている人間でもっとも知識や情報を持っているものだからだ。
エヴァ達はそれぞれ空・海・大地に詳しい。
それらとは違って、人間でありルイザン教の大聖女であるヘカテーは人間に関する情報を多く持つ。
本人に情報が無くても、ルイザン教の大聖女という立場がおそらく世界最高峰のコネクションをもつ。
人捜しならヘカテーだ――という思いでここにきた。
そしてそれは、「世界最高の名医」という予想を遙かに上回る結果がかえってきた。
「その人は今どこに?」
「ご案内いたします」
「本当? ありがとう」
☆
ヘカテーの馬車に同乗して、彼女の屋敷から半日ほど離れたセイノーという街にやってきた。
中くらいの規模の街で、馬車の窓からパッとみた感じ――。
「本とか、……絵画? とかの店が多い感じ」
「はい。ここセイノーは『セイノー紙』の産地ですので、それを用いた商いが集まっているのです」
「そっか」
俺は頷きつつ、窓の外を眺め続けた。
確かによく見たら、本でも絵画でもない、紙だけを扱った紙問屋らしき店の存在も見られる。
紙の産地か……ちょっと面白いかもしれない。
紙に関する知識――を聞こうとして、思いとどまった。
今はそんな場合じゃない。
「ダガーという医者の家はこの近くなの?」
「はい、まもなく」
「うん」
俺は頷き、そのままだまった。
今はまずイシュタルの事だ。
知識はもっともっと欲しいけど、まずはイシュタル。
しばらくすると、馬車はセイノーの街をほぼ横断して、まったく人気の無い、寂れた区画にやってきた。
「到着いたしました」
馬車の前方から、御者のしゃがれた声が聞こえてきた。
「ありがとう」
俺はお礼をいって、自分から馬車を飛び降りた。
この手の馬車は踏み台なり階段なりを用意してくれるものだ。
現に、御者の男も御者台から降りて、踏み台をもって近づいてきていた。
俺は男から踏み台をもらって、それを設置した。
そしてヘカテーを見あげて、手を伸ばす。
「さあ」
「恐縮でございます」
ヘカテーはそう言って、俺の手を取って、馬車からゆっくりと降りてきた。
見た目は俺とさほど変わらない幼い少女なのだが、そこは御年とって317歳の大聖女。
ただ踏み台を――階段を降りるという所作だけでも絵になるくらいの、気品のある所作だった。
そんな彼女は地面に自分の両足でたつと、御者の男に向かって。
「この建物ですか?」
「はい」
「ご苦労――神よ、こちらへどうぞ」
「うん」
ヘカテーが先に向いた建物の方に、俺も同じように向いた。
生け垣がぐるりと敷地を取り囲んでいるタイプの家だ。
生け垣の向こうに見える建物はたいしたことが無くて、広いだけの農家風な感じの家だ。
家こそ平凡だが、敷地内はカラカの木が多く植えられていて、それがみな開花していて、薄紅色の花が咲き誇る幻想的な空間になった。
「医者の割りには風流な人間なのですね」
俺の横で、ヘカテーがしみじみとつぶやいた。
そんなヘカテーをつれて、馬車と御者をその場で待たせて、二人で中に入った。
敷地に入って、建物のドアの前にやってくる。
そして、俺はノックをした。
「ごめんください」
「はーい」
すぐに応じる声が聞こえた。
若い女性の声だ。
「女の人なの?」
「いえ、妹さんと二人暮らしと聞きます」
「なるほど」
俺は小さく頷いた。
ドアを開けて出てきたのは、二十歳になったかどうか――ってくらいの若い女性だった。
「あら? ぼくたち……何か用?」
女性はしゃがんで、俺達に視線の高さをあわせつつ、聞いてきた。
俺もヘカテーも「中身」は違うが、見た目は子供だ。
だから、俺は用意してきたものを取り出した。
懐から取り出したのは封筒。
それごと女性に渡した。
「ダガー先生に会わせてください。これ、紹介状です」
「あらあら」
女性は驚きつつ、紹介状を受け取った。
そしてそれを開き、中を見る――すると。
「こ、これって!」
さっきまで穏やかな表情だったのが、一変、驚愕して俺をヘカテーの顔を交互に見比べる。
渡した紹介状は、「ルイザン教大聖女」名義のものだ。
つまりヘカテーの紹介状だ。
本人は今俺の横にいるが、ヘカテーの見た目が大聖女とは、世間の人間は思っていないしわからない。
世間が知っている大聖女はあくまで、あの317歳で車椅子にのっている老人の姿だ。
だから、正式な紹介状を用意してもらった。
それをみたダガーの妹が驚いていた。
俺はちらっとヘカテーを見た。
ヘカテーは無言で頷いてきた。
やっぱりか。
「大聖女様直々の紹介状だなんて……キミたち、なにもの?」
死ぬほどびっくりして、俺達を見つめるダガーの妹。
彼女はどうやら、ルイザン教の信徒のようだった。