作品タイトル不明
65.メーティスの靴
「どうしたの陛下?」
「い、いや、なんでもない。うむ、なんでもないぞ」
何でも無いといいながらも、皇帝は思いっきりうろたえていた。
何でも無くはないというのは、三歳児が見てても分かるくらいのうろたえっぷりだ。
俺は少し迷った。
このまま突っ込むべきか、スルーするべきか。
「ま、マテオよ」
「うん? なあに」
「その運命の人とやらには……何をするのだ?」
「え? うん、そうだね」
俺は少し考えた。
やっぱりスルーした方がいいと思いつつ、当たり障りのない所を皇帝に話すことにした。
「名前をつける? かな」
「名前を?」
俺の言うことを不思議に思った皇帝は、うろたえがなりをひそめて、代わりに疑問の表情を浮かべた。
「うん、詳しい話は内緒なんだけど。運命の人には名前をつけなきゃいけないんだ」
「名前を、か。……新しい人生と考えればむしろ必然か」
「え? なんかいった」
「いや、なんでもない!」
皇帝がなにかぶつぶつ言ったのを俺に聞かれて、慌てて否定した。
「ちなみに、その女にはなんと名前をつけるのだ?」
「そういえば考えてなかった……どんなのがいいのかな」
俺はあごを摘まんで、微かにうつむき、考えた。
マテオになってからで得た知識の中から、相応しい物を選び出す。
「……イシュタル」
「イシュタル?」
「うん、歴史上、一番美しく、一番モテモテだった美人の名前。一瞬ちらっと見ただけだけど、すごく綺麗で……もっともっと綺麗になると思ったから」
「イシュタル……」
舌の上で転がすかのように、その名前をつぶやく皇帝。
俺はにこりと笑い、それを「確定させる」かのように頷いた。
「うん、イシュタル」
「イシュタル……か。素晴らしい名前だな」
「ありがとう」
「では、イシュタル探しの事は余に任せてもらおう」
「本当?」
「うむ、例の探し方をそのまま続けておくといい。三日以内に本人がそこに行くように仕向けよう」
「ありがとう! 陛下!」
俺は皇帝に心からの感謝の言葉を向けた。
地上最高の権力者、皇帝がその気になれば、もう見つけたも同然だ。
☆
夜。
四人目の使徒――イシュタルの件はひとまず皇帝に預けた形になったから、俺は水間ワープでヘカテーの所にやってきた。
「あれ? ここは?」
出てきた場所はヘカテーの部屋じゃなかった。
見慣れない場所だった。
目の前にはあの不思議な噴水のオブジェクト――マーテオの聖水がある。
俺はヘカテーが持っているマーテオの聖水を目印に飛んできたから、ここがどこなのか分からなかった。
直後――ガラガラガラという音とともに。
「え?」
「え?」
驚いたヘカテーの声がした。
声に振り向くと――俺も驚いた。
「へ、へへヘカテー!?」
現われたヘカテーは裸だった。
より正しく言えば湯上がり姿だった。
「ひゃう!」
「ご、ごめんなさい! また後で来る!」
俺は慌ててマーテオの聖水に飛び込んで、水間ワープで適当な所に飛んだ。
適当に飛んだ先は海の中だった。
海神の能力、水間ワープ。
慌ててとっさに飛んだ先は、一番イメージしやすい海になった。
海の中で、俺はパニックで高鳴った鼓動を抑える。
びっくりした……いや。
「あやまらなきゃ」
事故とは言え、ヘカテーの裸を見てしまったのは事実だ。
ちゃんと謝らなきゃ。
俺は安全をとって、一時間くらい海の中で頭を冷やしつつ、それからまた水間ワープでヘカテーの持つマーテオの聖水に飛んだ。
今度はヘカテーの部屋だった。
ヘカテーがちゃんと服を来た状態で俺を待っていた。
「神――」
「ごめんなさい!」
ヘカテーが何か言う前に、俺は先に謝った。
パッと頭を下げて、腰を九十度に折り曲げてあやまった。
「あ、頭を上げて下さい。謝られることはなにも!」
「でも、裸を見ちゃってごめんなさい。わざとじゃないんだけど、それでもごめんなさい。お願い許して」
「どうか、頭を上げて下さい」
俺は顔をおそるおそる上げた。
ヘカテーは半ばパニックになったかのような顔をしていた。
「えっと、許してくれる?」
「もちろんです! 怒ってなどいません。そもそもこのからだ、髪の毛一本血の一滴にいたるまで全てが神の持ち物。それをみたからと言って神が謝られることは何一つございません」
「そ、そうなんだ」
それはそれでどうなのかと思うが……うん、この事はこれ以上触れない方がよさそうだ。
若返ったヘカテーの体はものすごく綺麗だった。
その記憶を、頭の中から消そうとした。
「そうだ、ねえヘカテー。例の靴は今どこ?」
「ガラスのハイヒールでしょうか。それなら夜の間は厳重に保管をさせていただいておりますが」
「ちょっと持ってきてくれるかな」
「かしこまりました」
ヘカテーは頷き、使用人を呼んで、耳打ちした。
程なくして、使用人が複数人やってきて、「厳重」に相応しい態勢でガラスのハイヒールを護衛してやってきた。
「ちょっと大げさなんじゃないかな」
「そんなことはございません。神からお預かりしたものでございます。神ご自身の持ち物であれば聖遺物指定してしかるべきものでございます」
「お、大げさすぎる」
知らない女――イシュタルの持ち物だからそうじゃないけど、俺の物だったら聖遺物になってたって事か。
ヘカテーもメーティスも、ルイザン教の面々はこういう所が大げさすぎる。
「もうちょっと、エヴァみたいに気楽になればいいのに」
「承知致しました、おっしゃるとおりに致します」
俺の言うことを受け入れてくれたヘカテーだが、それもなんか違うと思った。
なんとなく「自由にしろ」という主人の命令に縛られた従者の話――寓話を思い出した。
「それよりも、それをちょっと貸して」
「はい、どうぞ」
ヘカテーは手を振って、ガラスの靴をガードしていた者達を下がらせた。
俺はガラスの靴にそっと触れた。
「ちょっと細工をしちゃおっと」
「何をなさるのですか?」
「実はね、四人目の名前が決まったんだ。イシュタル――ってつけるつもり」
「イシュタル……あの美女の?」
「うん」
さすがヘカテー、博識だ。
「このガラスの靴を落としていった時、ほとんど後ろ姿だけど、綺麗だって思ったんだ。それで、ヘカテー達も、名前をつけた時は見た目が変わったじゃない」
「はい」
「その人もきっと変わるし……たぶんもっと綺麗になるんじゃないかって思ったんだ」
「そうなのですか」
俺はガラスの靴を持った。
メーティス――かつてはカルラがやったのと同じように、ガラスの靴に強い気持ちを込める。
その靴を「イシュタルの靴」にした。
淡い光が俺の手から放たれて、靴に吸い込まれていった。
「うん、成功だね。これで二重の意味で、イシュタルにしか履けなくなったはず」
頷く俺。
例え足のサイズがあってても、本人じゃなかったら履けなくなったはずだ。
「そのような事まで……さすが神でございます」
「じゃあ明日からもこれを出し続けてね。たぶん、三日以内に現われるはずだから」
「かしこまりました」
これで、やるべき事はやった。
後は……相手が現われるのを待つだけだ。