作品タイトル不明
173.信者だからコストゼロ
「本当に……それをしてくれるの?」
俺はおそるおそる、といった感じでヘカテーに聞き返した。
大聖女ヘカテーが率いる世界最大の宗教、ルイザン教。
そのルイザン教が全力をあげて協力してくれるのなら間違いなく広がって、人々に受け入れられる。
それだけに、「本当にやってくれるのか?」という気持ちが大きかった。
が、それはどうやら心得違いだったようだ。
「是非、させて頂く」
ヘカテーはそういい、また静々と頭をさげた。
ここで言葉の微妙なニュアンスの違いに俺は気づいた。
「させて……いただく?」
「歯を健康に保て、は神のお望みであると認識しております」
「そうだね」
「神のお望みとあれば総力をあげて地上に棲まう人間全てに広めるのが我々の使命。その許可を何卒頂きたく」
「えっと……じゃあ、お願いしていい?」
「有難き幸せ……その」
「うん?」
ヘカテーの表情が変わった。
さっきまではいかにも神に仕えている大聖女って感じの表情だったのが、一変してもじもじと、何か言いたげだが言い出しにくそうな年頃の女の子って感じの表情にかわった。
ヘカテーは元々300歳を越える大聖女様、そんな彼女がこんな表情をするのはかなり珍しいことだ。
「どうしたのヘカテー。何か困ったことでもあった? 僕に出来る事なら何でもするよ」
「そんな! 神の手を煩わせるほどの事は――あっ、その、神に……その……」
言いかけたところで、自分の言葉のどこかに引っかかるポイントがあったのか、ヘカテーがよりもじもじしてしまった。
こりゃ本格的に何かがあるなと、そして彼女の口から言い出しにくいからこっちが背中を押してやらなきゃなと本格的に確信した。
「ヘカテー」
「は、はい!」
「話してよ、僕はヘカテーの力になりたいんだ」
「そんな! 神にそうおっしゃって頂けるなんて! あまりにも――あまりにももったいないお言葉!」
ヘカテーはそう言い、感極まった様子で身震いしだした。
「大げさだなあ。それよりも一体何なの?」
「あっ! 大変失礼致しました。実は、神がここしばらくのあいだ、いくつかの神跡をお示しになられましたため、各地から神への捧げ物とその申し出が例年に比べて3倍にふえております」
「そうなんだ」
そんな事になってるなんて思いもしなかった。
「もちろん、そのような事でいちいち神のお手を煩わせる訳には参りません。ただ、いくつかの『もしや』と思ったものを、私が実際に自分の目で確認し、その中の一つを是非、神に召し上がって頂きたいと思うものがございました」
「えっと……つまり、それを僕に食べさせてくれるってこと?」
「はい、是非召し上がって頂きたいです」
「嬉しいな」
俺は素直に思った。
ヘカテーは色々と忙しいはずなのに、それでも自分で出向いてまで何かを持ってきてくれたのが嬉しかった。
「是非食べさせて」
「ありがとうございます。ではこちらに運び入れてもよろしいでしょうか」
「うん、もちろん」
俺が頷くと、ヘカテーは俺にまず一礼してから、部屋の入り口の方に向かっていった。
ドアを開き、廊下の半身を乗り出して何か合図をおくった。
しばらくして、数人の男が何かをもって部屋に入ってきた。
男は四人、いずれもルイザン教の法衣を纏っている。
そこまではいいけど、そこから先が異常だった。
四人はいずれも樫をで作られた杖をもっていて、それを四人が囲んでいる中央に向かって突き出している。
突き出した杖から魔力が放出されていて、その魔力に支えられるような形で木箱が一つ、四人の間で浮かんでいる。
俺がそれに不思議がっていると、ヘカテーが俺の側に戻ってきた。
「お待たせ致しました」
「えっと……これは? なんでこんな大げさな事をしているの?」
「神に召し上がって頂くものでございます。収穫した瞬間から一切、人間の手に触れないように輸送してきました。もちろんこの箱も――」
ヘカテーはそういい、浮かんでいる木箱に近づき、手をかざして何かを唱えた。
次の瞬間、木箱がばらばらになった。
ばらばらになった木片は、その裏側に呪文らしきものがきざまれていた。
そこまでして持ってきた箱の中身はリンゴだった。
綺麗でおいしそうなリンゴだけど、やっていることの大仰さに比べたら普通すぎるって感じがしてしまう。
「そ、その箱は?」
たまりかねてヘカテーに聞いた。
「外部からの空気や湿気、さらには魔力などの影響を一切受付けない簡易的な結界でございます」
「ええ!?」
「これにより限りなく実っていた時の状態を保って運んで参りました。あっ! 摘果には私自ら、沐浴と祈祷の後に誠心誠意つとめさせていただきました」
「大げさすぎるよ! なんでこんなことをしたの?」
「鮮度が命、とのことでございましたので。収穫した瞬間にグングン鮮度が落ちるとのことで、果樹ごと輸送する方法も考えましたのですが――」
「それこそやり過ぎだよ!」
声が裏返るほどに突っ込んだ。
やり過ぎなのも怖いが、一番怖いのはヘカテーを始め、今でも魔力でリンゴを空中に保ったまま――人の手に触れないように空中に浮かしたままの四人もまったく当たり前のように振る舞っているのが怖かった。
「それでは神、これより召し上がって頂くための調理をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
「あ、うん。それはいいけど…………なにか特別な調理法がいるの?」
改めてリンゴをみた。
こうしてるとただのリンゴにしか見えないが、ヘカテーがものすごく真剣だから、何かあると感じてしまう。
そしてそれは正解だった。
「はい。摘果してすぐある処理をした場合に最高の味になるとのことでございます。私が確認済みです」
「そうなんだ。それってもしかしてすごく大変な事?」
「いえ、凍るほどの冷水に浸すのみでございます」
「冷水? リンゴを?」
不思議そうにしていると、ヘカテーがさらにうごいた。
あらかじめ頼んでいたのだろうか、メイドの二人はいってきた。
二人はそれぞれ水の入った容器をもっていて、片方はヘカテーがいったように氷がはいっている。
じゃあもう片方は? とおもっていると、ヘカテーはおもむろにそこに手を入れて、目を閉じてぶつぶつ何か言い出した。
神に祈りだしたのだ!
そうやって手を清めてから両手でリンゴを包み込んだ。
男達と同じことをしているんだろうか、ヘカテーのしっかりと手を清めたのに、直接触れることなく両手で「浮かす」ようにもって、そのリンゴを冷水の容器に入れた。
冷水に浸かった途端、リンゴが変わった。
それまではふつうのリンゴだったのが、みるみるうちに黄金色に変わっていく。
「すごい」
「イドゥンの黄金林檎でございます」
「ゆでたり冷やしたりすると色が変わる野菜や果物っておおいけど、こんな風に綺麗に黄金色に変わるのってめずらしいね」
「目安として収穫してから1分以内に氷水で冷やせば、3分ほど黄金色を保てるとのことです」
「……これのためにヘカテーが自らいってきたの?」
「はい、魔力の扱いに長けた者を120人ほど随行し運搬させました」
「やり過ぎだよ!」
またまた突っ込んでしまう俺。
こんなリンゴ一つのためにどんだけ人員を投入したんだよって思ったけど、よく考えたらある意味ヘカテーらしいと思った。
俺を溺愛する人間組だと、皇帝であるイシュタルは権力を、爺さんは主に金を、そしてヘカテーは今みたいに信者というマンパワーを使ってくるがおおい。
自分がもつ力で俺を溺愛するヘカテーはある意味通常運転だと、すこし考えて納得した。
リンゴは新鮮でおいしかった。