作品タイトル不明
18.推しカプを見ると視力が5上がる
ヴァレンティーノ家の広大な庭には、白い薔薇が咲き誇っていた。
月光を浴びて、花びらが真珠のように輝いている。ロザリア様も気に入っている庭園だ。そして今夜は満月で、煌々と夜の世界を照らしていた。
幻想的な光景を見ても、私の心が晴れることはなかった。
ロザリア様がパーティへ行ってからずっと、私は屋敷の玄関扉の前で待ち続けていた。敵だらけの会場に、エスコートもなく一人で乗り込んだロザリア様。アランの悪意で彼女の心は踏みつけられているだろう、深く傷ついているだろう。想像するだけで胸が痛む。
せめて帰ってきたときは真っ先に、温かく出迎えてあげたかった。
すぐに温かいお茶を用意して、抱きしめてあげたかった。
屋敷の前に馬車が停まった。車輪が砂利を踏む音が止み、従者が恭しく扉を開く。
そして、ダミアンの手に促されるようにロザリア様が降りてきた。
その光景を見て、私は頭が真っ白になる。
(嗚呼、なんて美しいの……!!)
深紅のドレスに身を包んだロザリア様は、夜の女王そのものだった。
赤いサテンが体に吸い付くように流れ、細いウエストから広がるスカートが、歩くたびに波のように揺れる。紫の髪は高い位置でまとめられ、露出した白い首筋と肩が、月明かりの下で輝いていた。
耳と首には、ダミアンから贈られた真珠のアクセサリーが光っている。月の光を受けるたびに、まるで星が踊っているかのような輝きを放っていた。
隣では、ダミアンがロザリア様をエスコートしていた。
普段はおろしている髪をオールバックにし、深い紺色のスーツを着こなしていた。広い肩幅と引き締まった体格が、フォーマルな装いを一層引き立てている。
この世のものとは思えない美男美女が、正装を纏い、ゆっくり屋敷へと歩いてくる。
庭園の真っ白な薔薇が、まるで祝福するかのように二人を出迎える。満月は舞台照明のように、この美しい一幕を照らしていた。
ロザリア様は私の姿を捉えると、ほっと安堵したような表情を浮かべた。張り詰めていた肩の力が抜け、強ばっていた表情が和らぐ。その表情にパーティで何かあったのだろうと察して、私は涙ぐむ。
声を震わせないように堪えながら、屋敷の中へと案内した。温かい灯りが点る屋敷を手で促す。
「すぐに紅茶をお淹れします」
*
「……つまり商会を捨てろと命じた挙げ句、一方的に婚約破棄されたと?」
セルドア様はズキズキと痛みまくっている頭を押さえながら状況を整理した。頭痛が限界まで悪化しているのが、その苦悶の表情から見て取れた。
屋敷へ帰ってすぐ、私は二人を執務室へと案内した。紅茶を飲んで少し落ち着かれたところに、セルドア様が青白い顔でやってきて「一体何があった」と尋ねた。ロザリア様は感情を殺して、事実だけを淡々とひとつひとつ語った。すべてを話し終えると、部屋の雰囲気が一気に重くなる。私は拳を握りしめて怒りを抑えていた。アランへの殺意に近い憎悪が、全身を支配していた。
セルドア様はため息一つついたあと、口を開く。
「婚約破棄の件はこちらで処理しておく」
「ありがとうございます、お父様」
「君にも世話になったな」
セルドア様はダミアンに向き直り、頭を下げた。彼は「いえ、当然のことをしたまでです」と目を細めて答える。
そこでロザリア様はずっと気になっていたであろう質問を口にした。
「ダミアン様はなぜ、パーティ会場にいらっしゃったのですか?」
するとダミアンではなく、セルドア様が答えた。
「あの侍女に感謝するんだな」
ロザリア様が驚いたように私を振り返る。私は照れ笑いを浮かべた。
それは一週間前のことだった。
ロザリア様が学園に行っている間に、私は執務室で溜まりに溜まった手紙の山と格闘していた。商会の書類、貴族からの手紙、真珠の注文……それらを必死に整理しているとき、執務室の扉が開いた。
そこにはセルドア様が立っていた。
慌てて立ち上がり、彼の元へと駆け寄る。個人的に話したことなど一度もはなかった。鋭い眼光に、緊張で喉がカラカラになり、手が小刻みに震える。一体何の用だろう。
言葉を待っていると、驚くべきことを言った。
「ロザリアの欲しいものなど知らないか?」
「欲しい、ものですか?」
驚いた。セルドア様がロザリア様のことを気にかけたことに。
原作でのセルドア様は、娘のことを政治の道具としてしか考えていなかった。冷徹な父親として描かれ、ロザリア様の幸せなど一度も考えたことがない人物だった。彼女を第一王子に嫁がせ、ヴァレンティーノ家の地位を盤石にする──それだけが彼の目的だった。
そのために、ロザリア様に完璧な令嬢を求め続けた。泣くことも、弱音を吐くことも許さなかった。原作でロザリア様が悪女のような性格になってしまったのも、彼の育て方に一因があったと言っていいだろう。
しかしソレイユに転生して、セルドア様への見方が少し変わった。
確かに原作同様、見た目の印象は怖い。鋭い眼光と威圧感のある雰囲気は、誰もが恐れる公爵家当主の威厳そのものだ。
だが、ポルーノの件で忙しくしているロザリア様を見て、家庭教師の訪問を断っていたことを最近知った。「商会も大切な勉強だ」と言い、娘の選択を尊重していたらしい。王妃教育のために絶対に必要と考えていたはずなのに、ロザリア様を責めることもなかった。
(もしかしてロザリア様に歩み寄ろうと……?)
不器用な父親が、娘との関係を修復しようと模索しているのかもしれない。一つの可能性に思い当たる。
「そうだ。何でもいい」
セルドア様の言葉で思い出したのは、アランから届いた手紙だった。
ロザリア様を救えるかもしれないと、一筋の希望が見えた気がした。
「あの、お耳に入れたい情報があるのです……!」
私は意を決して切り出した。
先日届いた、アランからの招待状。パーティの招待客が、ほとんどメントリア派閥の者で固められていること。そして何より、ロザリア様をエスコートする人が誰一人いないこと。
セルドア様の表情がみるみる険しくなっていく。
ロザリア様に無断で、手紙の内容を話してしまった。彼女にもお父様には話さないでと止められていたのに。侍女失格だ。
(お許しください……!)
でも、背に腹は代えられない。ロザリア様があんな地獄に一人で行くなんて、絶対に許せなかった。
セルドア様は顎に手をあて、しばし考えこんだ。やがて私に一つ命令をした。
「今から手紙を書く。それをある家に届けてもらいたい」
その手紙をきっかけに、ダミアンはパーティ会場の招待を手に入れることができたのだ。
「……それでその手紙は誰宛でしたの?」
「グザヴィエ家だ」
「!? グザヴィエ家はメントリア派閥の筆頭です。協力してくれるはずが……」
「あそこには正妻にも隠している非嫡子の存在がいる」
セルドア様はさらりと言った。ロザリア様は驚愕して「何故それを」と言いかけた瞬間、はっと何かに思い当たったように呟く。
「カゼッタ……」
「そうだ」
正妻にも隠している非嫡子の存在まで知ることができる、カゼッタの存在が末恐ろしい。人の口に戸は立てられないというのは本当のことのようだ。酒が入っていればなおさらだろう。
「その存在を脅しに使い、依頼をした」
「依頼?」
「あぁ、『ヴェルモン商会の者を呼びたいから招待状を用意しろ』とな」
「ヴェルモン商会」とは国内でも有数の商会だ。そこでダミアンが苦笑する。
「サンベルク家が運営している商会なんですけどね。普通なら、ロザリア様の商会を調べて、私との繋がりに気づくはず。招待状の許可など出さないと思うのですが……」
「アイツは気づかないと思った」
セルドア様が一蹴して、ロザリア様は目を丸くしながら見た。父親が婚約者のことをそんな風に言うところを初めて見たのだろう。驚きと戸惑いの表情が浮かんでいる。
セルドア様は「ふん」と鼻息を鳴らし、腕を組んでソファーにもたれた。もはやアランへの敬意など微塵もない。ダミアンは再び苦笑した。
計画は見事に成功した。脅されたグザヴィエ家は、慌ててアランに「ヴェルモン商会の要人を招待したい」と申し出た。
もちろんアランは、ロザリア様とダミアンの繋がりなど知るよしもない。
グザヴィエ家が懇意にしている商会の重鎮を呼びたいのだろうと、深く考えもせずに許可を出した。
こうして無事に「ヴェルモン商会」に籍を置くダミアンを、パーティに呼べたというわけだった。
ロザリア様はぽつりと言う。
「お父様が、救ってくださったのですね」
頭を下げると、セルドア様は視線を少しだけ泳がせた。気まずそうに視線を逸らし、まるで慣れない感情を持て余しているようだった。
そして咳払い一つして、ぶっきらぼうに言う。
「もし今度から何かあれば遠慮なく言え。……力になろう」
「ありがとう、ございます」
頭を下げながら感謝を伝えるロザリア様の声には、じんわりと涙がにじんでいた。
思えば、ロザリア様にとって父親は恐怖の対象だったはずだ。物心ついたときから、次期王妃という重荷を背負わされ、完璧であることを強要され続けた。逆らうことも許されない、絶対的な支配者だったのだろう。
だけど今、二人の間には親子の絆が芽生えようとしていた。
ロザリア様は指で少しだけ目元を押さえたあと、ダミアンの方に向き合った。さすがロザリア様、涙はもう浮かんでいなかった。凜とした表情で見つめる。
「ダミアン様もありがとうございます」
「いえ、むしろ到着が遅くなって申し訳ありませんでした。慌ててサリヤ国から戻ってきたので」
「サリヤ国から……?」
ロザリア様の声に動揺が滲んだ。サリヤ国といえば、ここから馬車でも丸一日かかる。
ダミアンはロザリア様の不安を察してか、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「そんな顔しないでください。ロザリア様のお役にたててよかった」
その言葉を聞いた瞬間、ロザリア様の顔が真っ赤に染まった。首筋まで赤くなっている。口をパクパクさせて、何か言おうとするが言葉が出ない。
(うああああああかわいいいいいいいい!!!)
その表情に心臓がわしづかみされる。胸が苦しくて息ができない。十秒ほど心臓が止まったんじゃないだろうか。ありがとう世界、ありがとうダミロザ。
とても良い雰囲気が流れており、二人の瞳が絡み合ったその時──
「ゴホンッ!!」
セルドア様の盛大な咳払いに、甘い空気は粉砕した。ロザリア様は弾かれたように我に返る。慌てて姿勢を正し、必死に平静を取り戻そうとするが、耳の赤さは隠しきれてなかった。
「ともかく、第一王子に関しては何かあったら知らせる」
「はい」
セルドア様が話をまとめるように言い、ロザリア様は頷いた。
こうして集まりは解散になった。