軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

17.どうしてあなたが

会場が騒然となった。

十年以上、婚約者として過ごしてきた相手からの一方的な婚約破棄。しかも敵だらけの会場で、公開処刑のように。本来なら、怒りと悲しみで崩れ落ちる場面だろう。だが私の胸に広がったのは底なしの空虚だけだった。

アランのために、すべてを捧げてきた。

完璧な令嬢になるため、歯を食いしばって努力し、血が滲むまで勉強し、涙を飲み込み、微笑んできた。彼に愛されるため、認められるため、必死に生きてきた。その結果が──これか。

アランは先ほどと打って変わって、優しい笑みを浮かべながら手を差し伸べた。

「まさか、自分の力だけで成功したと思っているのか? 商会がうまくいったのは、王家の繋がりがあってこそだろう?」

「……!」

その一言に、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走る。

脳裏に浮かんだのは──ダミアンの顔だった。

サンベルク公爵家は、長きにわたり中立派として貴族社会のバランサーを担ってきた。広い人脈と巧みな外交術を武器に、王家派と教会派の均衡を保ってきたのだ。

だが今、その均衡は崩れかけている。メントリア派の急進的な動きにより、教会派が着実に優勢となりつつあった。

──そんな状況で、第一王子の婚約者である私がサンベルク家に接近したら?

私と手を結べば、王家派の力を一気に押し上げることができる。

(もしダミアンの狙いがそこだったのなら──)

仕事で手を差し伸べてくれたのも、カゼッタで笑い合った夜も、抱きしめてくれた腕の温もりも、すべてダミアンの計算だったら?

心の奥に大切にしまっていた記憶に、ヒビが入っていく。ぴしり、ぴしりと、まるで氷が割れるような音をたてながら。

足下が崩れていくような感覚に襲われる。

婚約破棄された今、私は王家との繋がりを失った。ただの公爵令嬢だ。

ならばダミアンにとって、私はもう利用価値のない存在なのだろうか。

(もう、私は、用済み──)

絶望が喉を締め上げるようだ。言葉が出てこない。

アランの勝ち誇ったような表情が、吐き気を催すほど醜い。周囲の貴族たちの嘲笑が、耳をつんざくように響き渡る。すべてが悪夢のようで、現実味がない。

叫んで、泣いて、この場から消えてしまいたかった。

(結局、私は、一人)

残酷な現実が襲いかかろうとした。そのとき──声が聞こえた。

「違います」

凜とした声が、会場に響き渡った。同時に、温かくて力強い手に肩を抱かれる。その聞き慣れた声に、信じられない思いで顔をあげた。

ダミアンが、そこにはいた。

まるで物語の英雄のように、凜々しく立っている。怒りに燃える瞳で周囲を睨みつけながら、私だけは守るというように、しっかりと支えてくれていた。

「私は、私の意思でロザリア様と取引したのです」

毅然とした声が会場に響き渡る。ダミアンはまっすぐにアランを見据え、揺るぎない眼差しで言い放った。

その力強い言葉に、胸の奥が熱くなる。

──私がアランの婚約者だからではない。

ダミアンは、私という人間を選んでくれた。

(私は、捨てられることはない……?)

安堵が全身を包み込み、張り詰めていた体の力が一気に抜けた。崩れそうになる体を、ダミアンが支えるように引き寄せてくれる。大きな手のひらから伝わる熱が、冷え切った全身を温めていく。まるで凍りついた心が解けていくようだった。

ダミアンは私に視線を移す。グレーの瞳には優しい光が宿っていた。

「遅くなって申し訳ございません」

ダミアンは微笑んだ。

普段はおろしている髪が、オールバックにセットされており、額には汗が滲んでいる。私のために急いで駆けつけてくれたのかと思うと、つんと鼻の奥が痛んだ。

アランが声を張り上げた。

「貴様、何者だ! 招いた覚えがないぞ!」

「招待状なら、ここに」

ダミアンは動じることなく、胸元から招待状を差し出した。

「に、偽物だ! おい、そこの者、確認しろ!」

アランは血相を変えて、パーティ会場の隅にいた執事に命じた。駆け寄ってきた彼は恐る恐るダミアンから招待状を受け取る。

サンベルク家は招待リストになかったはずだ。どうやって手に入れたのだろう。もし偽造だったら、王家への反逆と捉えられてしまうし、ダミアンの命だって危うくなる。背中に冷や汗が流れ落ちた。

招待状を確認した執事は、震えた声で口を開く。

「こちら……本物でございます」

「なっ……!」

「満足いただけましたか?」

ダミアンが淡々と言い放つ。普段の温厚な彼からは想像できない、氷のように冷たい声だった。こんな一面もあったのかと息を呑む。

ダミアンの圧に飲み込まれて、アランは口をパクパクさせるだけで言葉を詰まらせている。

「第一王子殿下」

名を呼ばれた瞬間、アランの肩がびくりと跳ね上がった。体が小刻みに震えているのが、こちらからもはっきりと見て取れる。

ダミアンの声はあくまで冷静を装っている。だが、その底には計り知れない怒りが渦巻いているのが分かった。

そして彼は静かに、鋭く突き刺すように言葉を放った。

「先ほど『汚い手で真珠を独占』とおっしゃっていましたが──王国法のどの条文に触れる行為を『汚い』と?」

「……っ」

「納税台帳や出荷記録などはすべて記録しております。ご指摘が事実なら、具体的な箇所をお示しください」

容赦なくアランを追い詰めていく。

周囲の貴族たちも息を呑み、立ち尽くしている。誰一人言葉を発せず、第一王子がダミアンに詰められていく様を、ただ呆然と見守ることしかできない。

何も答えられないアランに、ダミアンはとどめを刺した。

「もしお出しになれないのでしたら『汚い手』という言葉は撤回を。ヴァレンティーノ家とサンベルク家の名に関わりますので」

その言葉の重みに、会場がざわついた。

王家に忠誠を誓ってきた二つの有力貴族を、敵に回す覚悟があるのか──最後の通告だった。

アランは顔を引きつらせ、わなわなと体を震わせながらも、一言も返せない。その沈黙が、彼の敗北を示していた。

ダミアンはふっと息を吐くと、今度は私の方へ視線を向けた。先ほどまでの鋭さとは打って変わり、唇に優しい微笑みを浮かべ、穏やかな声で告げる。

「行きましょう、貴方にこんな場所は似合わない」

まるで周りからの視線から守るように肩を抱き寄せた。毅然とした足取りで、出口へと歩を進める。

先ほどまで嘲笑していていた貴族たちも、ダミアンに気圧されて、黙って道を空けるしかなかった。まるで海が割れるように、人波が左右に分かれていく。

私は背中に突き刺さるアランの視線を感じつつ、ダミアンの手から伝わる確かな温もりに包まれながらパーティ会場を後にした。