作品タイトル不明
458.食物連鎖の一幕
一国を統べる王と、大河に潜む未知なる主との死闘は、すでに一時間を経過していた。じりじりと照りつける南国の太陽の下、戦いは泥沼の様相を呈し、さらなる長期戦の気配を濃厚に漂わせている。
「ハァ、ハァ……いい加減に観念しろ、このバケモノめがァァァッ!?」
波飛沫を浴び、汗だくになりながら全身でロッドをへし折らんばかりに撓らせるウラデュウス国王。
その眼光は、完全に獲物を仕留める肉食獣のそれへと変貌しており、 怨嗟(えんさ) とも歓喜ともつかない咆哮を漏らしていた。
そんな命懸けの激闘を、安全圏である「アビエラ・グレイス号」の甲板から見下ろしているのは、ラルフ率いる一行である。
まさに高みの見物を決め込む形となった彼らだったが、繰り広げられる未知のパワーゲームには、誰もが固唾を飲んで視線を注いでいた。
「ねえ、ラルフ……あいつ、一体全体なんなのかしら?」
隣に立つエリカが、不安と好奇心の入り混じった瞳でラルフを見上げてくる。
「さっき一瞬、水面に上がってきた時、やたらと長くて太いヒゲが見えた気がしたんだよな。あの平べったいシルエットから察するに……やはり、規格外の巨大ナマズか」
ラルフが前世の知識と現世の観察眼を総動員してそう分析すると、その言葉は地獄耳の聖女たちにしっかりと届いていた。
「お姉ちゃん、聞いた!? "ズーナマ"だってよ、ズーナマ! あんなサイズ、もし蒲焼きにしたら一体何人前になるのかしらねぇ?」
妹のマルシャが、目をきらきらと輝かせながら姉の袖を引く。
「さあ、想像もつかないけれど……もしもあの獲物を『居酒屋領主館』に持ち込んで、甘辛いタレでじっくり焼き上げたら、常連客たちが群がって一晩で跡形もなく消え去るのだけは確実ね」
「キャハハハハッ! 確かに! ビールがいくらあっても足りないわ!」
仲良し聖女姉妹は、もはや濁流のごとき食欲を隠そうともせず、ワイワイと賑やかに盛り上がっている。
「いや、しかし……そろそろ本当に勝負がつきそうだぞ」
舵輪(だりん) から手を離し、双眼鏡を覗き込んでいたメリッサ船長が、鋭い指先で一点を示した。
その視線の先で、大河の濁流を割って、ユラァァ……と巨大な黒い影が浮かび上がってくる。距離があるため正確な数字は判別しがたいが、ラルフの目測が確かならば、その全長は優に三メートルを超えている。そして、鈍く光る頭部からは、予想通り立派な一対のヒゲが伸びていた。どうやら、ラルフの「巨大ナマズ説」は見事に的中したらしい。
「っていうか、あんな怪物みたいな大きさ、どうやって取り込むつもりよ!?」
エリカがもっともな懸念を口にし、顔をしかめる。
「ふむ。確かに、ヴラドおじが乗っているあの小舟よりも、獲物のほうが一回り以上大きそうだな。よし、アビエラ・グレイス号の大型ウィンチを使うぞ。メリッサ! 取り込み用の 鈎銛(ギャフ) を用意してくれ!」
「オーキードーキー! すぐにっ!」
ラルフの的確な指示とその意図を瞬時に理解し、二人が作業に取りかかろうと足を踏み出した、その瞬間だった。
「ちょっと待って!! な、何よアレっ!?」
静寂を切り裂いたのは、聖女トーヴァ・レイヨンの、これまでに聞いたこともないような金切り声だった。
死闘の末に体力を使い果たし、水面で無防備に 揺蕩(たゆた) っていた巨大ナマズ。
その背後の水中から、まるで泥水を割るようにして、質量を持った「最悪の何か」が姿を現し、ナマズの巨躯へ容赦なく覆いかぶさったのだ。
「ウォッッッ!?!?」
直後、国王の握るロッドが三日月のようにグンッ! と激しくしなり、限界まで締め上げられていたはずのリールが、ジィィィィィィィィィィィ――ッ!!!と、凄まじい悲鳴を上げて再びラインを吐き出し始めた。
ウラデュウス国王と家臣二人を乗せた小舟が、まるで水上スキーのように激しい水飛沫を上げながら、猛烈な速度で流心へと引っ張られていく。
「へ、陛下っ!? な、何が起きたのですか、これはっ!?」
あまりの急加速に家臣の一人がバランスを崩し、河へ落ちそうになりながらも、間一髪のところで小舟の縁にしがみつく。
「ぎゃあああァァァっ! あ、アレ! へ、へ、ヘビだぁぁぁぁぁ大蛇だぁぁぁぁっっ!!!」
マルシャが恐怖に顔を歪め、絶叫を上げながら甲板を後ずさる。
「ギィヤァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!!!」
そして、エリカに至っては顔面蒼白どころか土気色になり、その場で垂直に飛び上がっていた。不運にも、彼女がこの世で最も忌み嫌い、苦手とする「巨大なニョロニョロ系生物」が、あろうことか巨大ナマズに幾重にも巻き付き、締め上げているのだ。
水面をグルグルと激しく回転しながらのたうち回る、その大蛇の胴の太さは、丸太どころかドラム缶並みであり、その全長がいかに規格外であるかを雄弁に物語っていた。
恐怖と混沌が支配する甲板。しかし、その中でたった一名だけ、完全にズレた反応を見せている男がいた。
「あぁぁぁぁぁぁッッ!!! アナコンダーーー! ア〜ナコンダ〜♪ アナコンダ〜♪」
なぜかテンションが 限界突破(マックス) まで跳ね上がり、奇妙な節回しで歌いながら、謎のステップを踏んで踊り始めるラルフ。
「あ、あ、あ、アンタ、ちょ、ちょっと、この緊急事態に何やってんのよォォォッ!!」
パニック状態のエリカが、奇行どころか完全に狂ってしまったラルフの袖を掴み、涙目で激しく引っ張る。
しかし、ラルフを責めるのは酷というものだった。彼にとって、前世における「B級モンスター・パニック映画」は、こよなく愛した大好物の一つだったのだ。このような熱帯のジャングルという最高のロケーションで、絵に描いたような 巨大大蛇(アナコンダ) と遭遇できた現実に、男のロマン回路が完全にショートしていた。
「クソがっ! 横取りする気かっ? これは儂が最初に掛けた獲物だぁぁぁぁぁっ!」
一方、死線の一歩手前にいる国王は、恐怖どころか独占欲を爆発させ、小舟が激しく揺れるのも構わず、リールをギリ……ギリッと強引に巻き始めていた。
「ちょっと! やめてっ!! 国王さまっ、ダメ、やめて! そんな気持ち悪いのをこっちに引っ張ってこないでぇぇぇーーーっ!!!」
エリカの半狂乱の絶叫が木霊する。
しかし、そこからさらに、誰もが予想だにしなかった極限のカオスが待ち受けていようとは、この時の彼らには知る由もなかった。
身悶えする大ナマズ。
そこに執拗に巻き付く大蛇。
その二匹の巨大生物が引き起こす渦の中心で、まさかの、バゴォォォンッ!!!
と水面がダイナマイトでも破裂したかのように爆ぜた。
ガブゥゥゥッッ!!!
「ワニっ! ワニ!! ワニっ!!!」
ついに、普段は冷静沈着なメリッサ船長まで語彙力が完全に崩壊した。
まさか、まさかの展開である。
大ナマズと大蛇が絡み合う阿鼻叫喚の塊に、さらに水中から姿を現した、装甲車のごとき皮膚を持つ巨大な「ワニ」が、その凶悪な 顎(あぎと) で一網打尽に喰らいついたのだ。
だが、これほどの異常事態にあっても、顔を真っ赤にして血管を浮き上がらせたウラデュウス国王の闘志は衰えない。
「うがあぁぁぁぁぁ! どいつもこいつも! 余の獲物を横取りしようというのかァァァ!? フンガァァァァァァァッッ!!」
腰を深く落とし、渾身の力でロッドを立てる国王。
その狂気じみた執念に引きずられるように、小舟はいよいよ激流の流心へと、恐るべき速度で牽引され始めていく。
そして、巨大ワニは、デス・ローリングを披露する。
そして、またしてもラルフは、
「クロコダイル! アリゲーター!! レイク・プラシッド!!! 百日間生きた……」
ラルフはさらにテンションをこじらせ、半狂乱で前世の有名な「ワニ作品」のタイトルやネタを叫び散らかしているが、当然ながらここにいる誰一人として理解できるはずもない。
「キャァァァァァああっ!!」
「ギャァァァァァァァッッ!!!!」
「マズイって、これ本当にヤバいってぇぇぇぇぇ!?」
アビエラ・グレイス号の上は、もはやパニックを通り越して純然たる阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。目の前で繰り広げられる、生々しすぎる弱肉強食。巨大生物たちによる、狂った食物連鎖の縮図。
世の中には「海老で鯛を釣る」という諺があるが、ナマズを釣ったらヘビが付いてきて、さらにそのヘビにワニが釣れるという、わらしべ長者的な意味不明かつグロテスクな大連鎖に、全員の思考回路が完全に大混乱していた。
……というか、一画面における情報量が、あまりにも多すぎる。
そんな狂乱の渦中で、唯一、現実的な危機に直面している者がいた。
「へ、陛下っ!? 本当にマズイです! このままだと舟ごと沈みます! 糸を切ってください!!」
小舟の底にしがみつき、這いつくばっている家臣が、決死の覚悟で声を絞り出す。
「き、切れんのだ……っ!」
「ハァァァァァァ!?」
「これは……っ、ラルフに作らせた『特製魔鉱ライン』だ! 並のナイフどころか、名剣でも傷一つ付かん!」
「何ですかその無駄にオーバースペックな糸はぁぁぁっ!?」
「またラルフ公爵の仕業かよっ!!」
「あーもう! ラルフ様ぁ! 責任とって!! 今すぐなんとかしてくださいぃぃぃっ!」
涙目になった家臣が船上を振り返り、ラルフに絶望的な救いを求めて叫んだ。
「はぁ~……。まったく。……ま、仕方ねーか」
ラルフがやれやれと首を振り、ラインを切断するための魔法を発動しようと指先を向けた、その時だった。
頭上の青空から、一瞬、巨大な影が彼らを過った。
「……ん?」
ラルフが違和感を覚えて視線を上空へと向けた。
直後――バッッッシャァァァァァァァーーーーンッッッッ!!!!
これまでの衝撃をすべて過去にするほどの、凄まじい質量が上空からその獲物たちの塊へと文字通り「墜落」してきた。現れたのは、燃えるような紅き巨躯。
「グギャアァァァァァァァッッ!!」
鼓膜を引き裂くような咆哮。
それは、他でもない。一頭の気高き――否、現時点では完全にただの食いしん坊な「紅きワイバーン」だった。
「レッドフォードっっ?!?? なんでお前がこんなとこにおんねんっッ!!!」
ラルフは思わず、前世の魂が呼び覚まされたかのような完璧な関西弁でツッコミを炸裂させた。
レッドフォード。それは、遥か彼方のロートシュタイン領で、おとなしく領主館の留守番をしているはずの、ラルフの愛すべき(そして時々言うことを聞かない)ペットのワイバーンである。
「グギャアァァァァァァァ!」
主人のツッコミなどどこ吹く風、レッドフォードはその強靭な鉤爪で、ナマズと大蛇とワニという、三つ巴の生存競争を繰り広げていた巨大生物の塊を、まとめて鷲掴みにした。
そして、圧倒的な翼の力で、それらを一遍に空中へと引き上げていく。
「――《 穿光一閃(レーザービーム) 》」
ラルフは考えるのをやめ、瞬時に指先から音速を超えた一筋の超高熱魔法を放った。
プツリ、
という小気味よい音と共に、国王と怪物を繋いでいた、あのナイフでも切れないはずの特製魔鉱ラインが焼き切られる。
すると、次の瞬間。
猛烈な牽引力を唐突に失ったウラデュウス国王の身体が、慣性の法則に従ってフッと後ろへと倒れ込んだ。
「ぁ……」
「へ、陛下っっ!!!」
慌てて支えようと家臣二人が立ち上がるが、小舟のバランスはすでに限界を迎えていた。
ドボォォォォーンッッ!!!
盛大な水飛沫を上げて、国王と家臣二人の計三名が、綺麗に小舟からひっくり返って河へと転落した。
ラルフは遠い目で空を見上げる。
彼の愛するペット、レッドフォードは、前代未聞の獲物三点セットを嬉しそうに抱えたまま、大空の彼方へと優雅に去っていくところだった。
その進路から察するに……あの怪物たちは、ラルフのホームである「居酒屋領主館」の庭へと、文字通りの『産地直送』をされる予定らしい。
一方、河に落ちた国王と家臣たちはといえば。
「ぶはっ!? ヤバいだろこれ! 早く上がれ、マジで! "ナニか"に喰われるぞ!」
「あ、あんな化け物どもの巣窟に落とされるなんて、ヤ、ヤバすぎますってぇぇ!」
必死の形相で犬かきをし、半泣きになりながら小舟の縁にしがみついている。
そんな喧騒を背景に、ラルフは実に清々しい、どこまでも澄み渡るような青い空を見上げていた。
――言うまでもなく、完全なる現実逃避であった。
まさか、レッドフォードが、主人の知らない間にこんな南方諸島まで「ちょっとそこまで」感覚で遠征し、日常的に狩りを行っていたとは夢にも思わなかった。
そして何より、自らのペットがこの大自然の食物連鎖の頂点に君臨し、その収穫物を献上され続ける自分、そしてそれを調理して客に提供する居酒屋……。
なんというか、人類が設計した『資本主義という名のバケモノ』が、この原始的な生態系の最上位に君臨してしまっているという現実に、ラルフの胸には何とも言えない、妙な悲哀が湧き上がってくるのだった。
あ、それと。
何よりも重大な問題が一つ。
――趣味の釣りに命をかけていた国王の、一時間の結晶たる「獲物」を、自分のペットが文字通り丸ごと強奪していった。
これは、社会的に、マズイ……あまりにもマズイ。
「おいっっっ!!! ラルフ!!! どういうことだコラァァァ!!! 余に納得のいく説明をしろぉぉぉ!!!」
案の定、ずぶ濡れになりながら這う這うの体で小舟に這い上がったウラデュウス国王が、アビエラ・グレイス号を見上げ、文字通り鬼の形相でブチ切れていた。
✢
一方。
大騒動から少しの時間を経て、遥か彼方のロートシュタイン領――「居酒屋領主館」の広い庭園にて。
ズドォォォォォォォンッッッッ!!!!
突如として上空から、文字通り降ってきた「何か」が、大地を揺るがす轟音と共に庭へと激突した。
「ちょっ、ちょっとぉぉぉ! 旦那様ァァァ! 空からなんか来た、なんか来ましたって!! え?! こ、これ、どうするんですかぁぁぁ!? ひぃぃぃっ!! う、動いてるぅぅうっ?!!」
第一発見者となったローラが、エプロンを振り乱しながら絶叫する。
「うっわっ!? おい、待て、コイツら……まだ全員ピンピンしてるぞ! お互い噛み合ったまま動いてる! お、おい、エド! お、お前、何とかしろっ!」
「無理無理無理無理無理ですよこんなのぉぉぉっ! ラルフさまがいないなら、今すぐアントニオさんを呼ぶか、冒険者ギルドに緊急クエストを出さないとロートシュタインが壊滅しますってぇぇぇっ!?」
ラルフの留守を完璧に任されていたはずの、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵一味の面々は、レッドフォードがドヤ顔で置いていった、"巨大ナマズと大蛇とワニの三つ巴、(※全部生存・大変元気)"という最悪の献上品を前にして、文字通り大パニックに陥り、涙目で右往左往するのであった。