軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

459.未知との遭遇

数々の騒動を乗り越えながら、魔導船アビエラ・グレイス号とウル・ヨルン号の二隻は、さらに未知なる大河を遡上していた。

周囲の景色は刻一刻と変化していく。これまで船底を叩いていた濁った茶色の泥水は、いつしか底の知れない、深く艶やかな漆黒へとその色を変えていた。

両岸から迫り来る原生林によって河幅は徐々に狭まりつつあるものの、二隻の巨大な魔導船が往来するには十分すぎるほどの水深を保っている。このダキヤラ河が湛える圧倒的な水量の豊富さには誰もが、驚きを隠しきれずにいた。

そんな神秘的な緊張感が漂う航路にあって、アビエラ・グレイス号の甲板の上だけは、少々的外れな空気が流れていた。

「やはり、こうし現地にまで足を運ぶと、得られる知見の格が違うな……。王都の書物には記載すらされていない新種の宝庫だ」

そう言って、敷物の白布の上に熱心に戦利品を並べているのは、錬金薬学の権威であるアルフレッドだ。

彼が途中の岸辺で手際よく採集してきたのは、見たこともない色彩を放つ花々や、瑞々しい薬草の数々だった。

「ねぇ、ちょっと。その中にスパイスになりそうなやつはないの?」

品のあるドレスの裾が汚れるのも厭わず、四つん這いになってその山を凝視しているのはエリカだ。

いくらなんでも、王都で生まれ育った大貴族のご令嬢が取っていい姿勢ではない。

「これなんかはどうだ? 見た目は地味だが、かなり香りが強いぞ」

アルフレッドがピンセットで一枚の青々とした葉を差し出す。

「ん? どれどれ……」

クンクンと鼻を鳴らしたエリカは、次の瞬間、なんの躊躇もなくその葉をひょいと口に放り込んだ。野生の勘というよりは、ただの無鉄砲である。

「おーい、エリカぁ! 不用意になんでもかんでも味見するんじゃない。未知の植物なんだから、致死性の毒があるかもしれないだろ?」

船の手摺りにもたれかかっていたラルフが、呆れたように、しかし本気で心配そうな声を上げる。彼女の、スパイスとカレーに対する異常なまでの探究心は、見ていてハラハラさせられ通しだった。

「ふぁいふぉーぶ(大丈夫)よ! ん、ちょっとだけ、ミントみたいにスースーするような……。でも、あんまひ、あひがひないひゃへ……。あ、あへっ?!」

唐突に、エリカの言葉が明確な輪郭を失い、もつれだした。呂律が完全に崩壊している。

その様子を見たアルフレッドは、慌てる風でもなく、ふむ、と顎に手を当てた。

「なるほど……どうやらこの草には、極めて即効性の高い、強力な神経麻酔効果があるようだ。やはり、俺の見立ては正しかったな」

一人で納得し、我が意を得たりと深く頷くアルフレッド。

「あ、あんはれぇ! あらひを、ひっけんらいにするひゃらいわよーー!(アンタねぇ! アタシを実験台にするんじゃないわよーー!)」

涙目になりながら、痺れた舌で懸命に抗議の声を張り上げるエリカ。

ラルフは深いため息を一つ吐くと、トコトコと彼女に歩み寄った。

「はいはい、じっとしてろ。《 低級治癒(ヒール) 》」

ラルフが軽く手を振るうと、温かな淡い魔力の光がエリカの全身を優しく包み込む。瞬時に麻酔成分が分解され、彼女の口内に感覚が戻った。

「ぶはっ! ちょっとねー! ナニしてくれてんのよバカッ! 死んだらどうすんのよ!」

完全復活を遂げたエリカが、もの凄い剣幕でアルフレッドの胸ぐらをつかまんばかりに詰め寄る。しかし、アルフレッドは至って冷静に、眼鏡のブリッジを押し上げながら不敵に提案した。

「ふむ。この草をごく少量だけ精密に調合してみろ。激辛なのに、食べた一瞬おいて口の中から完全に辛味が消え去るような、魔法の超刺激スパイスを発明することも夢ではないぞ?」

「…………ん? んん」

エリカの動きがピタッと止まった。怒りで満ちていた瞳が、瞬時に計算高いブレーンへと切り替わる。

「……な、なるほど……。やっぱ、アンタもラルフの同級生なだけあるわね。その、応用発想力っていうの? 凄いじゃない……」

少しだけ悔しそうに、けれど夢想的なスパイスの未来に魂を奪われたエリカは、しどろもどろになりながらアルフレッドの発想に舌を巻いた。現金なものである。

「はぁ、とにかく。なんでもかんでも、口に入れるのは禁止だ! 本当に猛毒だったら、僕の回復魔法だって間に合わないかも……」

ラルフが説教を続けようとした、まさにその時だった。

――ヒューンッ!

不穏に空気を引き裂く、鋭い風切り音。

元軍人としての卓越した勘と修羅場の経験から、舵輪をしっかりと握っていたメリッサ船長が、喉が裂けんばかりに叫んだ。

「ッ?! 全員伏せてっ!!」

「《 魔導障壁(プロテクション) 》」

流石はラルフだった。

彼は振り返る動作すら省略し、声のした方向へ反射的に魔法を発動させる。

空間に展開された不可視の魔力障壁に、カンッ! と甲高い音を立てて何かが弾かれた。

同時に、隣を並走するウル・ヨルン号の甲板からも、野太い怒号が上がる。

「敵襲だぁっ!!! 総員、戦闘配置!」

見れば、ウル・ヨルン号の重厚な舷側には、すでに何本もの矢が深く突き刺さっていた。

カンッ! カンッ!

なおも執拗に飛来する矢が、ラルフの張った魔導障壁に阻まれて火花を散らす。船首付近の床に落ちた一本の矢を、ラルフは鋭い目で見つめた。

それは、鉄の 鏃(やじり) ではなく、粗削りな石や骨が括り付けられた、いかにも原始的な造形の矢だった。

(……間違いない。岸辺からこの矢を放っているのは、この土地の原住民だ)

ラルフは再び、深い緑に覆われた、押し黙るような岸辺へと視線を鋭く走らせる。しかし、そこには気の遠くなるほど密生した原生林が広がっているばかりで、どこに狙撃手が潜んでいるのか、その姿を捉えることはできない。

その時、緊迫した空気を破るように、派手な声が響いた。

「あーもう! うっとうしいわね! 文明の利器ってやつを、たっぷりと拝ませてあげるわよ!」

ウル・ヨルン号の甲板に堂々と躍り出たフィセが、愛用のAK-47――カラシニコフを構え、あろうことかフルオートで岸の密林に向かって引き金を引いた。

ダダダダダダダダダダッ!!!

激しい銃声とマズルフラッシュが原生林の静寂を容赦なく引き裂き、無数の薬莢が甲板に転がる。だが――。

「やめろフィセ! 現地民を殺すなっ!!」

ラルフの、割れんばかりの大声が遮った。

「えっ、でも、だって! あっちから攻撃してきたんですよ?!」

「それでもだ! 彼らの生息域に土足で分け入ったのは、僕たちの方だぞ?! 話し合いもせず、ただの野蛮な略奪者になりたいのか?!」

普段の温厚さからは想像もつかない、ラルフの異様なまでの剣幕と迫力に、フィセは気圧されたように身を縮めた。

「は、はい……すみません……」

しおしおとライフルを下げるフィセ。

しかし、そんなやり取りの間にも、絶え間なく矢は飛んできては魔導障壁に阻まれ、虚しく水面へと落下していく。相手の戦意、いや、殺意は極めて高い。

ラルフは奥歯を噛み締め、原生林を凝視し続ける。

これほど正確で途切れのない連射だ、決して一人や二人の仕業ではない。それなのに、敵の気配が完全に自然と同化している。これはいくらなんでも異常すぎる隠密性だ。

絶望的な索敵能力の差に焦りを感じかけたその時、ラルフの隣に、かつての同級生であるアルフレッドが、静かな足取りで歩み寄ってきた。

「ラルフ。落ち着いてあの大木を見ろ。中央の、太い枝だ。あそこの葉の付き方、決定的に『おかしい』ぞ」

「は? どういうことだ?」

「植物の葉というのはな、『向光性』といって、少しでも太陽の光を浴びるために一定の規則性を持って広がる習性がある。だが、あの一画だけ、光を遮られた白っぽい葉の裏側が見えている。あそこには、確実に誰かが潜んでいる」

「……オーケー、理解した」

ラルフは即座に右手の人差し指を突き出し、まるで拳銃のように狙いを定めた。

「《 衝撃銃(ショックガン) 》」

無詠唱で放たれた不可視の衝撃波。

狙い澄まされたそれは、まさにアルフレッドが指摘した「違和感の塊」へとピンポイントで的中した。

「ワ、ワイ、ナンバッ!!」

密林の奥から、聞いたこともない意味不明な言語の絶叫が響き、直後――ドボーン! と派手な音を立てて、何かが水面に落下した。

慌てて泳いで岸辺へと向かう人影が見える。その肌は健康的な黒色で、手には木製の強弓を握りしめていた。やはり、この地の原住民だ。

不殺傷のまま、完全に無力化できたことに、ラルフはホッと安堵のため息を吐く。

「ラルフ、次はあそこだ。あの高さに生えている葉は、本来なら瑞々しさを失っているはずだ。なのに、あそこの光の反射は不自然すぎる」

「はいよー。パーン!」

もはや詠唱どころか、魔法名の発動すら省略した、超高精度の魔力狙撃。

常識を遥かに逸脱した大魔導士としての規格外ぶりに、アルフレッドは内心で呆れ返っていたが、ラルフの側もまた、アルフレッドの「植物学のエキスパート」としての知識を実戦に秒で応用する変態的な頭脳に、度肝を抜かれている真っ最中だった。

再び、密林から声が上がる。

「ワッチャーーーー!!!」

木の枝から綺麗に足を踏み外した原住民が、再び水面へと吸い込まれていった。

ここらが潮時だと判断したラルフは、船尾の方を振り返り、大声を張り上げた。

「おいっ! コール、それかミュリエル! そろそろ仕事しろ! アイツらに伝えてくれ、僕たちは敵じゃない、交易をしに来たんだってな!」

すると、甲板で矢を避けるように小さくなっていたコール・ディッキンソンと、エルフのミュリエルが、互いに顔を見合わせた。何故だか、尋常ではないほど怖気付いたミュリエルが、頭をフルフルと激しく振って拒絶の意を示す。

「はぁ……しゃあねぇな。俺か……」

コールは観念したように重い腰を上げると、甲板の端へと進み出た。

そして、腹の底から声を振り絞り、原生林に向かって叫んだのだ。

「ワンドガダギデネォンシャベラネガー!!」

その瞬間。

あれほど激しかった矢の斉射が、ピタリと、嘘のように止んだ。

しかし、ラルフの脳裏には、言葉にできないほどの衝撃が走っていた。

なんというか、その……非常に耳慣れてはいるものの、一瞬では意味が理解不能な、独特の言語。

(ん? いま、シャベラネガ……って言ったか? 喋らないか……? いや、まさか、んんんん?)

ラルフが猛烈な違和感に身悶えしていると、静まり返った岸辺の奥から、鈴を転がすような澄んだ声が、明確な返答を返してきた。

「ナンドダダバコサナヌシニキダバ?!」

それは、おそらく若い女性の声だった。

それに、待ってましたとばかりに更に応じるコール。

「ワンドオウコグガラキダ! ガダギサナルギダバネェ! モシエガッタラ、ナンダダノホシイモノトリヒギスルヨウイダバアル!」

その会話の応酬を聞いた瞬間、ラルフはその場にガクリと蹲ってしまった。

信じられないことに、断片的ではあるが、その「未知の言語」が、何故か、少し、聞き取れてしまったのだ。

(もし良かったら……? 取引する用意ばある、だとっ……?!!!)

西大陸において独自に発達したと言われていた、完全なる未知の言語。それを、何故か前世で言語学の専門教育も受けていない自分が、どうしてか割と理解している?!

ラルフは強烈な頭痛を覚え、こめかみを押さえた。

そして、誰にも口にできない【前世の記憶】が激しく脳裏に蘇る。

(こ、これって……まさか、すっっっっっっごい、東北地方の訛りがキツい『日本語』なのでは?!!)

しゃべらねが(喋らないか/話さないか)」、「なんどだだば(お前たちは)」、「こさなぬしにきだば(ここへ何しに来た)」、「わんど(俺たち)」、「おうこぐがらきだ(王国から来た)――。

まさかの、あまりにも衝撃的すぎる世界の真実に、ラルフは開いた口が塞がらなかった。

そんな彼に、

「ちょっとラルフ、大丈夫? 急に蹲ったりして、どうしたのよ?」

と、エリカが心配そうに顔を覗き込んできたが、ラルフは複雑怪奇な表情のまま何も言えない。

そこで、ほんの悪戯心というか、出来心だった。

ラルフは、自分の仮説が正しいかどうか、どうしても試してみたくなってしまったのだ。

ゆっくりと立ち上がったラルフは、前世の記憶の片隅にある「それっぽい独特のイントネーション」を思い出し、ミュリエルたちの訛りを浅はかながらも模倣してみることにした。

そして、両手を大きく振りながら、大声を張り上げた。

「仲良ぐしてげろー! みんな、トモダチ、トモダチだべぇ〜! イェーイ、だべぇ?!!」

叫んだ瞬間。

すべてが、静止した。

アビエラ・グレイス号の乗組員も、隣のウル・ヨルン号の荒くれ者たちも、全員が完全に押し黙り、まるで「人類の理解を超えた悍ましいナニカ」を見たかのような、引き攣った視線をラルフに集中させている。

そして、不気味なほど静まり返った岸辺に潜む原住民たちからも、なんとも言えない、激しい困惑とざわつきの気配が、肌を刺すように伝わってきた。

沈黙の中、ミュリエルがわなわなと震えながら、消え入りそうな声で呟いた。

「な、なんして、ラルフ様が……、エルフの『神聖なる古語』を、そっつぇげ流暢に喋れん……?」

いや、違う。まったく違う。

ラルフには、そんな高尚なつもりは微塵もなかった。ただ、前世の記憶にあった「なんちゃって東北弁」をそれっぽく叫んでみただけなのだ。それがなぜ、この世界では「エルフの古語」などという大層な扱いになっているのか?

しかし、どうあれ交渉が劇的に上手くいったことだけは間違いなかった。

張り詰めた殺気が消え去ったのを確認し、二隻の魔導船はゆっくりと、慎重に岸辺へと接岸していく。

そして、タラップが下ろされた岸辺で、こちらを待ち構えていた一人の少女の姿を捉えた瞬間、ラルフは思わず目を限界まで見開いた。

健康的に引き締まった、美しい黒い肌。

エキゾチックな原色の民族衣装を纏い、やけに肌の露出が多い、野生的ながらも洗練された肢体。

そして、何よりも特徴的なのは――髪の間からツンと覗く、あの長くて尖った耳。

それは、どの世間一般でも――『ダーク・エルフ』と呼ばれる希少な種族だった。

その凛々しくも強い意志を宿した瞳をこちらに向け、少女はラルフを真っ直ぐに見上げて、堂々と問いかけてきた。

「なぬ持ってきだのや? わんどは、塩ど、魔石ば欲しいんだじゃ!」

……不思議なものである。

一度耳がその周波数に慣れ、脳内の言語理解野の切り替えが完了してしまうと、ラルフには彼女の言葉が、標準的な現代語のスクリプトのように滑らかに翻訳されて理解できてしまった。

(なに持って来たんだ? 私たちは、塩と魔石が欲しいんだ、か……)

ラルフの口から出たのは、もはや返事ではなく、深い、深いため息だけだった。

(あー。これ、やっぱり、ちょっと、いや、かなり訛ってるだけの……日本語じゃん……)

ミュリエルという、何やら胡散臭い箔の付いた「通訳」の同行を許し、さらには念には念を入れ、コール・ディッキンソンをわざわざあの平穏で幸せに暮らしていた島から連れ出す必要なんて――どうやら、これっぽっちもなかったのかもしれない。

ラルフは、この世界のあまりのシュールさに、遠い目をして密林の空を見上げるのだった。