軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

456.船はゆく、フロンティアへ

「うぅぅ……頭が割れそうに痛い。ちょっと、いや、明らかに、飲みすぎた……」

ダキヤラ河の穏やかな朝の光が差し込むアビエラ・グレイス号の船室から、信じられないほど青白い顔をして額を押さえた聖女トーヴァ・レイヨンが、よろよろと甲板に姿を現した。

「お姉ちゃん、だから言ったじゃない……あの濃厚な赤ワインはヤバいんだって。翌日に、容赦なく残るんだから……うっ、おぇ」

その後ろから、完全に魂の抜けた顔で続くのは、彼女の腹違いの妹であるマルシャ・ヴァールだ。聖女の威厳などどこへやら、二人してひどい二日酔いに苦しんでいる。

「ラルフ様ぁ、汗と潮風で身体がベタついて気持ち悪いの。例の、いつものやつをお願いします……」

「あ、私も私も……。一気にシャキッとさせて……」

「はいはい、毎度どうも……」

甲板の上で、小さな七輪で小魚を器用に炙っていたラルフが、心底面倒くさそうに腰を上げた。そして、自身の左目に特有の紅き魔力をじわりと宿し――。

「《 激流噴射(ウォータースプラッシュ) 》」

「ブォ?! ブガガガガガガッ!?」

「アバブババババババッ!?」

ラルフの手のひらから生み出された、程よく温められた透き通った温水の激流。

それを真正面から全身に容赦なく浴び、その凄まじい水圧の威力に吹き飛ばされまいと、聖女姉妹は必死に脚を踏ん張って耐え忍ぶ。

やがて、勢いよく響いていた水流がピタリと止むと。

「ほら……これで満足か?」

ラルフが呆れたように声をかける。

「ぷはぁ……っ! うん、キレイさっぱり! 生き返ったわ!」

「あ〜……。なんか、ちょっとだけ酔いも醒めたかもしれない……」

全身びしょ濡れになった二人は、衣服の張り付きも気にせず、なんだか非常にスッキリとした清々しい表情を浮かべていた。つまり彼女たちは、この文明の利器が著しく乏しい旅先において、ラルフの高等魔法をまさかの『簡易温水シャワー』代わりに利用しているのである。

「まあ、この南国の高い気温なら、こうして放置していればすぐ乾くしね」

「そうそう。デッキにぐでぇ〜っとしてたら、数分でカラカラよ」

二人は濡れた体のまま、デッキチェアに豪快にペシャリと仰向けに寝転んだ。

箱入り娘とも思われた二人だが、いつの間にか逞しいほどにこの南方遠征の環境を満喫し、順応し始めている。

すると、そんな濡れネズミの聖女たちを見て、新たな影が近づいてきた。

「ラルフ、あたしにもお願いよ! もう、髪もベタベタで、不快なのよねー」

金髪のドリルツインテールを激しく揺らしながら、エリカがいつもの高飛車な態度で要求してきた。

「はいはい、お望み通りに」

ラルフは極めて投げやりに応じると、左目の魔力をさらに変質させて練り上げる。

「《 水球弾(ウォーターボール) 》、そして――《 回転(スピン) 》」

ラルフの目の前に出現したのは、単なる水の塊ではなかった。直径数メートルはあろうかという巨大な水の球体であり、それが凄まじい遠心力をもって超高速で駆動し、周囲に細かな水飛沫を激しく撒き散らし始めたのだ。

「……ほら、遠慮なく、入れよ……」

「絶対にヤバいでしょ、コレっ!? 入った瞬間に目を回してバタンキューする未来しか見えないんだけど!? っていうか、あたしは領主館の厨房に置いてある、あの魔導皿洗い機に突っ込まれる皿じゃないのよ!」

エリカは怒髪天を突く勢いで激しく憤慨した。彼女の脳裏には、ラルフが利便性を追求するあまり開発した、あの容赦なく水を激しく回転させて汚れを落とす魔導洗浄機の悍ましいメカニズムが完璧にフラッシュバックしていた。

「だったら、お前もあそこで、水浴びするか?」

ラルフが面倒くさそうに顎で指し示したのは、船の下、つまりダキヤラ河の河岸だった。

そこでは、現地の子供たちや野性味溢れる荒くれ者の冒険者たちが半裸になり、浅瀬で豪快に泥と汗を洗い流している。

「ぬ? ……むぅ!? ま、まぁ……これでいいわよ、これで……!」

さすがに、王国の高貴な貴族令嬢としての最後のプライドが勝ったらしい。

泥塗れの浅瀬に入るくらいなら、ラルフの怪しげな魔法の洗礼を受ける方がマシだというわけだ。

そこへ、生真面目な顔をしたアルフレッドが歩み寄ってきた。

「ラルフ。朝から騒がしいところ申し訳ないが、今日からの予定について少々相談があるのだが……」

「ん? ああ……。まぁ、午前中にまたマーケットを少しぶらついて買い物して、美味い昼飯でも食ったら…………帰るか」

ラルフは七輪の小魚を裏返しながら、至極当然のように呟いた。

「はっ?」とアルフレッド。

「ん?」とラルフ。

「おい、ちょっと待てぇぇぇっっ!!」

静かな朝の甲板に、短くも緊迫した声のラリーが響き渡り、最後にアルフレッドの魂の叫びが炸裂した。

「おいラルフ! 本来の目的を忘れたわけではあるまいな!? 我々は、この南方諸島の『学術的調査』のためにわざわざ海を渡ってきたのだぞ! これではただ、国王陛下の釣りと、お前の買い物と、現地の珍しい飯を食って一泊しただけではないかっ!!!」

アルフレッドの強烈極まりない、しかし正論すぎるツッコミがラルフの鼓膜を震わせる。

「あー……。そういえば、そんな大いなる、そして崇高な目的があった気もするな……?」

ラルフは明後日の方角を見つめながら、全力でお茶を濁そうととぼけてみせる。

確かに、出発前はそれっぽい大義名分を掲げていたはずだった。

しかし、このキルト・キャンプでのあまりにも刺激的でいて、同時に退廃的な一泊を経て、ラルフの心は「あー、旅行楽しかったな」という完全な満足感で満たされてしまっていたのだ。

すると、いつの間にかラルフの背後に忍び寄り、七輪の上で香ばしく焼き上がっていた小魚を「モシャモシャ」と勝手に盗み食いしている人物がいた。

「当たり前だろ、バカ者が! ふざけるなっ! 儂はまだまだ釣り足りんわ! ダキヤラ河の奥地に潜むという、未だ見ぬ伝説の怪魚たちが、この儂の竿を待っているのだ……」

そこにいたのは、最高級の召し物を少し着崩し、地べたに完全にヤンキー座りを極めている国王陛下だった。威厳の欠片もない。

「おい! なに人の朝飯を勝手に盗み食いしてんだよ!? 最高権力者が?! 恥ずかしくねーのかっ?!!」

ラルフの額に、ピキピキと鮮やかな青筋が浮かび上がる。

「ムシャムシャ……細かいことを気にするな。別に、よいではないか。とにかく、儂の命令だ。さらにこの河を遡上し、奥地へと向かうぞ!」

国王は魚の骨を器用に吐き出すと、力強く腰を上げた。

「ハァ……。やっぱりそうなるか、めんどくせー……」

ラルフは深く重いため息を漏らし、ボヤいた。

こうして、ラルフの淡い帰国願望は無惨にも打ち砕かれ、ダキヤラ河をさらに遡上して未開の地への「本格的な学術調査」の続行が決定的に固定された。

ふと、ラルフが視界の端に目をやると。

「ブガガガガガガッ、ガボボボボッ!! 助けっ、目が回っ……っ!!」

そこには、結局好奇心かプライドの裏返しからか、あの超高速回転する巨大水球の中に自ら突っ込んでしまい、洗濯機の中の衣類のようにグルグルグルグルと猛烈な勢いで上下左右に振り回されているエリカの無惨な姿があった。

そんな相変わらずの騒がしさと、調査隊メンバーのあまりにも勝手気ままな朝食の時間を経て、アビエラ・グレイス号とウル・ヨルン号は、午前中の瑞々しい光を浴びながら、キルト・キャンプの入り江を静かに出立した。

「ラルフ様ぁ! 道中気をつけてな!」

「ここから先、奥地に住む先住民族の連中は一筋縄じゃいかないから、油断するんじゃねえぞ〜!」

岸辺にひしめくマーケットの人々や、顔馴染みの冒険者たちが、大きく手を振って彼らの旅路を見送ってくれる。

「あはは、本当に楽しかったねぇっ!」

「うんっ! 私、ソニアさんへのお土産に、こんなに素敵なものを買っちゃったんだー!」

甲板の上では、給仕の少女であるミンネとハルが、小鳥のようにぴょんぴょんと飛び跳ねて全身で喜びを表現していた。ハルが自慢げに両手で掲げて見せたのは、現地で“プラグーニャ”と呼ばれている小さな木製の弦楽器だった。

それは、ラルフの前世の記憶にある『ウクレレ』に酷似した、素朴な四弦の楽器だった。ハルはその小さな指で、弦をジャカジャカと無邪気に掻き鳴らす。調律などという概念すら無視した、完全にデタラメな不協和音が響き渡るが、その二人の微笑ましさと無垢な笑顔に、甲板にいる誰もが自然と目元を緩め、ホッコリとした温かい空気に包まれていく。

やはり、日頃から領主館で働き詰めになっているこの健気な二人を、気晴らしに連れ出して大正解だった――ラルフは、ハルの不協和音を聴きながら、それだけでもこの「めんどくせー」とボヤき続けていた南方遠征が、とても尊く、価値のある時間に思えてくるのだった。

「ハァ、しゃーねーな。それじゃあ、これより本格的な学術調査……いや、そんな堅苦しい言い方は僕らの性分に合わないな。――前人未到の、未知の冒険に、行ってみますか!」

ラルフが少し照れ隠し気味に、しかし力強く告げた言葉に、船上のメンバーたちは一斉に顔を輝かせた。

「「「「おーー!!!!」」」」

青空に響き渡る声と共に、誰もが力強く拳を突き上げる。

「フッフッフ、待っていろよ怪魚ども! 儂が、釣って釣って、釣りまくってやるわっ!」

「フンッ! まだ見ぬ未発見のスパイスを見つけ出してやるわよ。その学名には、このあたしの美しき名を冠してやるんだから!」

「未知の薬草……。ああ、薬師として、これほどまでに血が滾る瞬間が、かつてあっただろうかっ?!」

「ねぇマルシャ、奥地の先住民族の人たちって、やっぱり独自の秘蔵のお酒とか造ってるのかしら?」

「それ、絶対にあり得るよねー、お姉ちゃん! 私たちのまだ知らない、とびきり強いお酒が眠っているに違いないよっ!」

そう、それぞれが胸に抱くのは、未知なる世界への希望。

そして、そのあまりにも剥き出しで、清々しいほどの個人の『欲望』をこれでもかと満載して、二隻の魔導船舶は大河の濁流を力強く掻き分けながら、さらに奥地へと遡上していくのだった。