作品タイトル不明
455.出張! 居酒屋領主館
「ラルフっ! 凄いわよ、ここ! 見たこともないスパイス料理がこんなにたくさん露店に並んでるの! ムシャムシャ……」
エリカは、熱帯の強烈な太陽が照りつけるマーケットの一角で、怪しげなスパイス料理を豪快に立ち食いしていた。
粗末な木皿に盛られているのは、ぶつ切りにされた魚らしき肉片と、よく分からない未知の豆類。そしてロートシュタインでは滅多にお目にかかれない、細長く尖った形状のインディカ米っぽい米だ。
それらが、赤と黄色が毒々しく入り混じったルゥでドロリと煮込まれており、見た目だけでこの熱帯の情熱をそのまま凝縮したような、容赦のない激辛ぶりを予感させた。
「ハァ……お前さ、さっき船の上でカレーを腹一杯に食ったばかりだろ? 一体どこの別腹に入っていってるんだよ……」
ラルフは少し猫背になりながら、呆れ果てた目をエリカに向けた。
「モグモグ、モグモグ……。んー、でもこれ、ただ辛いだけじゃなくて、結構酸味が効いててクセになるわね。……後味にほのかな果物の甘みもあって、スパイスの奥深さを感じるわ」
エリカは口を忙しく動かしながら、まるで一流の料理評論家のように的確な味の分析を披露する。
「ハッハッハッハッ! まさか高貴な貴族のお嬢ちゃんが、こんな泥臭い屋台の飯を美味そうに食ってくれるとはな!」
煤けたエプロンを巻いた屋台の店主である大男が、白い歯を見せて朗らかに笑った。
褐色の逞しい肌をした彼から見れば、絹のような金髪ドリルツインテールをもつエリカは、いかにも箱入りの可愛らしい令嬢に見えるのだろう。その令嬢が、自分たちの郷土料理を躊躇なく貪っているのだから、気分が良いに決まっている。
「ムシャムシャ……。それにしても、このお肉、なんのお魚かしらね? 弾力があって鶏肉に近い食感なんだけど、すっごい歯ごたえ。……ただ、ちょっと小骨が多いのが……めんどーね」
エリカは口の中に残った小骨を、指先で器用に摘み出すと、ポイッと地面に放り捨てた。
「フッ……。そりゃあな、お嬢ちゃん。魚じゃねえ。……実はそれ『ヘビの肉』なのさ!」
店主が、自慢げに衝撃の事実を告白した。
「…………っ?!」
次の瞬間、エリカの動きが完全に停止した。無言の驚愕が彼女を襲う。
エリカがこの世で最も苦手とする、あのニョロニョロとした不気味な生き物。まさか、自分が今まさに美味そうに貪り食っていたものが、その蛇の肉だったなんて――。
エリカの顔から、一瞬にして血の気が引き、みるみるうちに真っ青に染まっていく。
ギッ、ギッ、ギッ、ギッ……と、まるで何十年も油を差していない錆びついたブリキのおもちゃのようなぎこちない動作で、彼女の首がラルフの方へと無言で振り返られた。助けを求めるような、あるいは現実を否定したいような絶望の眼差し。
しかし、ラルフはそんな彼女の視線を正面から受け止めると、
「買ったからには、ちゃんと残さずに全部食べろよ……?」
と、極めて冷徹に、慈悲のない言葉を告げた。
「……ぅ! …………ま、まぁ、そうね。命を無駄にするのは、良くないわ。……なにより、そう。味は良いのよ、味は……っ! ムシャムシャ」
エリカは引き攣った複雑な表情を浮かべながらも、貧乏性というか食への執着が勝ったのか、再び涙目で蛇肉のスパイス煮込みを貪り食いはじめたのだった。
一方、その頃。少し離れたダキヤラ河の岸辺に目を向けると、そこでもまた別の異常な光景が展開されていた。
ヒュン! ヒュン! ヒュン!
「オッラァァァァァ!!! 喰らえッッ!!」
シュッ!!!
鋭く細い風切り音と共に、釣り竿の先に垂らされた重りを空中で激しく回転させ、遠心力を極限まで味方につけた見事な『ペンデュラム・キャスト』を披露している男がいた。
一分の無駄もないフォームから放たれた餌付きの釣り針は、美しい放物線を描いて遥か遠方、ダキヤラ河のうねる流心の真ん中へと正確に吸い込まれていく。
その圧巻の超遠投をぶちかましたのは、なんと最高権力者である国王陛下その人であった。
その傍らで控えていたアルフレッドが目を輝かせる。
「素晴らしい、凄まじい腕前ですね陛下! 今の一投、目測ですが優に百メートルはカッ飛んでいきましたよっ!」
冷静な分析を交えつつも、思わずといった様子で感嘆の声を漏らした。
そんな主従の姿を遠巻きに眺めていたラルフは、脳内で激しいツッコミを禁じ得なかった。
(……おいおい、 村田基(むらたはじめ) さんかいな? ……っていうかヴラドおじ、いつの間にあんなプロ級のキャスティング技術を習得したんだよっ?!)
ラルフの前世の記憶にある、偉大なるカリスマアングラー。常に業界を牽引し続ける生ける伝説。あの「ミラクルジム」の愛称でお馴染みの、世界を股に掛ける釣り師の姿が、規格外な国王に完全にオーバーラップしていた。
「ラルフ様っ! 見てください、本当に凄いですよここ! こんなに綺麗な天然石が、信じられないくらい安く売られてるんです!」
そんなラルフの元へ、バタバタと軽い足音を響かせて駆け寄ってくる影があった。両手いっぱいに色とりどりの輝かしい鉱石を抱えて現れたのは、『シャーク・ハンターズ』のフィセだった。
今や潮風に晒されて荒くれ者の海の女という風貌がすっかり板に付いて久しい彼女だったが、やはり内面には、美しい輝きを純粋に愛でる乙女としての感性がしっかりと残っていたらしい。
「そりゃあそうさ、ここは"現地価格"だからな。この石を船に詰め込んで、そのまま王国まで持ち帰って流通させたら……どれだけの暴利が貪れるか、元商業ギルドのフィセなら、計算できるだろ?」
ラルフがニヤリと笑うと、フィセはハッと息を呑んだ。
「そ、そうか……。そうですよね……! 王国に帰ればこれが何倍の価値に……ムムム。こうしちゃいられません、我らシャーク・ハンターズも、単なる漁業だけでなく、本格的に物流や船便の仕事請負を視野に入れるべきかもしれませんね……!」
早くも彼女の脳裏には、漁師の枠を超えた新たなビジネスチャンスの青写真が猛烈な勢いで描き始められていた。
その後、ラルフとアンナは二人で、のんびりと『キルト・キャンプ』の雑多な喧騒の中を歩いた。
その並んで歩く姿は、まるで異国の地に海外旅行へ訪れた、仲睦まじい若い夫婦のようでもあり、慌ただしい日常を離れた二人の間には、どこか穏やかで特別な時間が流れていた。
自然発生的に形成されたこのキルト・キャンプのマーケットには、本国では絶対にお目にかかれない、ありとあらゆる珍奇な品々が溢れ返り、取引されていた。
檻の中で威嚇の声を上げるヒクイドリのような巨大な極彩色の怪鳥、熱帯の気候が育んだ未知の香辛料、怪しく輝く未加工の宝石。さらに、何の役に立つのかさっぱり見当もつかない、奥地の先住民族が作ったであろう呪術的な泥人形や民族工芸品の数々。
金を稼ごうと目を血走らせる商人たちのぎらついた熱気と、自らの腕っぷしだけを頼りに未知のフロンティアへ挑む冒険者たちの勇ましさ。
それらすべてが混ざり合い、この最前線の営みを形作っている。
「へい、そこの旦那! 獲れたてピチピチのワニの肉だ! 格安でどうだい!?」
「うわっ、気持ち悪っ! ……。いや、待てよ、本国の物好きな貴族どもに、いい値で転売できるか。よし、買った!」
「おい、この珍しいハーブは、もっと大量に採集してくることはできないのか?」
「無茶言うなよ、旦那ぁ。これはな、奥地に命がけで分け入って、やっと一掴み見つけてきた代物なんだぜ?」
あちこちから飛び交う、生活と欲望の懸かった力強い掛け声。
容赦なく降り注ぐ太陽がもたらす汗の匂い、鼻腔を突く刺激的なスパイスの香り、環境の厳しさを物語る有機的な淡水の匂い。それらが絶妙にブレンドされた異国情緒の塊のような空気の中で、ラルフもアンナも、ひとときの心地よい休暇を満喫しているかのように思えた。
――しかし。そんな平穏な時間が、夜まで続くはずもなかった。
「「「「カンパーーーイ!!!!」」」」
日が沈むと同時に、河口の岸辺には無数の篝火が赤々と焚かれ、夜の帳を払いのけた。
人々はそこら中から持ち寄った適当な椅子や、小さな酒樽をテーブル代わりにひっくり返し、星空の下で盛大な野外宴会がスタートした。
「いやー! まさかこんな最果ての島で、このフレーバービールが飲めるなんて、夢にも思わなかったぜ!」
「本当だな! 王国に帰ってからの楽しみにしようと思ってたが、この景色の中で飲むのも……グビグビ、かぁ~! もうたまんねえ!」
集まった冒険者や商人たちが、口々に歓声を上げる。
それもそのはず、王国随一の権力者であり大富豪でもあるラルフ・ドーソン公爵が、このキャンプ地に滞在しているという噂は、昼間のうちに風のような速さでマーケット中へと知れ渡ってしまっていたのだ。
その結果、ラルフがマジック・バッグから大放出した領主館自慢の酒や飯を求めて、荒くれ者たちが大挙して押し寄せていた。
「ミンネちゃーーん! こっちのテーブルにワイン追加ね!」
「はーい! ただいま持っていきますので、少々お待ちくださーい!」
小さな身体を精一杯に動かしながら、盆を手に笑顔で駆け回るミンネとハルの姿がある。
一方、即席で組み立てられた仮設キッチンの前では、ラルフが包丁を握っていた。
先ほど国王陛下が釣り上げた、ピラニアを数倍に巨大化させたような凶悪な顔つきの怪魚。それをラルフは、使い慣れた手つきで「スパッ!」と鮮やかに捌いていく。
旅の備えとして、マジック・バッグの中に居酒屋の調理器具や調味料を文字通り一通り詰め込んできたのが、果たして吉と出たのか、あるいは凶と出たのか。
「わっはっはっはっ! 見よ、このダキヤラ河の魚影の濃さを! 実に素晴らしいぞ! よし、明日はさらに大物を狙って釣りまくるぞ〜!」
冷酒を呷りながら、集まった高ランク冒険者たちを相手に、すっかり上機嫌で管を巻いている国王の笑い声が響く。
「おい! 誰だぁ!? 手羽先の唐揚げを注文したのは?! 名乗り出ろ、手を挙げろ!」
さらに見ると、そこにはなぜか、エプロンを無理やり身に着けさせられ、怒鳴り散らしながら給仕に駆り出されているコール・ディッキンソンの姿まであった。元テロリストの威厳はどこへやら、完全にフロアスタッフのそれである。
そして、ラルフは、包丁の手をふと止めて、目の前に広がるこのあまりにも見慣れた、しかし場所としては致命的におかしい状況を、冷静に理解してしまった。
何故、自分はわざわざ海を渡り、地の果ての南方諸島まで来て(厳密には学術調査という極めて崇高な目的があるはずなのだが……)、こうして額に汗して居酒屋の店主をやっているのだろうか。
まさかの、『居酒屋領主館・南方フロンティア出張店』が、今ここに完全開店の憂き目に遭っていた。
「はーい、みんな! あたしの試作品『タンドリーワニ』、食べたい人いるかしら〜!?」
カンカンカンカン!
と、鍋をお玉で叩きながら、エリカが満面の笑みで呼びかける。
「「「「「「はいっ!! 食べたいっ」」」」」」
地響きのような大歓声を上げながら、一斉に太い腕を突き上げる、完全に出来上がった飲んだくれ達。
ラルフは、手元の巨大魚を見つめながら、今日一番の、深く、深く魂を削り取るようなため息をつくのだった。